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生活必需品・六百円+α


今日はきっとあのお誘いがあるだろうなと思っていた。先日の合コンで教育学部の女の子をお持ち帰りしたらしい鈴木は、その子と上手く行かなかったらしいのだ。
もう同じ伝手での合コンは難しいだろう、というわけでアルバイト先のメンバーを集めた合コンを開催するというのを耳にしたのである。そして、きっと俺も呼ばれるんだろうなと思った。


「赤葦、次の金曜日暇!?」


案の定、いつもつるんでいる友人の一人が言った。誘い方と曜日のおかげで俺は予感が的中したのだと理解する。そして、あらかじめ用意しておいた断り文句を伝えた。


「予定は無いけど合コンなら行かないよ」
「何で予定が無いのに合コンを断るんだよ」
「何でって言われても…」


もう何度も断っているのにどうして察してくれないんだろう、そもそも合コンというものに興味が無い事を。お金だって男側が多めに払わなきゃいけないだろうし、そうまでして対面した女の子が全く話の合わない子だったらと思うと恐ろしい。俺は会話を盛り上げる技術を持っていないし。それに、たとえ俺に話術や金銭的余裕があったところで合コンに行く事は出来ない。

…と長々説明するか悩んでいた時、食堂に数名の女の子が入ってきた。教育学部の女の子たちだ。先頭に居るミカちゃんは俺が見ても分かるくらいご機嫌ななめの様子。


「あっミカちゃん」
「あっミカちゃん、じゃないよ。鈴木くんさあ、良い感じだったのにカナコのこと無視して別の子と遊んでたって聞いたけど」
「う」
「さいてー」


危うく俺もミカちゃんと一緒に裏声で「さいてー」と言うところだった。この男、前回の合コンで仲良くなった女の子(それがどうやらカナコちゃん)が居るというのにまた別の子と遊んでいたらしい。特定の彼女が居ないなら許容範囲内かと思うけど、あまりにも内輪に手を出し過ぎだ。生徒数は多いとは言え、同じ大学内なら噂はすぐに広まるのだから。

だからっていう訳じゃないけど、俺は真面目に一人の女の子しか相手にしていない。その子はちょうどミカちゃんの後ろから顔を出して片手を挙げたところである。


「赤葦くん、おはー」
「おはよ」
「これ昨日行ってたDVD持ってきたよ」


白石さんは俺の隣の椅子を引き、鞄を開けながらそこに座った。昨日メールをしている時に好きな歌手の話になり、偶然白石さんがその歌手のコンサートDVDを持っているから貸してくれる、という話になっていたのだ。


「わざわざ持って来なくていいのに」
「いいのいいの」
「ありがとう。あ、今日家行っていい?」
「いいよー」


よかった、昨日・一昨日と白石さんはバイトだったから洗濯ができなかったんだよな。合鍵を作るかという話にもなったけど、それはある程度長く付き合ってから改めて考えようって事にした。だから白石さんが家に居る日でなければ俺は洗濯が出来ない。
その会話の一部始終を聞いていた友人の視線には気付いていたけど、口を挟んでこないので気付かないふりをしていた。が、会話が落ち着いたところで我慢できなくなったらしく俺の肩を思い切り組んできた。


「……赤葦ちょっといい?」
「なに」
「なに、じゃねえわ!なんですみれちゃんと自然〜な感じで隣に座って、自然〜な感じでモノの貸し借りして、自然〜な感じで家に行こうとしてるワケ!?」


そんな言われ方ってあるだろうか。付き合ってる彼女と隣に座って、モノの貸し借りをして、家に行くぐらい普通の事では?
むっとしたけど、そう言えば俺、友人たちに彼女が出来たことを報告していなかったかも知れない。


