Extra edition

合格発表の直後


まるで学園ドラマの最終回で見たような景色であった。
大きく張り出された合格発表の掲示。その中に自分の番号があるのを必死で探し、見つかった時の喜びを誰かと分かち合うのを夢のまた夢だと思っていたけれども。
わたしはついにやり遂げた。一人の力ではなくて、大好きな国見先生と二人でついに達成したのだ。


「あの、電話いいですか」
「いいよ。家?」
「友だちに…」


大学から家に帰るまでのあいだ、わたしはユリコに結果を報告する事にした。国見先生や家族と同じように、色んなことを支えてくれた仲間なのである。


『もしもーし』
「あ!わたしだけど」
『待ってた!どうだった?』


彼女は今日が合格発表である事を知っていた。というかわたしが予告していた。だから結果を直ぐに知らせて欲しいと言われていたのだ。
ここは公道だし、浮かれて話すのが恥ずかしくて「受かった」とだけ電話口に向かって伝えると、いきなりキーンと叫び声がした。


『うわーーーっ!』
「わっ」
『ユリコ!うるさい』
『すみれ合格したって!お母さん!』
『えっ!?ちょっと貸して貸して貸してっ…すみれちゃんおめでとう!』
「あ、ありがとうございます」


ユリコのすぐそばにおばさんが居たらしく、無理やり電話を奪ったであろうユリコのおばさんからもお祝いの言葉が。ここの家族はいつも騒がしい。うちのお母さんも似たようなもんだけど。


『先生いるの?』


ようやくスマホを取り返したユリコが言った。今日は二人で合格発表に行くことを伝えていたからだろうけど、ドキッとして思わず隣に居る国見先生をチラ見しちゃったじゃん。


「えっ?うん…一緒だよ」
『だよね!じゃあお邪魔だから切るね』
「え」


なんとわたしの返事を待つ前に、ユリコは電話を切ってしまった。周りでは人が歩いていたり車が走ったりしているのに、一気に静まり返ったような気がする。


「終わった?」
「ハイ…声、漏れてましたかね」
「チョー聞こえてた」
「はは…」


国見先生にもばっちりユリコの声が聞こえていたようだ。最後の「お邪魔だから切るね」も聞こえたに違いない。ダダ漏れだったよって後でユリコに送っておかなくては。

さて、親友への報告も終えたところでいよいよ自宅にたどり着いた。
いつも出入りしているはずの自分の家に入るのを、こんなに躊躇うのは初めてだ。今日はお母さんが家に居て、結果を直接伝えると約束しているのである。お母さんもドキドキしながら待っているはず。今日は会社に行っているお父さんも、ちゃんと仕事に集中出来ているだろうか。人の心配をする余裕はないんだけれども。


「緊張する…」
「結果を見る前よりも?」
「それとは違う緊張です」


深呼吸するわたしに対して先生は「あっそう」と言葉では素っ気なかった、しかしわたしには分からないように深く息を吐くのが聞こえた。
先生だって少しは緊張してるんでしょう、なんて思ったけれどそれを口にする余裕は無い。実はお母さんには、バドミントンの試合だって「恥ずかしいから」と応援に来るを拒んでいたのだ。頑張る姿を見せるのが照れくさくって、どんな顔をすればいいか分からなくて。
だから正真正銘「頑張った」と言えてしまう今、表情を作るのにいっぱいいっぱいである。


「ただいま!」


心を決めて家のドアを開けると、リビングで待機していたらしいお母さんがすっ飛んできた。玄関マットに滑って転びそうになりながら。


「すみれ!おかえりなさいどうだった!」


当然だけどいきなり結果を聞いてくる。国見先生のほうを見上げると、先生は「自分で言え」と言うように目線で合図した。そりゃあそうですよね。でも、受かったよって言葉で言うのもくすぐったくて。


「…いえい」


と、わたしはピースサインで応えてみせたのだった。
お母さんはわたしの手をポカンと眺めていたけれど、やがてその意味を理解した…と思う。正しく理解しくれたのかは分からない。超取り乱し始めたから。


「え!?あんた…嘘でしょ…ホント!?」
「嘘だったらこんな顔してないよ」
「本当なんですか先生!?」
「本当です」
「何で先生に聞き直すの」
「嫌ッ!嘘!嫌ッ!」


喜んでいるのに嫌だ嫌だと繰り返すお母さん、よほどテンションが上がってしまったようである。
「もおぉ〜お化粧崩れちゃううぅ」なんて言いながら既にハンカチで顔を覆っていて(貰い泣きするから見ないようにした)、先生に部屋へ上がるよう促した。
するとどんな結果であってもわたしと先生を迎える用意をしていたらしく、リビングにはお茶とお菓子が置いてあった。


「…改めてなんですが、すみれさんは無事に合格しました」


お母さんの気持ちが落ち着いてから、まず口を開いたのは国見先生だ。家庭教師としての仕事を見事に全うした先生に、お母さんは何度も何度も頭を下げた。


「国見先生、本当にありがとうございました。わざわざ結果まで一緒に見に行ってくださるなんて」
「いえ、自分の大学ですし…俺も気になったので」
「先生のおかげです。本当に!ねっすみれ」
「ウン」


