100000ヒットのリクエストで書かせていただいた、国見くん「君の光をダウンロード中」の続編です。


あれから国見くんとは、顔を合わせれば奇妙な空気になってしまうのだった。私はもう国見くんの事を「好き」と言っても過言では無い。なんといっても顔が好みである事を知られているのだ。
だけど私は国見くんの気持ちが全く分からない。このあいだ、帰りに会った時に彼は「嫌な気はしなかった」という事を言っていた。だけど、イコール私の事を好きだとは限らない。私をからかってみるために言っただけかもしれないし。そんな冗談を言う人ではないだろうけど。

とにかく私の中ではそんなモヤモヤがあるせいで、国見くんを前にするとしどろもどろになってしまうのだ。そしてそれは化学の授業で実験のペアになってしまった今も継続している。


「次、どうするか聞いてた?」


真横で国見くんに言われて、咄嗟に顔を上げた。国見くんとペアの状態で集中できるわけが無い。でも授業をちゃんと受けていないと思われるのが嫌で、うっすらと耳に入ってきた先生の指示を復唱した。


「……うん。ええと、ガスバーナーに火をつけて…」
「待って」


チャッカマンを手に取った私を国見くんが制止した。びっくりして危うく指を引いてしまいそうになる。国見くんはそれも見越していたらしくて、持ち手のほうに手を伸ばしながら言った。


「白石、絶対失敗するだろ。貸して」


そして私がウンともダメとも言わないうちに、チャッカマンを取り上げられてしまった。絶対失敗するって失礼な。花火で使った事だってあるんだけど。


「…火くらい使えるよ…」
「信じられない」
「うっ」
「ちゃんと観察して」


カチ、と国見くんがガスバーナーに火をつけた。私を見くびっているのか、それとも男の子だから火を使う作業を買って出てくれたのかは分からない。後者ならとても素敵だなと思うけど、国見くんって女の子に対してそういう気を遣える人なのだろうか。
そのうちガスバーナーで温めたビーカーの中では、先程まで透明だった液体が白く濁り始めた。


「なんか濁ってきた」
「そうだね…これでいいのかな」
「たぶん」


教科書には「やがて濁り出す」って書いてあるから正しい実験結果なのだろう。
国見くんはまじまじとビーカーの中を観察している。そんなにこの実験が楽しいのかな。特に楽しそうな顔ではないけれども。それより、ちょっと背中を丸めてビーカーを見つめる国見くんの横顔に見入ってしまった。


「……」


美しくセンターで分けられた前髪は元々そういう生え方をしているのだろうか。その真ん中から筋を成す形のいい鼻と、少し眠たそうに垂れているふたつの瞳。まつ毛はあまり長くない。それなのに幅のそろった二重のおかげかとても目が大きく見える。
と、私はいつの間にか実験ではなく国見英の顔を観察していた。そしてそれを本人に気づかれたみたいで、国見くんの目がギョロリとこちらを向いた。


「わ、」
「見過ぎ」


私の視線があまりにも強かったのか、凝視しているのがバレていた。誤魔化すために教科書を立てて読み込むふりをしたけれど、教科書が上下逆さまになっていた。もう最悪。
私の慌てっぷりを目を逸らさずに眺めていた国見くんはとうとう小さく吹き出して、ボールペンで自身の顔を指しながら言った。


「そんなにこれが好き?」


その後も私の顔をじっと見ている。別にあなたは私の顔が好きなわけじゃ無いでしょうに。
顔が好きか、と本人に聞かれて好きだと答えるのはとても恥ずかしい。


「…ちがわな、いけど」
「授業に集中できないほどってヤバイね」
「ご、ごめん」


確かに国見くんの言う通り。今は化学の授業で火を使った実験の最中だ。今日の実験が成績に響く事は無いのだろうけど、きちんと集中しなければ火傷の恐れだってある。私がミスをすれば国見くんに迷惑がかかってしまう。今だって、たった十分程度の実験に集中できていないのを指摘されてしまったのだから。呆れられてるに決まってる。


「ねえ、あの、国見くん」
「ん」
「ペア、代わる?」


思い切って聞いてみた。横でそわそわしている女がペアだなんて気が散るだろうし、しかも自分の事を好いている女なら尚更やりにくいだろう。と言うか偶然近くに座っていたとは言え、よく私と組んでくれたものだ。だけど、国見くんは私の申し出に首を傾げていた。


「…なんで?」
「だって私、集中できてなくて」
「それは俺がペアになってるせいだって事?」
「じゃなくて!私がこんなだったら、国見くんに迷惑じゃないかと」


国見くんは首を傾げたまま、考え事をするように黒目をぐるりと動かした。答えにくい事を言ってしまったかも。最後には彼の目は私をとらえて、瞳に自分の姿が写されているのを感じてドキッとする。


「迷惑じゃないよ。だから組んでる」


更にドキッともう一度、息が止まるような感じがした。迷惑じゃないのか。じゃあこのまま私と実験のペアを続けてくれるという事。


「……アリガト」
「いいからコレ。実験の結果」


机に置かれたプリントをトントン叩いて、国見くんが言った。
今ガスバーナーで熱した事により液体が白く濁ったことを書かなくてはならない。どのくらい燃やし続けたんだっけな。ていうか、私がこれ書くの?ずっと国見くんにガン見されてるんですけど。


「…白石はさ、」


必死に綺麗な字を書こうと努めていたら、国見くんは頬杖をついて話し始めた。


「俺に近づきたいのか近づきたくないのかどっちなの」
「え…」


まだ自分の名前しか書いていないのに、ペンの動きが止まった。何その質問、今その質問?


