07
ロマンス中心エゴイスト


ひとつ年下の川西太一という部員はとても優秀だ。俺と同じにおいがする。要領が良くて他人の目を盗むのが上手い。
だから弟みたいに可愛がってやらなくては、例えば勉強の相談に乗ってあげたりとか。


「太一は、世界史得意なの?」


朝食後に突然呼び止められたかと思えばこの質問だったので、ビックリしただろう。しかも俺がいきなり「太一」と呼んだもんだから、特に。親しくなりたい人物を相手にすると、どうしても下の名前を呼びたくなっちゃうんだから仕方ない。


「得意ではないですけど…?」
「ふーん。ねえ、白石先生って教えるのうまい?」
「白石先生…」


太一は一応俺の質問に真面目に答えるつもりらしく、授業の様子を思い浮かべているようだった。自分では先生の授業を受けられないので、鮮明に思い出そうとしてくれるのは有難い。


「良くも悪くも普通だと思います」


が、太一は首を捻りながら短い回答しか寄越さなかった。普通って決して良い意味では無いけれど、悪い意味で使われる言葉でも無いと思うんだけど。


「…悪くも普通ってどういう意味」
「なんていうか…授業は面白くはないですね。すげえ普通です」
「ほー」
「でも頑張ってる感じは伝わるというか。あの人、今年からの人ですよね」


えらい上から目線だなぁと思うけど、先生にとっては授業を受ける生徒からの意見は大切なものだろう。太一が白石先生の授業を「面白くはない」「普通」と思っているのを本人は知っているのだろうか。知らないでいて欲しい。こんなの知ったら心が折れそうだ。
だけど、少なくとも川西太一は白石先生が新任である事実を考慮しているので安心した。教室内の全員が先生の敵に回ることは無さそうだ。


「授業はちゃんと真面目に受けてんの?先生にメーワクかけてない?」


太一はこの間、白石先生に「授業中とは大違い」と笑われていた。って事は授業中のこいつは少し気を抜いているだろう。先生が頑張って教えている授業をテキトーに聞いているのだとしたら、先輩許さないぞ。


「受けてますよ。成績悪かったら試合に出られないじゃないですか」
「そりゃそうだけど」
「どうしてそんな事聞くんですか?」


ところが俺は踏み込んで聞きすぎてしまったらしい。今度は太一が俺を探るように聞き返してきた。しかもある程度の確信を持っているような目だ。


「……何か疑ってんの?」
「まあ、そりゃあ」
「いっちょ前に」
「スミマセン」


何を考えているのか分からない様子で、太一はぺこりと軽く頭を下げた。
スミマセンって、何に対しての謝罪だよ。意図せず俺の気持ちを読んでしまった事?だけど太一に勘づかれるくらいなら、何の問題も無いかも知れない。言いふらす事は無さそうだ。
俺もこれからは誰かの秘密を言いふらすのは辞めにしよう、自分の身に降り掛かってくるかもしれないから。



その日の昼休み、食堂からの帰りにわざと遠回りをした。その日に限らず最近は時々遠回りをするのだ、教室に戻る前に職員室の近くを通るようにして。目的はひとつ、偶然を装って白石先生に出くわすため。
これまでこの作戦が上手くいったことは無いけど、授業の前には必ず職員室から出てくるはず。だから午後の、五限目が始まる前の時間を狙って通り掛かるようにしているのだ。俺って暇なやつだな。


「あ!」


だけど、その作戦は今日初めて上手く行った。尿意も無いのに職員室の斜め前にあるトイレに入り、出てきた時に見事白石先生と鉢合わせたのだ。


「白石せんせー」
「天童くん。こんにちは」
「ちはー」


ちょうど職員室から出てきたらしい先生は、段ボール箱を抱えていた。箱の上に筆記用具とか出欠簿とかを乗せており、少しでも体勢を崩したら落としてしまいそう。俺よりも小さな先生は「よいしょ」と箱を持ち直した。


「…スンゴイ荷物だね」
「これ?うん、次の授業で使うんだ」
「一年?」
「そう」


今からこの荷物を持って一年生の授業に向かうのだそうだ。五限目開始まで十分弱。持ち運びを手伝ってから自分の教室に戻るまでは間に合いそうだ。となれば俺のとる行動は一つしかない。


「下、持ってあげようか」
「えっ!本当に?」
「うん」
「ありがとー、助かります」


先生は頬を丸くして笑いかけてくれた。それが単に気の利く生徒に向けた笑顔だとしても、それはそれでいい。これで俺の株は少なからず上がるんだし、教室に着くまで並んで歩くことが出来る。

先生の荷物をどんなふうに受け取ろうかなと思ったけど、まずは抱えている段ボールごと持ち上げてみた。中には資料なのか何なのか冊子が入ってるみたいで、なかなか重い。女の人には大変だろうと思えた。


