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ドラマティックはうまくいかない
何度試合を重ねても、負ける事には慣れないなあと肩を落とす。
インターハイはそこそこの成績を残したけれど結局優勝には手が届かなかった。ここで三年生が引退する高校も半数くらいはあるのだろうけど、白鳥沢は春高バレーまで残る事が出来る。それも俺がここを選んだ理由のひとつであった。
まだまだ終わりたくないなあ、一生このまま時間が止まっていればいいのにな。
と、呑気な事を考えている暇はない。春高の予選はすぐに始まるし、白石先生の事があれからずっと気になっているのだ。とはいっても、インターハイの試合中はそのことを考えずに済んだので自分の集中力には感謝したい。女の人にうつつを抜かして試合に負けてしまうなんて絶対に怒られるし、周りは俺がおかしい事に気付いてしまうだろう。それに俺だって、そういうのを理由にして集中できない事があった場合、俺は俺を許す事は出来ないと思う。意外と真面目なのである。
「あっ、天童くん」
インターハイが明けた数日後、職員室を訪ねてみるとちょうど白石先生が出てきた。勉強会を開いくれないかなと思っていたけど、先生は既に鞄を持っている。もしかして今日は帰ってしまうのかな。
「来ちゃった。先生、今日って空いてる?」
「ちょうど良かった!いま帰ろうとしてたところだから、大丈夫だよ」
帰ろうとしていたのに、俺の勉強に付き合ってくれるのか。俺にとって「勉強」というのはただの名目上の事なのに。
それでも先生がいいよと言うならその言葉に甘える事にする。先生は先生で、俺は生徒だから甘えるのって普通だよね?
「そういえば天童くん、インターハイお疲れ様」
資料集を開きながら先生が言った。白石先生も約束どおり、他の先生と一緒に応援に来てくれていたのだ。そう言えば試合が終わってから先生に会うのは初めてかも。
「ありがとー。ちゃんと見てた?」
「見てたよ。なかなか選手の人に声かける機会が無かったから、時間あいちゃったけど…残念だったね。でも凄かったよ」
白石先生は、眉を八の字に下げていた。どんな顔したらいいのか分からないんだろうなって思う。県では一番の強豪だけど、全国に出れば簡単には行かない。もちろん勝つつもりで臨んでいるけど。そんな部員に「頑張ったね」とか「良かったよ」とか在り来りな言葉をかけるのは、気乗りしない事だろう。
でも白石先生からの言葉は特別だ。白石先生が俺の出てる試合を見くれて、「凄かったよ」って言ってくれたのは嬉しい事だ。
「…ウン。ありがとうございます」
「え、あ、ごめん。そんなの掘り起こされたくなかった?」
「んーん」
確かに負けた事を思い出すのはいい気分じゃないけれど、今の俺は喜んでいるんだと言えば引かれるだろうか。きっと理解されないだろうな。
「慰めてって言ったら慰めてくれる?」
だから、逆に凹んでいる振りをした。悔しいってのは事実だし、喜んでいるより悲しんでいるほうが先生に優しくしてもらえそうだから。
「え…どうやって?」
我ながらこういう時の嘘のつき方が上手い。白石先生は少し困った様子を見せて対応に悩んでいた。そんな顔もすごくいい。俺のせいで色々考え込んでるのって、とても支配欲が満たされる。
それと同時に罪悪感もわいてきた。本当はもう、インターハイに関してはそれほど引きずっていないのだ。だから先生が真剣にウンウン唸っているのが、申し訳なくもあり。
「どうやってだろうね。俺ってば何言ってんだろねー」
「待って!私、出来る気がする」
「へ」
この話題は切り上げようと思ったのに、先生が挙手をして言った。「慰めて」という無理難題に応えてくれるとは思わなかったので、俺は間抜けに反応してしまった。
俺たちは長い机に向かって横並びに座っていたけれど、白石先生が椅子をガタガタ言わせながら座る向きを変えた。俺のほうを向いたのだ。そしてゆっくり手を伸ばしてきたので、思わずちょっと仰け反ってしまった。先生はそれでも手を止めなくて、最終的に俺の頭の上に乗せられた。
「天童くん、いつも部活お疲れ様です」
それから、自分の髪が左右にわしゃわしゃ崩れていくのを感じた。先生が俺の頭を撫でているのだと理解したのはすぐの事。
「勉強もして、実家からも離れて、ひとりで頑張ってるのは凄い事です」
白石先生は俺について褒められる箇所をひとつひとつ挙げながら、時折頭をポンポン叩いた。その間俺は目玉を落っことさないように気を配り、先生の顔を見下ろしているだけ。最後に先生が俺の頭をグッと押さえて言った。
