02
うわべだけのメルヘン


小学生のころから、好きな人への気持ちを表面に出した事はない。告白するなんてもってのほか。自分に自信が持てなくて、いつもいつも好きな子が他の女の子と仲良くするのをジッと見ているだけだった。

いつしか「ジッと見る」行為も良くない事だと自覚して、気付かれないように盗み見る程度に変わった。今度はそれすら辛くなって、彼らが私の視界に入らないように努めるようになった。私が自分の気持ちを隠して平然と生きていられる人間なら問題ないんだけれども、そんな器用な事は出来ないから。

そして高校になって現れた花巻くんは、それはそれは良い人だった。そんな人に彼女が出来ないなんておかしいに決まってる。それなのにいざ目の前で花巻くんと黒田さんが並び、恋人同士として仲良くしているのを見ると、その現実から目を逸らしたくなるのだった。


「あれ、今日は橋本が休みか」


ある日の事、朝のホームルームで担任の先生がポツリと言った。
橋本くんという人は、今日私と一緒に日直をする予定だった男の子だ。彼が欠席という事は今日私ひとりで日直をする、あるいは代わりの人が指名されるのだろう。
そんなのは私にとってあまり興味の無い事だった。今日誰と一緒に日直をするかどうかよりも、窓際の席でペンを回している花巻くんを眺める方が大切だ。


「じゃあ花巻、代わりに今日の日直頼めるか」
「へ」


その瞬間に、花巻くんのペン回しはピタリと止まった。私の視線も花巻くんではなくて、先生のほうへと移る。どうして花巻くんが指名されたんだと思ったけど、理由は単純だった。出席番号順でいくと、橋本くんの次が花巻くんなのだ。


「いいですよ。明日もですか?」
「明日は橋本が来たら橋本な。来なかったら藤田」
「ハーイ」
「へい」


そして花巻くんと、藤田くんという別の男の子が同時に返事をした。

完全に気を抜いていた。そういえば日直の予定表が組まれた時、私の出席番号がもう少し遅かったなら花巻くんと日直が一緒だったのに!と嘆いた記憶がある。それがクラスメートの欠席によって叶うとは思わなかった。
橋本くんは病欠だとしたらたいそう辛いだろうけど、今だけはお礼を言わせてほしい。ありがとう。休んでくれて、ありがとう。


「白石さん、俺黒板消すから。日誌書いてほしいな」


一限目が終わってから、花巻くんが私の席にやってきた。
日誌は私が持っていたので書くのはもちろん構わない。元々そうするうもりだったし。けど、黒板消しを花巻くんだけに任せるわけには行かない。


「え…あ…うん。あの、私も消すよ。それか代わりばんこで」
「大丈夫!」


花巻くんは私の申し出を華麗に遠慮して、黒板消しを始めてしまった。

ああ、神様に私の下心を読まれてしまったかな。「花巻くんだけにやらせるのは申し訳ない」という気持ちの他に、「花巻くんの近くに立って黒板を消したい」という願望があったから。消している最中に手が、または身体が触れてしまったりとか。そんな期待をしていたけれど、あっけなく叶わなくなった。
そうなれば私の日直としての仕事は、取り急ぎ日誌を書くのみである。


「……」


まだ今日の欄は何も書かれておらず、まっさらな状態。まずは左上に今日の日付と曜日を書いた。それから隣には、 担当者の名前を書かなくてはならない。つまり日直の名前。私と、花巻くんの名前だ。

書き慣れた自分の名前を先に書いたけど、それも緊張した。もしかしたら花巻くんが日誌をチラリと見に来るかもしれない。汚い字を見せたくないから。そしてその隣のスペースへいよいよペンをすべらせた。失敗しないようにゆっくりと。


