09
とびきりに痛いスペクトル
期末テストの結果はなかなか良かった。これでも一応勉強しているし、何より白石先生に「良かったよ」と報告するのが楽しみだったから。
だけどテストの後は白石先生も採点だったり色んな事で忙しそうで、結局ゆっくり話す事は出来なかった。それでも先生のおかげで良い点が取れたよ、と言えば「よかった!」とにこやかに返してくれたので、ひとまず俺は満足だった。
夏休みも白石先生は学校に来ているものの、俺たちも暇なわけでは無い。白鳥沢はインターハイへの出場が決まっているので、それに向けてみっちり練習や合宿があるのだ。
試合に負けるのはもちろん御免だし、試合に出して貰えないのも勘弁だから、練習のほうもしっかり参加した。メキメキ伸びちゃってる下級生も居るので気を抜けないのである。
「そうなんだ!天童くんもまた出るんだね」
夏休みに入ってから一発目の、白石先生との勉強会。
先生はインターハイの話をすると感心したように乗ってくれた。資料室での勉強会は俺としては毎週やってくれてもいいぐらいなんだけど、なかなか都合が合わなくてこれが二回目だ。事前に約束しておくのも難しくて、俺が職員室まで行った時に白石先生が偶然居れば「このあと勉強教えて」なんて言えるんだけど。先生も先生の用事が色々あるみたい。
「そうだよー、インターハイ観に来る?ブラバンとかチア以外の人も結構来てくれるんだよ」
勉強の合間はここぞとばかりに試合へのお誘いをした。が、今回はあまり苦労しなかった。先生は既に乗り気だったのだ。
「もちろん行くよ!他の先生も、行ける人は行くみたいだから」
「本当?やったー」
さすが全国大会と言うだけあって、他の先生達も来るのが決まっているらしい。応援専用のバスが出るのはいつもの事だけど、やっぱり全国の時は学校側も気合いの入り方が違う。こないだの春高も、その前のインターハイもそう言えば物凄い量の応援団だった。
そうと決まれば先生には、せっかくだから応援を楽しんでもらわなくちゃ。
「白石先生、ルールちゃんと覚えた?俺が何の役か知ってる?」
「えっと、ルール…はあんまり覚えてないや」
「もー」
「ごめんね」
全然謝る必要なんか無いんだけど、申し訳なさそうに眉を下げるのがかわいくて、つい拗ねたふりをした。こんなにデカい男子高校生の猿芝居、普通なら鼻で笑いそうなもんだけど。先生は「頑張って覚えるね」と言ってくれた。
「良かったら、ルールの事は天童くんが教えてくれる?」
これも生徒である俺の気分を上げるための手段なのだろうか。
そう思いながらも俺は嬉しくなってしまった。俺が今頑張ってる事を説明させてもらえるのは誇らしい。先生に普段とは逆の「教えて」と言われるのもくすぐったい。だから俺は、単純に気分を良くしてしまった。
「…でね、俺はココでブロックとかすんのね」
適当なプリントの裏を使って、俺はコートの絵を描いた。こんなもの描くのは何年ぶりだろうか。誰かに簡単なルールを説明するなんて初めてかも。そう言えばちっちゃい時、親にも「教えてあげる」って得意げに話した事があったっけなあ。
「ブロックって分かる?」
「分かる!こないだやってたやつ。パシーンっていうやつだよね」
「そー」
パシーンというかバシーンッて感じだけど。先生の手じゃバシーンなんて出来なさそうだけどね、なんて笑うのはやめておいた。もし先生がムキになってブロックに挑戦してしまったら、可愛い手が腫れ上がってしまいそうだから。
俺があれこれ説明していると、先生は大きく息を吐いて感心したように言った。
「本格的な試合はこの前初めて見たんだけど…天童くんって本当に凄いんだね」
人に褒められて身震いするのは初めてだ。先生が俺の事をスゴイって褒めてくれた。目の前にいるのが俺ではなかったとしても同じように褒めるのかも知れないけど、それでも口の中に妙に唾液が溢れるのを感じた。
「見に来てくれたらもっと凄いトコ、沢山見せてあげるよ」
だから試合を見に来た時は、出来るだけ俺の事だけ見てて欲しい。もちろん試合の流れも大切なんだけど、その中でも俺がどんな活躍をしているかだけに注目してて欲しい。
「頼もしいねー。川西くんも五色くんも幸せ者だね、こんな先輩が居て」
だけど、そんなのは無理だった。つい忘れがちになってしまうけど、白石先生は川西太一や五色工の世界史を教えているのだ。もちろん他のバレー部のクラスも。先生が応援するのは俺だけじゃない。「先生」だから生徒みんなを応援するなんて当たり前の事だけど。
「あ!」
その時、先生が教室の時計を見て声を上げた。さっきまでより大きな声だったから俺もびっくり。
「ごめん。もうこんな時間だ…実は用事があって」
「えっ」
