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もやっとメタモルフォーゼ


お盆休みはたったの三日。寮に残ってもいいし実家に帰ってもいいという事で俺は当然実家に帰っていた。洗濯も料理も何もかも、親はまるで俺を来賓のように扱ってくれるのだ。こんな息子でも離れていたら寂しいんだなと感じる。俺も言葉には出さないけど、最初の頃はホームシックになったりしたものだ。

でもその三日間はホームシックにはならず、どっちかと言うと学校シックっていうの?とにかく白鳥沢に戻りたかった。
白石先生が今どこで何をしているのか気になって仕方が無い。一人で居るのか、実家に帰っているのか(そもそも先生って一人暮らしなの?)、それとも誰かと一緒に居るのか。あの男の人とか。


「…あーあ。」


そう思うと溜息が出てしまい何もやる気が出てこなかった。寮に戻って来てもそれは変わらず、あまりに俺の溜息が鬱陶しかったのか、英太くんに心配されたほど。


「どした?」
「んーん〜」
「クネクネすんなよ気持ち悪い」
「ひっど」
「宿題終わってないとか?」


俺が憂鬱である原因は宿題だと思っているらしい。確かに俺は宿題なんか大嫌いだけど、それは終わらせている。白石先生と一緒にいる時に。高校三年にもなれば夏休みの宿題は多くはないし、実は二人の勉強会で、日本史だけでなく他の教科もちゃっかり見てもらったのだ。


「終わってるよ。とっくの昔にね」
「じゃあ何をそんなに唸ってるわけ?」


英太くんは談話室で、隣の椅子を引きながら言った。


「…言いたくない」
「俺たちの仲もここまでか」
「俺らの仲でも言えない事は言えないの!」


正直に答えられるはずもない。いくらチームのメンバーでもそんな事話したくないし、先生に迷惑がかかるかも知れないし。はぐらかし続けた結果、英太くんはハズレの予測を立てた。


「アレだろ、二学期始まんのが嫌なんだろ。勉強好きじゃないもんな」


全くのハズレってわけでもないけれど。勉強が好きじゃないのは当たりだから。「好きじゃないよ。当たり前じゃん」と頬杖をつくと、英太くんはローテンションの俺を励まそうとしたのか、少しだけ声を明るくして言った。


「まーでもさ、卒業まであと半年!って考えたらさ。なあ」


あと半年なのだから勉強するのもひとつの楽しみとして考えろ、ってトコだろうか。とても英太くんらしい前向きな思考である。残念だけど俺はそんなふうに考えられなくて、むしろ全く別の事が頭を過ってしまった。


「……半年か…」


半年後、三月の卒業式を終えれば俺は白鳥沢の生徒ではなくなる。それよりもっと前、一月や二月だって自主登校だから、行かなくたって良くなってしまう。寮だって出ても良くなるのだ。

それが何を意味するかはなるべく考えたくないし今まで考えないようにしていたけれど、今ハッキリと意識してしまった。俺が行動に移す・移さないに関わらず、白石先生と過ごせる時間は残り半年間しか無いのだと。



『これをもちまして、始業式を終了します』


始業式まではすぐだった。この比較的涼しい地方では、夏休みが少し早めに終わってしまうのだ。まあ休んでたってどうせ学校の敷地に居て、バレー部の練習があるんだけど。

司会をする放送部が終了のアナウンスをしたところで、体育館内は退場のためざわつき始めた。
そういえば俺は、白石先生がどこのクラスを受け持っているのか知らない。新任だからきっと副担任だろう。終業式の時にチェックしておけば良かったなあ。そう思いながら一年、二年のクラスのほうを眺めていた時だ。


「あっ…?」


白石先生を発見した。相変わらず素朴で、ちょっぴりダサくて可愛らしい感じ。
と言いたいところだが何かが違った。もしかして人違いでは?と二度見してしまったほどだ。最後に会った白石先生とは、何かが違う。

