03
神さま、海容してください


花巻くんと二人で日直になった日は、とても嬉しくて楽しかった。
それと同時に、花巻くんには彼女が居て、私があまり花巻くんに近づいてしまうのは良くないだろうと再認識させられた。
でも、もし黒田さんの存在が無かったとしても自分から花巻くんにアプローチする勇気なんて出てこない。勇気が無かったから、一年生のうちに告白する事ができなかったのだ。

三年生になった今は文系や理系に分かれた授業がほとんどなので「班」という概念が無くなり、クラス内での席順もずっと変わらなくなってしまった。恐らく卒業までこの席順で終えてしまうのだろう。
仕方のない事だけど、逆に考えると席順のせいで一喜一憂しなくて済むので気が楽だ。近くの席になったからといって浮かれても、どうせ花巻くんには彼女が居るんだから。

そういう状態なので、日直をしてからは花巻くんと関わる機会は無くなった。三年生にもなれば全員が真面目に授業を受けるし、授業中に「ペアになって」「グループで」と指示される事も無くなる。
アレはつかの間の楽しい時間だったという事で、心の中に思い出として留めておこう。
そう思っていた矢先の事であった。


「あれ。白石さんだ」


月曜日の午後、アルバイトをしている店先で突然花巻くんの声が聞こえた。私はちょうど店の前にある植木鉢に水やりをしているところで、声をかけられなければ花巻くんに気付かなかったかもしれない。


「…花巻くん」
「ここでバイトしてるの?」
「え、ええと…うん」
「へー!」


花巻くんは店の看板や、窓から見える店内をのぞき込みながら言った。
私は家の近所の喫茶店で週に三回ほど、アルバイトをしている。ここを経営している夫婦がお母さんの親戚なのだ。だから働きやすくて、テスト期間はシフトを減らしてくれるなどの融通も利く。「ぽいね」と笑う花巻くんの言葉の意味は「喫茶店、似合うね」って事で間違いないだろうか。私もここの内装や外観は気に入っている。ヨーロッパ調で可愛らしいのだ。


「花巻くんは、部活の帰り?」


せっかく学校外で会えたのだから何か話をしたい。思い切って質問してみると、花巻くんは首を振った。


「月曜は休みなんだ。今日はさっきまでフラフラしてたとこ」
「え…それって」
「うん。松川と」


ドキン、ドキンと何度も心臓が波打った。てっきり黒田さんとデートだったのかと思ったけど、同じバレー部の松川くんと過ごしていたらしい。


「そうなんだ。何かいいもの買えた?」
「なーんにも。マジでフラフラしてただけ」
「あはは」
「白石さん、いつからバイトしてんの?」


今度は花巻くんが質問をしてくれた。
挨拶だけですぐに帰らないという事は、少なくとも私に全く興味が無いわけじゃないのかな。だけど花巻くんは優しいから、誰と出会ってもそれなりに会話を広げてくれるのだろう。私が特別というわけではない。
でも今は、特別なのだと思い込んでおきたい。


「去年だよ。秋くらいかな」
「へえ。すげーな、俺バイトした事ない」
「花巻くんは部活してるから…」
「いやー、お金稼ぐのとはワケが違うっしょ」


彼は本当に私のアルバイトについて「凄い」と思っているらしい。そんなにキラキラした目で見られると、余計な感情が湧くからやめて欲しいのに。だけどもう少しこのまま話していたい。自分の気持ちを全くコントロール出来ないのが辛い。


「じゃあそろそろ行くわ。バイト何時まで?」
「え…と、八時だよ」
「うわ、大変。頑張って」


最後に花巻くんが言った「頑張って」、やっぱり誰にでも言うのだろうけれど、この言葉のおかげで残り二時間ちょっとは頑張れそうだ。


「じゃーまた明日」


花巻くんは軽く手を振って、夕日の沈む方角へと歩いて行った。
その姿はとても眩しくて、温かくて、きらきらしている。夕日のせいではなく、花巻くんそのものから発せられる波長のおかげだ。脚の長い花巻くんはもうとっくに遠くまで行っているのに、私は「また明日」と呟いた。もしかしたらこの声が届いて、花巻くんが振り向いてくれないかなぁと思いながら。



翌朝のこと、いつものとおり早起きをして学校に行く準備をした。三年生になってからの私は早寝早起きを徹底している。なぜかと言えば、万が一寝坊でもして変な髪型で花巻くんに会う訳にはいかないからだ。