用事と聞いて、残念な気持ちは芽生えつつも申し訳なさの方が勝ってしまった。白石先生は三年の日本史なんて担当していないのに、わざわざ俺のために教えてくれている。そのせいで先生が他の仕事を疎かにしてしまうのは、俺の望む事じゃない。
「先生、今日忙しかった?ごめん」
「こっちこそごめんね、最後のほう勉強できなくて」
「ううん。俺は大丈夫」
だって俺は話すのが楽しかったから、勉強以外の事を。少しでも多くの俺を知ってもらう事が出来たから。だけど先生は、俺がそんな事を考えながらここに座っていたなんて思いもよらないだろうな。
「じゃあ頑張って。インハイ行くからね!」
白石先生はガッツポーズを見せてから、元気よく資料室を出て行った。
恐らくこれでしばらくは、白石先生の時間を貰うのは難しいだろう。バレー部は遅い時間まで練習になるし、明後日からは近場の県に泊まりの遠征。そうこうしているうちにインターハイの本番が来る。その時に先生にかっこいい姿を見せられるように、しっかり練習しなきゃ。
それから俺は寮に戻って、談話室に集まっている同級生のところに行った。この時間はいつも自由なんだけど、一緒に過ごす人間は大体決まってる。ので、普段どおりに英太くんのところへスキップしながら近付いた。
「エーイーターくーん、コンビニいーこーう」
「いーかーね」
「なーんーで」
「なーんでも」
「その歌、流行ってるのか?」
歌ってるつもりは無かったんだけど(英太くんもそのつもりは無いと思う)、近くで聞いてた獅音くんに突っ込まれた。英太くんは俺の事なんて無視して漫画を読みふけっているようだ。薄弱なやつ。
「行こうよケチー」
「俺はさっき行ってきたの!一応誘おうとしたけど居なかったのお前だからな」
「ちぇ。勉強してたんだもーん」
俺は真面目に学生としての勤めを果たしていただけなのに、まったくもう。諦めて一人で行こうかな。お金いくら持ってたっけ?ポケットに手を突っ込んだ時、英太くんが漫画の上から顔を覗かせた。
「勉強ってどこで?」
「資料室」
「わざわざ?」
「先生に教えてもらってたんだもん」
「へえー」
どの先生に教えて貰ってたのか、ってのは聞かないんだな。聞かれても構わないしむしろ言い触らしてやりたいくらいだけど。俺と白石先生は二人きりで勉強するほど仲良しなんだよ、と。
「いいや。一人で行ってこよ」
「おう。あ、近所のコンビニ、お前の好きなアイス売り切れてたぞ」
「えー!?」
「残念でした」
聞きたくなかったような、先に知ることが出来て有難かったような。あのアイス、買い置きが無くなったから今日たくさん買おうと思っていたのに。
「しょーがないな…」
まあ、無駄足を踏まずに済んだことはラッキーだと考えよう。
いつものコンビニは寮から徒歩五分くらいで、とても近い場所にある。もう少し歩けばほかのコンビニとかスーパーがあったりして、色んなものが手に入る。今日は白石先生とお話できて気分がいいし、久しぶりに自転車で遠出してみようかな?
というわけで寮生が自由に使用を許可されている自転車を借り、駅のほうまで行ってみることにした。夏休みに入ってから本屋にも行ってなかったし、何か新しい単行本が出ているかも。
「あっつー」
駅まで自転車を漕ぐこと十分。夕方だけどまだまだ暑くて、少し汗ばんでしまった。
自転車置き場に駐輪して鍵をかけ、まずは本屋に入るため歩道を歩く。と、すぐ横の車道を黒い車が通り過ぎた。
「…わ。すげーいい車」
思わず声に出るくらいには、その車は格好よかった。というより高校生の俺でも知っているブランドで、明らかに高級車だって分かるやつ。
どんな人が乗ってるんだろう?いつか俺も車を持って、先生をドライブに誘ってみたいなあ。白石先生ってドライブとか興味あんのかな。
「…ん?」
俺はそこで足を止めた。駐車した車の中から出てきたのは知らない男の人だったけど、そこで誰かを待っているようなのだ。そして、待ち合わせをしているらしき相手の人が車に近づいていくのが見えた。その人に見覚えがあったから、俺は近付くのをやめて立ち止まったのだ。
「……ん!?」
何度自分の目ををゴシゴシと擦っても、その光景に変化は無かった。チョーかっこいい車から出てきた男のもとへ、ほんの数十分前まで俺と資料室に居た白石先生が駆け寄っているではないか?
俺はそこから一歩も動けず声を出すことも出来ずに、先生が車に乗り込んで発車するのを黙って見ていた。
頭が真っ白になって我に返った時には、再び寮の談話室。当然のようにアイスは買い忘れた。だけどアイスの事なんてもう頭にない。あれってもしかして彼氏?そうじゃなきゃ男の車に乗らないよね?父親っていう年齢じゃなかった。
白石先生、大人の彼氏が居んの?