06
塩もメルヘンも似たようなもの


インターハイの予選はもう三度目。さすがに一年生の時は観客席から応援するだけだったけど、今となっては試合に出るのは慣れっこだ。わざわざスポーツ推薦を受けて白鳥沢に来たんだから、そうじゃなきゃ意味がないけれど。
でも一般入試で入ってきた部員は沢山いるし、彼らが推薦じゃないからと言ってヘタクソなわけでもない。だから、これでも俺は試合に出る時それなりの心構えを持っているのである。

とは言え「緊張して普段通りの力が発揮できなかった」なんて事が起きては洒落にならないので、今日の俺もリラックスしている。そんな事があったら学校までの帰り道を走らされるかもしれないし。
けど、やっぱりちょっといつもと違う。白石先生が観に来てくれるって言っていたからだ。


「緊張しているのか?」


観客席をちらちら見る俺に若利くんが言った。普段他人の事なんか気にも留めないくせに、試合の時はしっかり気にしてくれるんだよなあ。


「してないよ、ただ今日は知り合いのお客さんが居るんだよね。どこに座ってんのかなって思ってるだけ」


俺は嘘は吐いていない。ただ「知り合いのお客さん」と濁したのは、同じ学校の先生を個人的に試合に誘った事についてきっと若利くんはいい顔をしないだろうと思ったからだ。
若利くんはしばらくジッと俺を見ていたけど、やがて「そうか」とだけ言って別の部員に声を掛けに行った。案外若利くんも他人の事を良く見てる。だから主将に選ばれたし、誰もその人選に反対しなかったのだ。


「今日は川西を入れる。覚、ちゃんと気にしてやれよ」


昨日の夜も言われた気がするけれど、もう一度鍛治くんに念を押された。大事な大事な後輩の公式戦デビューを俺が忘れるとでも?忘れてた。


「川西くんはさあ、試合出るの初めてだっけ」


ちゃんとフォローしてますよ、と装うには自分から声をかけるしかない。
川西太一は大人しくて何を考えてるか分からないが(俺に言われたか無いだろうけど)、話しかければそれなりの反応を示す奴だった。川西は俺に向き直るとゆっくり腰を折り曲げた。


「公式戦は初めてです。よろしくお願いします」
「そのわりに緊張してなさそうだね」
「してますよ、これでも」


この顔で「緊張してる」なんて言われたら、相手チームは馬鹿にされていると勘違いするんじゃないだろうか。だけど試合をする上で相手に気持ちを悟られないのは重要な要素だ。その点コイツは得してる。元々ポーカーフェイスの天才なのだ。


「なるべく天童さんの邪魔しないようにしとくんで」
「そんなの気にしなくていーのに」
「いや、するでしょ……あ」


顔は変わらないものの先輩を敬ったり尊重したりする気持ちはあるらしい。可愛がりたい後輩リストに川西太一を追加しよう。
ところで川西が話の最中に、斜め上に視線をやって何かに気付いたようだ。俺の頭の向こう側。


「どしたの?」
「いえ、いや…あそこ、世界史の先生が居るなって」


それを聞いて俺も勢いよくグルリと振り向いた。さっきまで後頭部だけを見せていた客席を注意深く見渡していくと、白鳥沢の応援席の端っこでヒラヒラ手を振る女の人が。


「……白石先生?」
「はい。あ、天童さんもご存知ですか?」
「うん。え?川西ってあの先生の授業受けてんの」
「はい」


白石先生は俺だけに手を振っているわけでは無いらしかった。他の部員にも目をやって、そいつが先生に気付けば「ガンバレ」と口パクしたり手を振ったり。
うちの学校で授業を受け持っているのだから当たり前といえば当たり前、なのだけど。
誘ったのは俺じゃんか、という胸くそ悪い気持ちが溢れてしまって、ひとまずコレを相手チームにぶつけてやろうと心に決めた。今日はすっごく腕に力が入りそう。いい意味で。