どうしてだろうと白石先生を凝視していると、俺の視線に気づいたのか目が合ってしまった。そして、先生がこちらに歩いて来たのだ。


「あ、天童くん。おはよう」
「お…おは…オハヨ」
「なんでカタコトなの?」


白石先生はくすりと笑っていたけれども、そりゃあカタコトにもなる。近くまで来た先生からは、なんて言うか、前とは違う匂いがするのだ。香水とかシャンプーとかそういう事じゃなくて、「白石先生のにおい」が違う。


「先生、なんか…雰囲気、変えた?」
「え、」


俺は思い切って本人に聞いた。自覚しているのかどうか。もしかしたら聞かないほうが俺のためだったかも知れないが、もう遅い。白石先生は頬を赤らめて、俺とは違う別の人を思い浮かべながら答えた。


「気付いた?こうしたほうが良いよって言われて…ほら、あのー…例の人に」


例の人。他の先生や生徒が居るこの体育館の中では、そう表現をするしか無い。だけど俺は理解した。彼氏だ。白石先生を変えたのは。

近くで見ると分かったのは、なんとなく髪が染まっていること。美容室にでも行ったのか、髪型もちょっと変わってる。もちろん教師だから派手ではない。そして爪が整っていること。前までなんの手入れもしてなかったくせに。そのほか見た目以外にも変化は沢山見受けられた。俺しか気付かないかもしれないけど、とにかく白石先生からは女性の香りが強くなっていたのだ。



始業式の直後にそんな事があったもんだから、その日の俺は全てにおいてうわの空であった。かろうじて午後の部活だけは意識を保っていたけれども、後輩の一言によって再び白石先生の事で頭がいっぱいになった。


「そういや白石先生、なんか雰囲気違ってたな」


川西太一がポツリとこんな事を言ったのだ。俺に向けてではなくて、いつも川西の隣に居る白布賢二郎に向けて。だけど賢二郎のほうは首をかしげていた。


「……そうか?」
「賢二郎は年上キョーミないもんな」
「ないわけじゃないけど。だって、先生だろ」


こいつ、年上も一応射程圏内なのか。だけど「先生」だから恋愛対象ではないと言うのか。肩書きなんかに縛られて恋愛の可能性を捨ててしまうのは、賢いとは言えないと思う。

それにしても川西はどうして白石先生の変化に気付いたのだ。先生は俺以外の人間も気付いてしまうほどの変わりっぷりだったのか?もう俺、自分じゃよく分からない。


「川西クン、ちょいちょい」


話し中の川西を手招きすると、賢二郎は一歩も動かずに川西だけが来てくれた。きっと賢二郎は俺の面倒な話に付き合わされるのが嫌なのだろう。面倒で悪かったな。


「白石先生の事ですか?」


川西はというと、そばに来た瞬間からズバッと聞いてきたもんだから目が点になってしまった。


「…気付いてんのかよ」
「気付くって言うか、まあ」


キョロキョロと目を泳がせる川西は「だって天童さん、隠せてませんよ」とでも言いたいのだろうか。


「センセーのアレ、どう思う?」


最早こいつに隠そうとは思わない。川西はきっと他言しないだろう。ちゃーんと空気も読めそうだ。その証拠に、俺の変な質問に対して的確な答えを返してくれた。


「それは、変わり方についてって事ですか」
「そう」
「え、全然いいと思いますけど。垢抜けたわけじゃないけど、なんかキレーになってる感じですよね」


すらすらと言ってのけるということは本心なのだろう。そして意見には概ね同意だ。先生は綺麗になった。悔しいけれどそう思う。だけどどうしても俺は、最初に出会った頃の白石先生にこだわってしまっていた。理由はとっくに分かってる。


「…俺は前のほうが好き」
「そうですか。まあ好みは人それぞれですよ」
「俺は前のほうが好きなの!」
「分かりましたって」
「他のやつが今のセンセが良いって言っても俺は前のが良い」
「はあ」


川西を責めるわけじゃない。俺は白石先生の彼氏と意見を対立させたい。先生は前のままでも充分に魅力的だったじゃないか。もちろん今の先生だって好きだけど。
つまり「彼氏の存在によって先生が変わった」という事実から目を背けたいのだった。あの大人の男が今の先生を褒めれば褒めるほど、俺は前の先生に戻って欲しくなるだろう。先生、このまま彼氏の色に染まってしまうのかなあ。