『花巻貴大』


書けた。花巻くんのフルネームを漢字でちゃんと書くなんて初めてかもしれない。

ほっと胸をなでおろして前を見ると、花巻くんはちょうど黒板を消し終えたところだった。私の方は見向きもせずに友人の輪の中に入っていく。
同じ日に日直を任されたとしても、私たちの仲が深まるとは限らない。そんなの分かっているけど、やっぱりちょっと寂しい。


「じゃあ今日の日直の人、ノート集めて職員室に持って来てくれる?」


ところが三限目の時に、英語の先生が嬉しい指示を出してくれた。そう言えばあらかじめ予告されていたけど、今日は英語のノート提出日だったのだ。


「ハイ」
「は…ハイ!」


花巻くんが軽く返事をし、私は一瞬声が詰まって裏返った。慌てて口を塞いだけど、誰も私の声が変だった事には気付いてないみたい。特に提出日だと忘れていた生徒は、落書きを消したりなどのノートの用意に手一杯の様子だ。


「英語のノート集めまーす」


授業が終わると、花巻くんは率先してクラスに声掛けをしてくれた。私がそういうリーダーシップを取るのが苦手だと分かってくれているのかな。だけど任せっきりには出来ないので、私も教室の端からノートを集めて回る事にした。


「出してない人ー!…大丈夫っぽいな」


最後に花巻くんが大声をあげると、みんな首を振っていたので恐らく大丈夫。欠席の橋本くん以外は。四限目は移動教室ではないけど早めに提出して戻らなくては、という事で私たちはすぐに教室を出た。


「重くない?」


歩いている最中も、花巻くんは私に向けて心優しい言葉をかけてくれた。もしこれが普通なのだしても、「花巻くんが私に」と言うだけで特別だ。


「大丈夫だよ。花巻くんのほうがいっぱい持ってるし」
「あーね。俺は全然へーき」


そう言うと花巻くんは肘を曲げて、ノートの束を軽々と持ち上げてみせた。
腕まくりしたシャツから男の子らしい腕が見えて、ドキッとする。一年生の時よりも全体的に大きくなっている気がした。細身だけれど、たくましくなったというか。


「あ」


私が腕に見とれていると、花巻くんが立ち止まった。私もつられて足を止めた。…けど、どうやら私は止まる必要が無かったかも知れない。そこに居たのは花巻くんの彼女、黒田さんだった。


「貴大、日直って今日だったっけ?」
「んーん。今日の奴が休みだったから代わった」
「へー」


話しながら黒田さんは、私たちが持っているノートの束を交互に見た。花巻くんのほうが多くの量を持っているのは一目瞭然。自分の彼氏が他の女子に優しくしているところなんて見たくないだろう。

三人の間には大して不自然な沈黙は流れていない。花巻くんは黒田さんと他愛ない会話をしているし。
それなのに居心地が悪いのは、黒田さんからの視線を感じるから。いや、もしかしたら黒田さんは私の事なんて見ちゃいないかも知れないけど。私が勝手に自分の事を邪魔者だと思っているだけ、かも知れないけど。
どうしてもその場に留まるのが辛くなり、私はゆっくりと一歩踏み出した。


「私、先行っとくね」
「あ、はーい。すぐ持ってくわ」
「うん」


それからすぐに私は前を向き、背後の二人を視界から消した。花巻くんが他の子と並んでいるのを見るのは嫌だ。とんでもない我儘だと自覚しているけど、どうしても嫌なのだ。



それ以降はノートの回収を頼まれることもなく、黒板消しの作業だけが私たちを待っていた。それも花巻くんが毎回消してくれて、私の手はチョークで汚れたりせずに、日誌に今日の授業内容を簡単に記録していくだけ。

同じ日直なのに別々の事ばかりしていた私たちだけど、実は最後の最後にひとつだけ、共同でやらねばならない事があった。そして花巻くんはそれを失念しておらず、きちんと私に声をかけに来てくれた。