しかし、どれだけ頑張って身支度をしても花巻くんと接する機会なんて多くはない。この間の日直なんて奇跡みたいなもの。
だから今日もどんなに髪型や服装を整えたって花巻くんの目に私が映ることなんて無いかもしれない。と、思っていたのだが。


「白石さん、オハヨー」


なんと花巻くんが教室に入り自分の席まで歩く途中、私に話しかけてきたのだ。普段は教室の一番後ろを通って、窓際前方の自分の席に移動しているのに。今日は机と机の間を抜けて、わざわざ私の席までやって来た。
まさか自分に話しかけているとは思わずに無視しそうになってしまったけど、「白石さん」と呼び掛けられた事でかろうじて反応できた。しかし、かなり挙動不審気味に。


「…!?お、おはよう」
「ほんとに八時まで働いたの?」
「え、う…うん」
「ひゃー」


花巻くんは大した用事は無かったみたいで、それだけ言うと今度こそ自分の席へ向かった。

これはもしかして、確実に、昨日道端で出会ったおかげで話しかけられたのだと思う。八時までバイトだと告げた私に彼は「大変」と言っていた。親戚のお店だから全く大変ではないけれど。そして日が明けた今日もわざわざ私にアルバイトの事を聞いてくれた。会話は広がらなかったものの、私が夜八時まで働いていた事について少なからず感心している様子であった。


「……」


昨日ほんの少し話しただけなのに。私の事が花巻くんの心にちょっとでも残っていたのだと思うと、「駄目だ」と分かっていても心が動いてしまう。そして、再確認してしまう。花巻くんが好き。どうしても諦め切れない。私がいくら忘れようとしたって、彼はその何倍もの力で魅力を放っているのだから。


「花巻、今日練習試合だって?」


その昼休み、クラスメートの誰かが言った言葉が偶然聞こえた。台詞の中に「花巻」という固有名詞があったのも原因だけど、ちょうどクラスの中が静かだったのだ。
花巻くんはバレー部に所属しているので、見学に行こうと思えばいつでも行ける。だけど見に行ってるのを知られるのが恥ずかしくて、校内での練習試合すら一年以上応援に行ったことは無い。それに最近では他校との練習試合の情報なんて、あまり入って来なかったから。
だけど今日は、どうやら開催されるらしい。青葉城西の体育館で、花巻くんの出る練習試合が。


「どこ相手?」
「えーと。カラスノってとこ」
「強いとこ?」
「さあ…あんまり聞いた事ないんだよな」


花巻くんは首を傾げながらスマホをいじっていた。対戦相手の情報でも調べているのだろうか。花巻くんならそんな事しなくても絶対勝てるに決まってるよ、なんて根拠のない応援を念力で送り付けた。言葉で言う勇気は無い。


「練習試合!?それって及川くん出る!?」


その時、話を聞いていた近くの女の子が会話に加わった。同級生で同じくバレー部の及川くんのファンらしい。
及川くんも愛想が良くて顔立ちが整っていて、学年問わず人気の人だ。花巻くんに惚れている私から見ても、及川くんは非の打ち所がないほど格好いいと思う。
そんな及川くんファンの子に、花巻くんは親切に教えてあげるものかと思っていたけれど。おちゃらけだ様子で両手を挙げた。


「教えませーん」
「えー!?教えてよ!」
「つか知らないんだよ。調子よければ出ると思うけど、確定かどうかは知らね」


及川くんは試合に出るかどうか分からないのだそうだ。怪我でもしているのかな。私にとっては花巻くんが出るかどうか、という事しか興味が無いんだけれども。及川くんには申し訳ないかな。
だけど、一人で試合を見に行く勇気は無い。大勢の人が応援に行くならちょっと興味はあるけれど。


「練習試合かあ」


私の隣で、仲のいい女の子がぽつりと呟いた。私と同じように花巻くんたちの会話を聞いていたようだ。


「すみれちゃん、見に行ってみる?うちの体育館でやるの久しぶりだよね」


そして、ありがたい事に観戦の誘いをくれたのだ。花巻くんを好きって事は誰にも言っていないので、協力してくれる人は皆無だと思っていたのに。
偶然「久しぶりの練習試合」という事で、クラスの何人かは興味本位で見に行くらしかった。複数名に混ざって見に行くのなら目立たずに済む。ずるい考えだけど、そうなれば私の答えはひとつだった。


「……うん。行こうかな…」


友だちには「行こうかな」なんて興味のない素振りで返してしまった。本当は行きたくて行きたくて仕方が無い。誘ってくれてありがとうと言いたくて仕方が無い。花巻くんが試合しているところを、久しぶりに見に行けるんだ。早く放課後になりますように!