「赤葦くん、言ってないの?」
「言ったと思ったんだけど」
「聞いてません!」
「ごめん。俺たち付き合ってるんだ」


それならいい機会なので今報告しようと、白石さんと並んできちんと交際宣言したのだが。聞いてないぞと怒っていたくせに「聞きたくなかった!」と嘆かれてしまった。



一時は責められそうになったものの、ひとまずその場の全員が俺と白石さんの事を祝ってくれた。しかし俺たちは今まで、学校であまり話したり一緒にいる事が無かったので驚かれていた。そういえばそうか。どこで恋を育んだって聞かれると、学校ではなくてコインランドリーの中なのだから。


「あっ、そうだ!」


帰り道で白石さんが声を上げた。白石さんはよく思いついたように突然目を広げて話し始めるので、最初は驚いたけどもう慣れっこである。


「どうしたの」
「柔軟剤がそろそろ無くなりそうなの、買って良い?」


たいていこのような日常的な内容なので、俺は今回も快諾した。なんせ俺も使わせてもらう身だから断る理由は無い。白石さんのバイト先の近くに大きめのドラッグストアがあるのでそこに入り、洗剤のコーナーを回ってみる事にした。


「なにか好きな香りある?」
「俺はどれでもいいよ。白石さん好きなの選んで」


特にこだわりが無いので素直にそう伝えると、白石さんはウンと頷いてから陳列棚を指で辿り始めた。そしてたぶん、今の会話がとても恋人らしい雰囲気であったのを自覚したのか頬が染まっていた。俺には見えてないと思っていそうだけど。それからピンク色の柔軟剤を手に取ると、咳払いをして言った。


「…思ったんだけどさ、私たち、付き合ってから二週間くらい経ってるよね」
「うん」
「そろそろ下の名前で呼んだ方がいいよね」


その言葉には俺も瞬きのみを返してしまった。白石さんの言う事は一理も二理もある。
苗字で呼ぶのに慣れていたものの、大学二年の男女が付き合い始めたのに二週間も名前で呼ばないなんて、世間的にはちょっと遅いほうではないか。周りの目なんて気にしなくて良いんだろうけど概ね賛成である。という事で、早速呼んでみる事にした。


「そうだね。…すみれ?」


呼んだ瞬間に白石さんは火がついたように赤くなり、全身の毛が逆立ったのではと思うほど身体全体で反応していた。俺も自分の口から「すみれ」と呼んでしまった事が予想以上に照れくさく、思わず口を覆ってしまった。


「…やだいきなり呼ばれると恥ずかしい」
「だろうね。俺も恥ずかしかった」
「でも苗字のままっておかしいよね」
「おかしいっていうか、どうせなら名前呼びたいかな。呼んでほしいし」


とてもドラッグストアの柔軟剤コーナーでの会話とは思えないが、今呼び方を変えなければなあなあになってしまう気がする。白石さんも同じ気持ちらしく、口を色んな形に変えながら俺の名前を呼ぼうとしている。そして、柔軟剤が飛び出そうなくらいに容器を強く握った。


「…京治」
「うわ」
「ひゃーっ」
「恥ずかしいなこれ」
「慣れるまで大変だね」


呼ぶほうも呼ばれるほうも、これは心臓に悪いかも知れない。いつか自然に呼べる日が来ると良いんだけど。
とりあえず、たった今白石さんが握り潰しそうになった柔軟剤をカゴに入れて、店内をもう少し見て回る事にした。


「…金曜さ、もし私と付き合ってなかったとしたら…合コン行ってた?」


健康食品のコーナーを見ながら、白石さんがふとこんな事を言い出した。お互い合コンに行くような人種ではないと、分かってくれていると思ったのだが。


「行かないよ。どうして?」
「なんとなく」
「行かない。前も断ったし」


今はもちろん白石さんという彼女が居るからだけど、居なかったとしても行かない。合コンでの出会いで上手く行く自信が無いから。
白石さんは俺の答えを聞くとしばらくは無言だったけど、やがて「そっか」と短く言った。あくまで興味が無さそうに、俺の事なんて心配していないのを装いながら。


