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イバラネーション


あまり他人の容姿についてどうこう言いたくは無いし、言える権利も無いけれど言わせてもらう。

白石先生は決して特別キレイとか可愛いとか華があるとか、そういう事はひとつも無い。だけどそれが先生の魅力なのだ。誰にも媚びない素朴な感じ。髪の毛なんか真っ黒、教師だからっていうのもあるかも知れないけどメイクも薄くていい感じ。派手な女の子も好きっちゃ好きだけど、白鳥沢の女の子は頭脳の偏差値が高いから派手に着飾っている子は多くない。
だけど、そんな若い女子高生の中に居ても、白石先生は俺にとって一番魅力的だった。のに。


「せんせー、彼氏とは上手くいってるの?」


ある昼休み、俺は白石先生の時間を貰って資料室へとやって来た。もちろん勉強をするためだ。表向きは。
だけど本当に質問したい事や話したい事は全く別だから、単刀直入に聞いてしまった俺に先生は「ぶっ」と吹き出した。


「て…天童くん!しーっ」
「大丈夫だよ。ココいっつも誰もいないじゃん」
「それでもだめ!」


先生は咳き込みながら辺りを見渡した。この部屋は滅多に人が入って来ないのに。今だって俺と白石先生の二人きり。だから包み隠さず答えて欲しいんだけど、先生は唇を固く結んでいた。


「ねー、彼氏かっこいい?」


先生に答えるつもりが無いからって、俺が質問を諦めるとは限らない。それどころか俺の中で白石先生は「押せば答えてくれる」と確信しているのだ。悪く言えば流されやすい人。でも良く言えば、優しくて愛想が良くて朗らかで、とっても素直な人。
素直で素直で仕方ない白石先生は唇をモゴモゴ動かした後、少しだけ口を開いた。


「……内緒です」
「どうして?分かんない事はなんでも聞いてって言ったでしょ」
「それは勉強のこと!」
「教えてよ。ね、彼氏ってどんな人?」


俺はとうとう身を乗り出した。隣り合わせに座っている先生は椅子を引きながら後ずさりして、必死に俺から目を逸らそうとする。その目はうるうるしてて、頬はほんのり染まっていた。
この姿は凄く素敵だなと思う反面、俺の成果ではない事が分かるのが悔しい。先生が赤面しているのは俺のしつこい質問のせいではなく、その質問に答えるために彼氏の事を考えているからだ。


「…年上です」


しばらく沈黙していたので、もしかしたら今日はこのまま答えてくれないかも知れないと思った。だけどやっぱり押しに弱そうな白石先生は、可愛い生徒の質問に答えてくれた。


「それだけー?車持ってる?」


年上だなんて分かっている。あの時見かけた男の人は、高校生の俺から見れば立派な大人だった。


「持ってるよ。私は詳しくないけど、彼曰くいい車なんだって」


でも心のどこかでアレは彼氏じゃなくて親戚だとか、別の真実が明らかになるのを期待していた。だから黒い外車に乗っていた男が白石先生の彼氏で間違いないのか、突き止めるために俺は必死であった。


「へえー…真っ黒な外車とか」
「うん。まさにそれ!」
「…へーえ」


残念な事に俺の勘はばっちり当たってしまったらしい。
良い事でも悪い事でも、すぐに目に付いてしまう自分が今日ばかりは嫌になる。あの時先生と一緒に居たやつ、やっぱり彼氏なんだ。しかも最初は答えないように口を閉じていた先生が、思わず嬉しそうに「まさにそれ!」と言ってしまうような男。
車があるから何だって言うんだ。俺だってもう運転できる年齢だ。免許を持っていないだけ。


「結婚すんの?」


答えを聞けば辛くなる可能性のほうが高いのに聞いてしまった。十八歳の俺からすれば、二十二歳の女の人が男と付き合うという事は結婚を意識しているに違いないと思うからだ。白石先生は「結婚」というワードを聞いて見るからに赤くなったので恐らくビンゴ。


「結婚は、まだ…向こうはそこまで考えてないと思うけど」


相手はまだ白石先生との結婚を考えていない。しかし先生は、相手からの申し出さえあれば喜んで受けるのだろう。俺に勉強を教えている事なんか忘れて、夢見る少女のような顔立ちになっていた。


「いつかはしたいなあ」


来たるその日の事を想いながら、先生は幸せそうな溜息をついた。


「……そう」


結婚とは、まだ俺には無縁のものだ。考えた事も無い。それなのにこの人が他の男と結婚するのはやめて欲しい。だけどもし、「先生、俺も結婚できる年齢だよ」なんて言っても先生は笑って済ませるだけだろう。そうだよね、もう十八歳だもんねと。
「まだ十八歳」って思っているくせに大人は俺たちの事を「もう十八歳」と言う。白石先生だって「まだ二十二歳」のくせに。


「でも仕事が忙しいみたいで、なかなか頻繁には会えなくて」
「ふーん」
「だから私もそのあいだは仕事に専念するって決めてるの!早く一人前の先生にならなきゃ」


拳をぎゅっと握ってそう訴える先生は、とても眩しかった。思わず目を逸らしたくなる。一人前の先生になる頃には俺は白鳥沢に居ないのを、分かっていないのだろうか。
それに何をもって一人前とするのかは分からないけど、俺は少なくともこう思う。