「せんせー上のやつ取って」
「あ、うん…ごめんね、重いでしょそれ」
「大丈夫だよ。俺、一応力持ちなんだよ?」
「でも…」


嬉しさと申し訳なさのどちらを顔に出せばいいのか分からないらしく、先生の表情はころころ変わっていた。甘えてくれればいいのに、生徒からの申し出に。もしかして俺を「生徒」の括りにしているからそんな顔をするのだとしたら、それは不本意である。


「先生は女の人でしょ。俺は男だから大丈夫」


俺たちの関係を肩書きではなく男女の性別だけで分けて欲しい。
それにこのくらいの荷物、俺にとっては本当にへっちゃらなのだ。もっと俺のこと、男だって認識してもらいたい。そうしたら俺はもう少し先生への接し方を変えることが出来るかもしれない。こんなにうずうずしなくて済むかも。


「そうだね。男の子って頼もしいね」


だけど先生は、オトコノコっていう言葉を使って終わらせてしまった。それじゃあ親戚の子どもを褒めるのと変わらない。

先生に変な気を遣わせて仕事の邪魔をするのは嫌だし、でも俺の事は特別視して欲しい。それを上手く伝える手段が浮かばないまま、目的地に到着してしまった。


「…ここ?」
「そうだよ。もう大丈夫」
「いいよ、中まで運ぶよ」


他学年の教室に入るのは気が引けるけど、入学したての一年生のクラスならまぁいいか。先生が開けてくれたドアから「失礼します」と一応言いながら中に入り、急に入ってきた赤髪の三年生に動揺する声を感じながら段ボールを教壇に置いた。あーあ、これで任務完了か。


「あ!天童さん、お疲れ様ですっ」


その時、教室の前方に居たらしい後輩の声がした。俺の名前を知ってるって事はバレー部。そして聞き覚えのある声だ。可愛い可愛い五色工である。


「つとむのクラスだったんだ」
「? はい」
「せんせーが重そうな荷物運んでたから、持ってあげたの」
「え!そうなんですか」
「そ」


教壇の段ボールを指差すと、工は感心したように唸っていた。予想よりも大きな荷物だったからかも。


「意外ですね…天童さん」
「なにが?」
「あんまり、誰かが困ってても助けるタイプじゃないと思ってましたから」


それって俺に対して失礼だとは思わないのかな、思っているから少し言いにくそうなんだろうけど。だけど工の分析は正しい。俺は近くで誰かが困っていても、自ら進んで声をかける人間ではない。


「合ってるよそれで」
「え、でも今」
「合ってるけどぉ」


合っているはずなのに、思えば白石先生と初めて会った時にも俺は、道に迷っている先生に自分で声を掛けたのだった。なんとなくの行動だったけど。そう言えばどうして声を掛けたんだっけ。地図を見ながらキョロキョロしていたのを見て、明らかな迷子だと分かったから話し掛けたような気がする。

だけど今日は違う。あわよくば先生に会いたいと思っていた。そして先生が大荷物だった。俺は先生のことが好き。先生が特別だから手伝ったのであって、万人に優しいわけではない。


「天童くん、ありがとね。助かりました」
「いいえー。つとむ、帰りは運んでやんなよ」
「ハイ」
「えっ!いいのにそんな」


先生は両手を振って遠慮していたけど、この段ボールをまた職員室までひとりで運ぶのは大変だろうと思う。むしろひとりでやろうとしていた事が不思議だ、誰かを呼んで運ばせれば良かったのに。
優秀な後輩である工は「大丈夫です、運びますよ」と引き受けていた。偉い偉い、さすが俺の指名したジャックだ。

そのうち授業の開始が近付いてきて、教室には昼休憩から戻ってきた生徒が増え始めた。俺もそろそろ行かなくちゃ自分が遅れてしまう。離れるのはとても名残惜しいけど。


「…俺も白石先生の授業、受けたいな」
「ええ?私より教えるのが上手い先生はたくさん居るよ」
「上手い下手の問題じゃないもーん」


そりゃあ社会人一年目の、免許取り立てほやほやの先生よりはベテラン先生に教わる方が良いだろうと思う。俺の目的が「受験のための実のある授業」なら。だけどそうじゃない。


「白石先生に教えてもらいたい」


単純にこれなのだった。白石先生がどんな教え方をするのか知りたい。分からないところは白石先生に質問したい。ちょっとでも長く白石先生と一緒に居て、もっと白石先生のことを知りたいし俺のことを知って欲しい。俺を一人の男だと分からせて、俺の気を引きているのだと自覚させて、それから…どうしたいんだっけ。

それらの要望は当然伝える事が出来なかったので、先生は「嬉しい事言ってくれちゃって!」と俺の言葉だけを聞いて喜んでいた。