「白石さん!日誌終わらせよう」


ホームルームを終えて放課後になり、教室からはだんだんと生徒が消えていく中、花巻くんが言った。
ドキッとしたけど表情だけは平静を保ち、私は落ち着いた演技をしながら答えた。


「私、書いとくよ。大丈夫」
「そう?二人で書くとこ無かったっけ」


やっぱり花巻くんは、日直の仕事をちゃんと認識している。日誌は私が書いていたけれども、一日の総まとめとして感想というかコメントを書く必要があるのだ。一応それは二人で記入する決まりになっている。


「ほらココ」
「あ、うん…ほんとだ」
「先に書いていい?」


花巻くんは自分の鞄からペンケースを出して(私のペンを借りてくれればいいのに)その部分を埋めていく。
花巻くんの字は私よりもちょっぴり筆圧が高いようだ。そして、跳ねるところを強めに跳ねてる。力強い字、っていうのかな。時折、何を書こうか迷っている時にペンを回すのも格好いい。


「……白石さーん」
「!」


花巻くんの字や手先に見とれていると、本人に呼ばれて我に返った。やばい。私、物凄く気の抜けた顔をしていたかも。


「ごめん!ぼーっとしてて」
「いいよー眠いよね分かる」
「……」


眠かったわけじゃなくて、あなたの姿に酔ってたんだよ。なんて言ったら黒田さんの反感を買うに違いない。他の子だって「花巻くんに彼女が居るのを知ってるくせに、何言ってんの?」と私を軽蔑するだろう。私自身も私を嫌いになるかもしれない。こんな気持ち、浮かんでこなければいいのに。


「白石さん、たまにボーッとしてんね」


それなのに、私が花巻くんに対する色めいた気持ちを抑えようと必死に努力しているのに。花巻くん本人が頬杖をついて、私の顔を微笑みながら見ているのだ。


「え…」
「一年の時とか。覚えてる?家庭科ん時、指切ったっしょ」


そのうえ、私の中で大事に仕舞っておいた二年前の出来事を話し始めた。そんなこと、私しか覚えてないと思っていたのに。


「…お…おぼえてたの」
「あの日は俺のカレー手作りデビュー日だから。なんつって」
「……」
「笑うトコなんだけど」
「あ!ご、ごめん」


花巻くん、普段料理の手伝いはしないって言ってたけど、カレーを作るのすら初めてだったのか…じゃなくて、本当に覚えているんだ。私が指を切ってしまった事。
そのとき花巻くんに心配そうに手を触られて、真っ赤に染ってしまった私の顔も覚えているだろうか。どうか忘れていてほしい。


「じゃあ残りは私が書くから」


最低限二人で書く場所だけは書き終えたので、私は日誌を自分のほうに寄せた。
本当はもう少し一緒に居たいけど。もしも廊下から黒田さんが現れて、赤くなった私の顔を見られてしまったら?誰にとっても得な事じゃない。


「ほんとに任せていいの?」
「大丈夫」
「じゃ、オネガイシマス」


花巻くんはペンを仕舞いながら立ち上がった。これでいいんだ。彼は練習に行かなきゃならないし。日誌は帰宅部の私が済ませて、職員室まで出しに行けばいい。
そう自分に言い聞かせて、じゃあねと手を振る花巻くんを見送った。姿が見えなくなるまでずっと、目で追いかけた。気持ち悪いな、私。かっこよかったな、花巻くん。優しかった。指、太いんだなあ。それに、


「…いいにおいだったな」


花巻くんから香るにおいは私の心に安らぎを与えてくれた。シャンプーのせい?それとも制汗剤だろうか。もしかして香水?黒田さんとお揃いなのかなって思ったけれど、恐らく花巻くんの香りは一年生の時と一緒。科学的につくられた香りではなく、花巻貴大の自然の香りとか?

そこまで考えて、自分の思考がおかしな方向に向いている事に気付いてやめた。こんな事ばっかり考えてたら嫌われる。早く日誌を済ませてしまおう。