「白石先生は、もう立派にいいセンセーだよ」


俺の言葉に白石先生は照れながら喜んでくれると思っていたけれど、全く嬉しそうではなかった。


「まだまだだよ。何年もかかっちゃうと思う」
「それじゃ俺、卒業しちゃうじゃん」
「そうだねえ」


そうだねえって、そんな能天気な事は言っていられない。今のやり取りだけで俺という存在は、白石先生の中で全く特別ではない事に気付かされた。俺はあくまで勤務先の学校に居るだけの、ただの生徒ってわけだ。


「じゃー先生、彼氏と仲良くね」


心の中では反対の願いを唱えながらそう言うと、先生は恥ずかしがって「余計なお世話」と言った。
余計なお世話か。俺が心配しなくたって彼氏とラブラブの仲良しなんですね、そうなんですね。



自分をコントロールするのは難しい。よく自己啓発的な意味で「自分と向き合う」って聞くけれど、自分は自分なのにどうやって向き合えばいいんだよと思う。鏡に向かって質問しろって事?今の俺は自己啓発が必要なのかは分からないが、少なくとも自分を制御する必要はあると思えた。だけど残念ながら一人では難しい。一人で居たって悶々と考え込んでしまうだけだ。

そんな時頼りになるのは俺の良いところも悪いところも知っているチームメイトしか居ない。くつろいでいた英太くんを「付き合って」と無理やり外に引っ張り出して、気分転換にロードワークに出る事にした。

英太くんが「それならコースを決めさせろ」と言うので、職業体験で行ってた老人ホームの近くを通った。ここで英太くんか出会ったおばあちゃんは夏休みの前に亡くなっている。夏休みには律儀にお墓参りに行ってたらしいけど。
俺は人の死に直面する可能性のある仕事は出来れば避けたいな。生きている自分の事で精一杯なんだもん。


「うわ、外車じゃん」


老人ホームを抜けてしばらく走り、広い道に出た時に英太くんが言った。
俺も男だから人並みに車には興味があるので、英太くんの視線の先に目を向ける。と、確かにそこには外車があって、色は真っ黒だった。どこかで見覚えのあるような…と思い出したのは一瞬の事であった、白石先生の彼氏と同じ車だ。


「いーなぁ、俺もいつかあんなの乗りたい」


英太くんの車の趣味はちょっぴり派手だ。だから外車に目が行ってしまうのだと思う。まあ俺もなんだけど。
そんな事よりこんな場所に彼氏の車があるって事は近くに彼氏が居て、もしかしたら白石先生も一緒に居るかも知れない。そんなのは見たくない。最悪の場合俺は見てしまったとしても、英太くんに見られるのは何だか嫌だ。


「…ちょ、英太くん目ぇ閉じて」
「はい?」
「閉じて!見ちゃだめ」
「意味が分からん」
「いいから」


無理やり目を閉じるように邪魔していると、ついに英太くんは立ち止まった。そのまま走るのは危ないから。だけど目はしっかりと開いたままで、車に乗っているのがどんな人物なのかを遠目から見ていた。


「アレ、彼女かな?」
「うぇ!ちょ、駄目」
「イデッ」


思い切り英太くんの腕を引っ張ったせいで、英太くんの服のどこかが破る音がした。


「なにすんだよ!」
「見るなって言ったじゃん!」
「意味分かんねーから」
「だって…」


だって俺以外の誰かが白石先生のデート現場なんて目撃したら、「あの先生カレシってさあ」と噂になってしまうかも知れないから。それはたぶん、良くない事だから。彼氏が居るとか居ないとかは自由だけど、白石先生の色恋が校内で噂されるのは真っ平御免だ。と、必死に英太くんの邪魔をしようとしていたけれど。


「……アレ?」


英太くんを目隠しする俺の手はピタリと止まった。車の中に居る白石先生たちを確認しようと首を伸ばすと、見慣れない姿があったから。


「何だよ?」
「いや…だって…あの車…え?あれ」


あの車、ナンバーは覚えていないけど確かに白石先生の彼氏のものだ。運転席に座っているのも、紛れもなく先日見かけた男の人で合っている。だけど違うのは、助手席に座っている女性が白石先生ではない別の人物だという事。


「天童?」


幻聴みたいに英太くんの声がこだまする。いっその事、見えている光景も幻覚であって欲しい。しかし頬をつねってみると立派な痛みがあったので残念だけど現実だ。


「何やってんだ?」
「んー」
「おい」
「ごめん。ちょっと考え事」
「え」


いや、落ち着いてみよう。今あそこの助手席に居るのは、家族や親戚かも知れないじゃないか。白石先生という彼女が居ながら別の女性とデートするなんて、そんな馬鹿な事は無い。ここは白石先生の勤務先からとても近いのだから。事実、俺と英太くんはここまで走って来たのだ。


「行くぞ」


英太くんは痺れを切らして再び走り始めた。もう車からは興味が逸れたみたいだ。でも俺は車の中に興味津々。そして、英太くんについて行くかどうか迷いながらもやっと走り出そうとしたその時。


「あれー…」


見たくないものを見た。というか、見てはいけないものを見た。車の中で先生の彼氏と女の人が、身体を寄せあって何度も何度もキスしているところ。そのままシートを後ろに倒して続きをおっ始めるんじゃないかと思うくらいの激しいやつ。

彼らは外から俺が見ている事なんて気付いていない。俺の存在に気付いていたとしても、俺が白鳥沢で白石先生と関わりがある事は知らない。ましてや白石先生に片想いしているところも。
そしてそんな光景を見せられた俺が寮までの帰り道、どれほど悶々と思い悩んでしまったかなんて知る由もないのだろう。