「天童くんはチョーすごい!」
それが締めの言葉だったらしく、白石先生は満足したように手を離した。俺の頭をボサボサにしたまんま。
「…せんせー」
「どうだった?」
「それって、慰めてるって事になるの」
「え!違ったかな」
違うに決まってる。先生は俺を慰めているつもりでも、俺は先生に誘惑されているようにしか感じられない。俺にどんな気持ちを抱かれているのか知らないとはいえ、俺はもう十八になった男なのに。自ら男に手を触れて、もしもその手を力ずくで押さえ付けられてしまえば抵抗できないんだよ。俺の力は先生の何倍も強いんだから。
「…まーいいや。誰かにヨシヨシされんの久しぶりだったし、新鮮」
「ご…ごめん、子ども扱いしたわけじゃないんだよ」
「だいじょぶ」
先生は何の意識をしていなかったとしても、さっきの行動は「子ども扱い」の部類に入ると思う。俺を大人として、または男として扱っているなら簡単に頭を撫でたり出来ないはず。
俺も思い切った行動が出来ない立場とはいえ歯がゆくて、小難しい顔をしてしまっていた。そんな俺を見た先生は俺がさっきの「子ども扱い」に不服なのを察知したらしく。
「でもね、大きな試合が終わってすぐ練習始めて、おまけにこうやって勉強もするなんて凄い事だよ」
と言って、もう一度俺を褒めすぎなくらい褒めてくれた。
勉強はまぁ、やってるけど。勉強が目的じゃないし。先生に会うのが目的なんだけどな。
「…それを言ったら先生だって、夏休みなのに学校来て大変じゃん」
「ああ…学校は休みでも、先生の仕事は休みじゃないからね…」
「そんなんじゃカレシできないよ」
いつだったか俺は、先生に同じようなカマをかけた事がある。あの時は先生に彼氏が居るのか居ないのか、を探るためであった。だけど今は違う。「この間、黒い車に乗っていたあの男は彼氏なのか?」それを知りたくて聞いている。
「……先生?」
白石先生は俺の質問に答えられずに口をぽかんと開いていた。前は即答で「居ない」だったのに。今は不自然なほど目を泳がせて、ゴホンと喉を鳴らして言った。
「…えー、と、うん。そうだよね。彼氏なんて出来ないよね。そうだ。そう思う」
「できたの?」
「えっ?」
「彼氏、できたの?」
どうしても真実を知りたくて、先生が誤魔化そうとするのを遮った。嘘はつかないで。あの時一緒に車に乗り込んだ大人は彼氏だったのか教えて。知ったところで何も悪さはしないから。
先生は俺の視線に耐えきれなくなったのか、溜息とともに肩を落とした。
「…シーだよ。シー」
そして、人差し指を唇に当てたのだった。
知ってしまった。白石先生に彼氏が出来た。いつの間に?この間は居ないって言っていたのに。本当は元々居たけれど隠していたとか?いや、そんな嘘をつけるような人には見えない。
「天童くん、前も心配してくれてたもんね。カレシできないんじゃないかって」
「うん」
「でもおかげさまで、いい人が見つかって」
「うん」
「天童くんが色々緊張ほぐしてくれたおかげで、心に余裕ができたのかも」
「うん」
やはり、そうだ。先生に彼氏が出来たのは最近の事だ。この言い方だと、働き始めたばかりのあの時はそんな余裕が無かったのだ。
「どうしたの?」
先生は反応の薄くなった俺を不思議がっている。こういう時俺は、普段どうしていたっけ?彼氏が出来たなんておめでたい事を聞いたら盛り上げなきゃいけない。そうしなきゃ絶対に怪しい。おかしい。
「…なんでもない。オメデトウゴザイマス」
感情のこもっていない声だなと自分でも感じる。だけど先生は全く気付いてないらしく、「ありがとう!」と満面の笑みで答えた。よっぽど嬉しいのかよ、彼氏が出来たって事が。思わず嫌な顔をしそうになってしまったが、堪えた。
「でも、今は仕事が一番大事だから。学校の事を後回しにするつもりは無いからね」
「うん…」
俺が心から祝福していない事はなんとなく勘づかれていたも知れない。だけどその原因が、まさか俺が先生を好いているからだとは思ってもいないだろう。その証拠に先生は的外れなフォローの言葉ばかりをかけてくる。
「学校の事を後回しにするつもりは無い」?そんなの俺にはどうだっていい。
「だから天童くんも、勉強がしたかったらいつでも言ってね?」
だけど本音を伝えてしまえば、白石先生との勉強すら出来なくなってしまう。それはどうしても嫌だった。だから俺は先生がトンチンカンな方向に気を遣っているのを、そのまま受け止めた。「ありがと、よかったぁ」なんて、棒読みの声で。