「安心した?」
「べつに」
「そう」
「…まあ、ちょっと安心したけど」
「したんだ」
「ちょっとだけだもん」


これは相当嫉妬深い女の子を彼女にしてしまったようだ、架空の設定で心配されてしまうとは。
だけど俺の頭は既に、このネタを使って暫くは遊ぶ事が出来そうだなぁなんてひどい事を考えていた。こんなに嬉しい事ってなかなか起こらないと思うから。それに、こんなに可愛い姿もなかなか見られないと思ったから。


「行っちゃだめだよ」


白石さんはもう一度、ムスッとした様子で言った。俺が心の中で面白がっているのを勘づかれたかも知れない。


「行かないよ」
「私がバイト中だからバレないって思って行くのもナシだからね?」
「そんなのするわけないじゃん」
「ほんとに?」
「ほーんーと」


ほんとかな、と相変わらず疑うので俺は白石さんの手を黙って握った。
すぐに白石さんは静かになって、手を繋ぐことすら未だに緊張しているんだなと嬉しくなる。そして、手を繋げば多少の問題は彼女の中で流されてしまうのだと分かり、またおかしくなった。同時にたまらなく、白石さんの手以外の全部を手に入れたいと感じた。


「赤葦くん?」


手を握りあった状態で俺が立ち止まったので、白石さんは不思議そうに見上げてきた。言ってもいいかな、ここで。言いにくいな。だけど今日洗濯のために部屋に上がってしまったら、もう我慢できないかも。


「あっち寄っていい?」


左手に買い物カゴ、右手に白石さんの手を持つ俺は顎で「あっち」を指した。
白石さんはわざわざ俺がなんの許可を得ようとしているのか、初めは分かっていなかったらしく。「あっち」のほうを暫く見つめて、そこに何が売られているのかを理解するまで時間がかかっていた。が、やっと分かって貰えたらしい。口をぱくぱくして、憤慨するようにこちらを見て来たから。


「……そういうのって普通、私にバレないように買うもんじゃないの!?」
「そうしたかったけどコンビニ行くより安いかなって」
「もう!なにそれ信じらんないっ」


俺もあまりスマートなやり方では無いと自覚しているけど、ここで買うのが一番効率的なのだ。しかし白石さんはあまり歓迎している様子じゃなくて、残念だけど彼女の機嫌を損ねてまで買おうとは思わない。


「じゃあ買うのやめとこっか」


二週間じゃあ早かったかな。また別の誘い方を考えよう。と、そのままレジに向かおうとする俺の手を白石さんが引っ張った。と言うよりは手を繋いだまま白石さんが動かずに、避妊具の売り場と俺とを交互に見ているのだ。


「…持ってないの?」


じとっとした目で白石さんが言った。そう聞かれると答えるのは恥ずかしいけど、嘘は吐きたくないので俺は真面目に答えた。


「いや…だいぶ長いことしてないから。古いやつ使うのは心配で」


最後に付き合っていた彼女と別れたのは、大学一年の夏ごろだ。ちょうど一年前くらい。という事は俺の部屋にある避妊具は一年間触られておらず、引き出しの中に仕舞われたまま。日本の技術を疑うわけではないけれど、こういうのは新しく買うべきなんじゃないかと思うのである。白石さんだって俺が他の女の子に使ったものの残りを使われるのは嫌だろうし。
でも、今日この場で買うのが嫌なら仕方ない。今夜はまだ俺に身体を許してはくれないという事だ。

しかし、「行こうか」と再びレジに進もうとする俺だったけど、白石さんがさっきよりも強く俺を引っ張って止めた。


「買って来て」


そして、果たしてこの子に恥ずかしさとか周りの目を気にする感情が備わっているのか疑問であるが、真っ直ぐに避妊具売り場を指さしながら指示された。顔は充分に赤かったので恥ずかしいのは恥ずかしいのだろう。俺もこんな白石さんと手を繋いでいるのは恥ずかしい。
が、それ以上に喜ばしい。どうやら今夜は洗濯をさせて貰えるだけでなく、恋人として一歩先に進むのを許してくれたようだ。