「好きなのかと思ったけど近寄って来ないし。かと思えばガン見してくるし、正直わかんない」


そう言う国見くんは私の事をガン見したままである。
やはり私の気持ちは知られている。だけど、だからこそ私はあまり国見くんに自分からアプローチをする事が出来ない。だって国見くんが私をどう思っているのか分からないんだから。迷惑だったらどうしようって気持ちもあるし、「こいつ俺のこと好きなんだよな」って思われながら対応されるのは物凄く恥ずかしい。
でも好きだから顔を見たい。それは国見くんの顔が好きという理由だけではない。好きな人の顔って、無意識に見てしまうものだもん。だけど本人からそんな事を聞かれるとは思わず。


「………」


無言で俯いていると、国見くんが溜息をつくのが聞こえた。呆れられたかな。無視すんなよって思われた?
どうしよう何か言わないと、と頭をぐるぐる回転させていると視界に再び国見くんの指が現れた。人差し指でプリントの空きスペースを指さし、そこをまたトントン叩いている。


「え、」
「言えないんだろ。書いて」


分かっているのに書かせようとする国見英という人を、好きになってしまったのだから諦めるしかない。
周りは実験でがやがやしている。その中で私たちの周りだけ時が止まったように静かになって、全てがスローモーションのように感じた。国見くんからの眼差しを受け流す事は出来ない。国見くんは私の顔と手元を交互に見ていた。書くのを待っているかのように。
どうせ知られているのなら書いてしまえ。私は唾を飲み込んで、二文字だけをゆっくり書き出した。


『すき』


書き終えた文字を国見くんが無言で眺めている。小学生のとき、書道の先生に書いたばかりの字を観察された時の気持ちに似ていた。状況は全く違うのに、不思議とそんな事を思い出していた。


「本当?」


私は文字で書き表したのに、国見くんは言葉で私に質問をした。ウンと小さく頷くと「ふーん」と鼻から抜けるような返事。なんと反応の薄い事か。もしかしてこの恋、化学の授業中に終止符を打たれてしまうのか。
額に冷や汗が流れ始めた時、国見くんがプリントを自分のほうにスライドして寄せた。びっくりして彼のほうを見るとペンを持っていて、私が書いた字のすぐ近くに何かを書き始め、そして私に見せた。


『おれも』


それを見てまた、まわりがシンと静まり返るような感覚に陥った。これは国見くんが書いたもので間違いない?国見くんの気持ちで合っている?

思い切り顔を上げると、国見くんは唇に人差し指をあてていた。私が驚きのあまり騒ぎ出すと思われていたらしい。実際、国見くんが「シー」と言っていなければきっと騒いでいた。化学の先生は私語に厳しい人だから助かった…と思っていたのに。国見くんは続けて何かを書いた。


『ちなみに』


ちなみに、なんだろう。不思議に思っていると国見くんと目が合って、少しだけニヤリと笑ってた。それから書かれた文字を辿っていくと、思わず目玉が飛び出るような事が。


『顔以外もすき』
「なっ!!?」


ガタン!と私の足が机に当たり、大きな音が化学室に響いた。途端、本当にシーンと静かになる化学室。しかも全員の目が真っ赤になった私を向いている。先生の目も。


「白石、どうしたー」
「あ!す!すみませ」
「終わってるのか?白石から発表してもらおうか」
「え!?」


やばい。実験そのものは終わったけれどとてもそんな心構えはできていない。慌ててペアの国見くんを見ると、なんと彼は口元に手を添えて震えていた。というか、笑いを堪えていた。
…この人、わざと私に大声出させたな。


「……私、国見くんとペアです!」


部屋中に響くように私は言った。だって事実だし。笑っていた国見くんはぽかんとして、起立した私を見上げている。


「そうか、じゃあ国見も起立」
「えっ」


私とペアで実験していたとなれば、当然国見くんも一緒に発表しなければなるまい。先生に指名された国見くんはぎょっとして顔をしかめ、そのしかめっ面で私を睨み付けながら立ち上がった。


「………」
「ふっふっふ」
「あとで覚えてろ」
「こわーい」


小声でそんなやり取りをしていると、またもや先生に「本当に終わってんのか」と怒られてしまった。
実験はちゃんと終わっている。けど、仲良く発表するのは難しいかもしれないな。国見くんがとても怖い顔で私を睨んでいるのだから。

ちなみにプリントは後から回収されると聞き、慌てて書いた文字を消したのは言うまでもない。


指は邪道なプリズムを生み