お母さんに言われなくてもそれは同意だ。先生が居なければわたしが勉強に精を出す日は来なかったのだから。でも、先生はその言葉を受け取らずに首を振った。


「俺は、本人が頑張った成果だと思ってます」


そう言って真っ直ぐに、お母さんに説明してくれたのだ。それが凄く嬉しくて、直接褒められるよりもジーンとして。親の前では堪えていた涙が思わず出そうになった。


「最初は正直、合格させる自信はあまり無かったですけど」
「そうですよねぇ」
「お、お母さんっ」
「それでもすみれさんが頑張ってついてきてくれたので。だから俺も頑張れました」


あ、もう駄目だ泣きそう。落としてから上げるなんて本当にずるい。
…と、思っていたのに、お母さんが思いっ切りチーンと鼻をかんだので涙が引っ込んだ。


「あんた、いい先生持ってよかったね」
「お母さんが勝手に連れてきたんだけどね…」
「あ、そうか!半分は私の成果ね」


半分は言い過ぎである。まあ娘の受験勉強を応援してくれた事と、国見先生とわたしを引き合わせてくれた事には心から感謝している。わたしの元に来てくれたのが国見先生で本当に良かった。それは親子共々、これから何度も口にする台詞だろうな。
そんな少しの雑談をして、そろそろ先生がお暇しようかと言うところでお母さんが思い出したように手を叩いた。


「あ!あのう先生、改めてお礼をしたいんですけど…そういうのって会社のほうに連絡したらいいんですか?」
「えっ?」


これにはわたしも先生も声を上げてしまった。だってわたしたち、もう互いの連絡先を交換しているのだ。でもまだお母さんにはその事を秘密にしているので、ギリギリのところで先生が答えてくれた。


「えっと…そうですね…それでお願いします。気を遣わせてすみません」
「当然ですよ!この子が国立の大学なんて夢じゃないかと思ってますから!」


答えるまでに少しの間が空いてしまったけど、お母さんには怪しまれずに済んだようだ。知られても構わないのだろうけど先生はきちんと報告したいと思っているようだし、そっちはまだ警戒しておかなくちゃ。


「じゃあ…今日はそのご報告でした」


ようやく締めの挨拶みたいなのを終えて、国見先生が立ち上がった。


「ありがとうございました!あ、お見送り」
「いい!私がする」


お母さんも同時に立って廊下に出ようとしたけれど、それは阻止した。マンションの下までわたしが送って行きたいからだ。お母さんは「そーお?」と呑気に言って、最後の最後にもう一度玄関で頭を下げていた。


「なんかすみません…お母さんテンション上がっちゃって」


自分の親が自分のことであんなに喜んだり泣いたりするなんてなあ。先生にそんなお母さんの姿を見られたのは恥ずかしい。けれど先生は特に気にしないどころかニヤニヤ笑っていた。


「仕方ないよね。昔の白石さんを思えばお母さんの気持ちは分かるよ」
「返す言葉もございません…」


勉強なんて嫌だと反抗していた自分が懐かしい。勝手に家庭教師を雇うなんてふざけるな!とユリコに愚痴ったり、最初の家庭教師の日にわざと帰るのを遅くしたりしたっけ。今思えば迷惑な娘である。


「…じゃあ。家庭教師としては、これでお終いだから」


エレベーターを降りてマンションのメインロビーに来た。
今日で国見先生が、先生としてわたしに会うのは最後である。嬉しいような寂しいような変な気持ちだ。もう会えなくなるわけでは無いのに「寂しい」のほうが大きいかもしれない。


「先生、本当にありがとうございました」


わたしは最後に生徒として頭を下げた。
迷惑ばっかりかけてすみませんでした。最初、やる気がない素振りを見せてごめんなさい。好きな気持ちを上手くコントロール出来なくて、困らせた事もありましたよね。それらが走馬灯のように駆け巡り、お辞儀をしながらまた泣きそうになっていた。

けれど視界の中にある国見先生の足が一歩こちらに近付いてきたので、わたしはゆっくりと身体を起こした。同時に先生の手がわたしの頭に乗せられて、心地よい重量感が。


「もう先生って呼ぶのは無しにしよう」


その時の国見先生は笑っているのか、それとも少しは寂しかったのかな、柔らかい目でわたしを見下ろしていた。
そうだ、もう「先生」では無くなるのだ。完全に。一応付き合い始めてからは、二人で会う時は名前で呼ぶように努めていた。それが徹底できずについつい「先生」と呼んでしまっていたけれど。


「……練習…します」
「うん。して」
「ハイ」


国見英さん。あの日、仙台駅で財布を取り返してくれたAさん。これからは努力しなくちゃ、名前で呼ぶのを。


「じゃあ…すみれ、また連絡する」


先生もまだわたしの名前を呼び慣れないらしくて、頬をぽりぽりとかきながら言った。


「待ってます。英さん」


この呼び方で問題ないかな、と先生のほうを見ると、心無しか満足そうに頷いていた。
今日でわたしの受験戦争は無事に終わり。とは言えすぐに入学の準備が始まるのだろうけど、これまで馬鹿なわたしを支えてくれた家族が居るんだからきっと大丈夫。それに困った事があれば、「同じ大学に通う彼氏」という心強い存在があるんだし。