20190125


「無理しなくていいよ」というのは彼の口癖みたいなものだった。私が早起きして二人分のお弁当を作ろうとすれば「無理しなくていいよ」、練習試合を見に行くといえば「無理しなくていいよ」、クリスマスは練習が終わるのを待っておくねといっても「無理しなくていいよ」、その台詞だけスイッチを押せば自動再生されるのか?と疑ってしまうほど。

もちろん彼は機械人間では無いので彼の意思で「無理しなくていいよ」が出てくるのだが、ちょっとくらい無理させろというのが私の本音だった。無理して早起きをする、無理して休みの日に遠くまで応援に行く、無理して遅くまで彼氏を待つ、全部甘酸っぱくて幸せな「無理」なのだから。


「無理しないでって言ったのに」


それなのに今日、せっかく自分の誕生日だと言うのに、角名倫太郎はいつもと同じ言葉で私に気を遣うのだった。


「無理ちゃうもん。まだ六時やんか」


夕方の六時はちょうどバレー部の練習が終わる時刻だ。
今は全国大会が終わってひと段落した時期なので六時で終わるけど、年末のバレー部といったら恐ろしい練習量だった。クリスマスの夜九時に「無理しなくていいよ」はまだ理解できたけど…ううん、やっぱり無理させて欲しい。というか、その時に比べれば六時なんて可愛い時間帯じゃないか。


「帰ろっか」


倫太郎はそう言うと、正門へ向かって歩き始めた。
真冬の夕方六時はもう暗くなっていて、オレンジ色の空とは言い難い。その上寒くて凍えそうだけど、倫太郎と繋いでいるほうの手は温かみを感じた。
でも今は、せっかく繋いだ手を解かなくてはならない。


「倫太郎、誕生日おめでと」


私はゆっくりと絡めていた指を解き、鞄の中から袋を取り出した。今日のために用意した倫太郎への誕生日プレゼントだ。


「ありがとう…すご。何これ」
「クッキーと商品券」
「商品券て」
「勝手に変なもん選ばんほうがええかと思って」


色気が無いのは分かっているけど、倫太郎はお洒落な人だ。タオルなんかも腐るほど持ってるし、部活指定のタオルもあるみたいだし、これ以上家にタオルが増えるのは避けたいはず。
靴も洋服も私はセンスが無いので選べない。
選ぶのが面倒なんじゃなくて真剣に考えた結果が、この商品券だった。倫太郎は包装の中から商品券を取り出すと、思わず吹き出していた。


「女の子に商品券なんか貰ったの初めてだよ」


私だって男子に商品券をあげたのは初めてである。一応色々考えた結果なのに笑われるなんて恥ずかしいな。「すみれらしいと言えばらしいね」と言うのはフォローのつもりだろうか。ひと通り笑うと今度はクッキーの袋を手に取った。


「これ手作り?」
「せやで。得意やねん」
「そういやクリスマスも作ってくれたっけ。アレうまかった」
「それは良かった」


クリスマスは夜に合わせて家からケーキを持って行ったんだけど、今日は平日だ。授業中にケーキを机の横にぶら下げる訳にはいかず、今回はクッキーにした。
ラッピング袋から見える中身をジッと見て、うまそー、と呟くと倫太郎はクッキーを袋に仕舞った。そして、再び手を繋ぐために片手を出しながら言った。


「てか、そこまでしてくれなくていいんだよ」


ハイ出ました、倫太郎の常套句。いつ言われるかなぁと思っていたけど。


「なんで?」
「なんでって…作るの手間じゃない?」
「手間ちゃうけど」
「材料買ったり…」
「ありがた迷惑やって言うてんの?」
「そうじゃなくて」


倫太郎がこんなにモゴモゴするなんて珍しい。いつもにやにやと余裕綽々のくせに、涼しい顔して「無理しなくていいよ」って言ってるくせに。もしかして私の行動を重荷に感じているのだろうか?


「すみれが、俺のために何か無理してるんじゃないかって思うだけで」


ところが倫太郎から出てきた言葉は重荷とかそういう事ではなくて、というかむしろ逆の意味の「重荷」だった。私が倫太郎の事を重荷に思って、無理してないのかって事だったらしい。


「…なんも無理ちゃいますけど。」
「本当に?」
「なんでそんな疑うねん!」


その心配は有難いけど余計なお世話である。私はやりたいようにやってるだけなんだから。彼氏のために頑張るなんて誇らしくて嬉しくて、ウキウキする事だと思うから。
それを伝えてもまだ、倫太郎は気まずそうにぽりぽりと頬をかいていた。


「…東京居る時、元カノに色々求めすぎて振られた。から」


そして、こんなカミングアウトをしてきたのだ。
倫太郎が過去に二人くらいの女の子と交際経験があるのは知っていたけど、どうやって別れたとか、そういう事は聞かないようにしていた。なんとなく倫太郎が振ったのかなって思っていたし。私と倫太郎との今の関係だって、もしも終わりがあるとするなら倫太郎から終わりを告げられると思っていた。けど。どうやら前の彼女と付き合っていた時は、振られる側だったらしい。


「………そうなん?」
「そう」
「例えば?お弁当作れとか?」
「うん…まあ…作って欲しいなって頼んでみただけなんだけど。あの時は」
「誕生日は?」
「俺のために時間あけといてって頼んだ」
「……」


それって普通のお願い事だと思うけど、その時の彼女からすれば重かったんだろうか。それとも倫太郎の頼み方が偉そうだったとか。


「やから私にも振られるんが怖いって事?」
「端的に言うと、そう」


なんにしても過去に振られた経験があるから、同じ理由で別れる事になるのは避けたかったようだ。
なんだか溜息がでた。色んな意味で。呆れとか色々。でも嬉しさもあった。嬉しいのを前面に出すのは恥ずかしいけど。


「アホちゃう。私は頼まれたって別れてやらんからな」


だから可愛げなく、こんな言い方になってしまった。倫太郎はそれを聞くとぷっと吹き出したけど(私と話す時に吹き出し過ぎだと思う)、どこか安心したようであった。そしてちょっとわざとらしく身体を曲げて、私の顔を覗き込んだ。


「…無理してない?」
「しとらんっ!」
「そっか」
「やから倫太郎は、もうちょいワガママ言うてええねんで」
「それ男の台詞じゃない?」
「あんたが女々しいから私が言うてるねん!」
「あはは」


さっきまで不安がってモゴモゴしていたくせに豪快に笑ってる。その振動でクッキーが割れないか心配だ。大丈夫だろうけど。笑い終えて息を整えると、倫太郎が立ち止まって言った。


「はー…じゃあワガママ聞いて」
「ん」
「ここでハグして」


今度は倫太郎が絡めた指を解いて、どうぞ、といった感じで腕を広げた。
何のつもりなのか分からずに私は立ち尽くしてしまった。ハグして欲しいとか、倫太郎から言われたのは初めてだし。しかも場所が場所だし、まだ六時過ぎで人通りだってあるのに。


「………ここで?」
「無理はしなくていいんだよ?」
「なっ」


このタイミングでその台詞は反則だ。無理しなくていいよって、もっと別の時に使う言葉だ!
反論しようか迷ったけれどついさっきワガママを許してしまった手前、拒否する訳には行かないのだった。彼女は彼氏のためになら、多少の無理をするのだってウキウキするものなんだから。

Happy Birthday 0125