夜が満ちる前に
あなたのものにしてね


零時ちょうどの初詣を舐めていた。周りは集まった人ですし詰め状態だけど、元日の駅伝を見てからにすればよかったと嘆くのはもう遅い。


「もうすぐお賽銭箱見えるよ」


そんな中、頭の上で呑気な声がした。元はと言えば天童くんが急に誘ってきたのが悪い。何の準備もしていなかったので防寒対策が不完全だし年越し蕎麦もまだ食べていなくて腹ぺこだってのに、この人の「神社でカウントダウンしたい」という我儘に軽々と乗ったのが間違いだった。


「何お願いする?」
「内緒。ていうか考えてないし」
「早くしなきゃ順番きちゃうよ」


もうすぐ自分たちの番だとか、それはあなたの目が凡人よりも高い位置にあるから把握出来ているだけである。それに初詣のお願いごとって普通、簡単に口に出すもんじゃないと思うんですけど。私の夢を叶えさせない気か。


「天童くんは何をお願いするの?」
「んー?」


俺はねえ、と天童くんは警戒心ゼロで自分の願いを語ろうとした。
その時、人の流れが急に強くなって後ろから思い切り押されてしまった。力を抜いて突っ立っていただけの私はバランスを崩し、満員電車に揺られた時みたいに身体が傾く。しかし電車と違うのは、手をつく場所も吊り革も無いという事。その代わりにあったものは、天童覚の身体であった。


「ぶっ」
「わあ」


天童くんの、あまり分厚いとは言えない胸板に顔面をぶつけてしまった。本当は手をつくか迷ったんだけど、手を出したらまるで抱きついているみたいになっちゃうし、と言う謎のプライドによって私は鼻を強打した。


「大丈夫?」
「い…痛い」
「さすがにすごい人だね」
「だから言ったじゃん!」


恐る恐る鼻を触ってみると、よかった鼻血は出ていない。だけど私と天童くんとの距離は一気に縮まって、むしろピタリとくっついて、天童くんの胸の中にすっぽり収まっていると言っても過言ではない。


「ねー、シャンプー変えた?」


意図的なのか不可抗力か、私の前髪をふうふう吹きながら天童くんが言った。


「…なんで分かるの」
「クンクンしてるから」
「クンクンしない!」
「するー」


今度はふうふうじゃなくて本当にクンクン音をさせている。確かに年末のセールで親が買ってきた高いシャンプーに変えたけど。今まで髪を匂わせた事なんか無いのになぜ気付くんだ、恐ろしい。


「…あ、ほら。そろそろじゃないの、お参り」


人に押されたり髪を匂われたりしているうちに列が進んで、まもなく自分たちの番になっていた。
が、先程までノリノリだった天童くんが動かない。「どうしたの?」と天童くんの袖をやや強めに引っ張りながら声を掛けると、ようやくトロトロ前に進んだ。しかし、なぜか浮かない顔だ。


「…うん。お願いごと考えてる」
「へ。考えてなかったの?」


この期に及んで何を悩んでいるのか。もうあと数人で私たちの番だ。ちょっとイラついてしまって天童くんの背中を押すと、その力で上半身を揺らしながら言った。


「だって今、ハグのお願い叶っちゃったしぃ」


目が点になった。ハグ? もしかしてさっき私が天童くんに突進してしまった時の事? あれってハグでいいのか。それより天童くんのお願いって、私をハグする事だったの?


「そだ。キスにしよっと」


しかし勝手に自分の中で解決したらしく、今度は天童くんが私の手を引っ張った。お賽銭箱の真ん前に。
ちょっと待ってキスなんて聞いてないし、この流れで行くとキスの相手は私って事になるのでは?


「そういえば何にするの?願いごと」


天童くんは手を合わせながら、未だにこんな事を言っている。本当は同じようなお願いをする予定だったなんて言ってやるものか。
「天童くんの舌を噛み千切れますように」と言いながら手を合わせると、横で「痛った〜」と笑っていた。噛ませる気なんかないくせに、噛むつもりがないのも知ってるくせに。
そもそも噛み千切るためにはまずキスをしなきゃならない。悔しいけれど天童くんのお願いごと、叶えてやるか。