思った通り白鳥沢は勝利した。何も手を抜いたわけじゃない。いつも通りに試合をしたらいつものように勝った、それだけの事である。
川西はなんとなくホッとしているように見えたけど、さすが鍛治くんに選ばれるだけの事はあって、きちんと選手の一人として働いていた。

コートチェンジの時とかタイムの時、何度か俺は白鳥沢の応援席を見上げた。
その一番端には白石先生が居て、コートの隅から隅まで「ちゃんと観よう」としているのが伺えた。それはとても嬉しい事なのに、そのために誘ったのに、心のどこかで「俺の姿だけ追ってて」なんて思ってて、これはますます若利くんには内緒にしなきゃ。浮わついた気持ちで試合に出るなんて嫌われちゃうもん。


「あっ!皆さんお疲れ様でした」


撤収作業を終えたあと、会場を出ると白石先生が待っていた。他にも応援団の人が居て、今日の勝利を祝福してくれている。今からこの人たちも、学校手配のバスで白鳥沢まで戻るらしい。
俺は真っ先に先生に挨拶しようと一歩出たんだけど、僅差で抜かれた。五色工である。


「ちわっす!」
「チワス」
「こんにちは」


続いて川西も挨拶してて、その礼儀の正しさは先輩としては褒めてやりたいけれど個人的にはとっても邪魔だ。
白石先生は工や川西にペコペコと頭を下げていて、それを面白くなさそうに眺めている俺に気付いた。いや、面白くなさそうにしてる事には気付いてないかも。俺の存在に気付いただけで。


「天童くん、運動苦手そうなのにばんばん動いちゃうんだね!」


その証拠に、たった今見た試合の感想をこんなふうに述べた。それまでムッとしていた俺の気持ちを一気に引き上げるような無邪気な顔で。ただ、まだこれは「白石すみれ」の顔ではなくて「白石先生」の顔に見えた。


「俺、運動苦手に見える?それってショック」
「え、あ、悪い意味じゃなくて」
「いいけどさ〜」
「白石先生!わざわざありがとうございましたっ」


ちょうどいい所だったのに、真横から工が口を挟んできた。もちろん彼に悪気なんか無いのは分かる。白石先生は工に世界史を教えているのだから。


「五色くん。お疲れ様でした」
「した!」
「先輩たちみんな凄いね、初めて試合見たけどびっくりした」
「はい!俺もすぐ出られるように頑張ります」
「おお!ファイトだ!」
「はいっ」


工はたいそう満足そうにニッコリ笑って、先生がその笑顔にちょっとでも惹かれてしまわないかとハラハラするほどだった。
この数ヶ月一緒に過ごしただけでも分かるけど、工は俺に無いものを沢山持ってる。工が先生に対してそういう感情を抱いてなかったとしても、先生が工を気に入ってしまう可能性は計り知れないのだ。むむむ、要注意人物がまさか自分の後輩とは。


「それで…あ。川西くんもお疲れ様でした」


そこで俺の首は別の方向に回された。川西太一が白石先生に呼ばれて、かしこまって頭を下げているのだ。俺にだってそこまで丁寧な挨拶、最初の数ヶ月しかして来なかったくせになぁ。


「応援ありがとうございました」
「ううん、学校の事を知れるいい機会になってよかった。川西くん、授業中とは大違いだね」
「ハハ……、すみません」
「あはは」


先生の言葉と川西の苦笑いからすると、授業中は眠そうな顔でもしているのかも知れない。好きでそうしてるわけじゃないだろうけど。先生もそれを分かっているから許容しているのだろうか、あるいはまだ生徒にきつく注意するのを控えているか。

そんな優しい先生に褒められてさぞかし嬉しいだろう、だけれども、今日白石先生に「見においで」と誘ったのは俺だ。


「…白石センセー。」
「ん?あ」


川西と話していた白石先生はやっと俺のほうを見てくれた。もしかして俺の存在を忘れてた?っていうのは冗談にしても、正直言って自分でも驚くほど嫉妬した。白石先生が他の部員を褒めている事に。


「天童くん。今日は誘ってくれてありがとう」
「ううん。どうだった?」
「凄かったよ!思ったよりずっと凄かった」
「ほんと?どのへんが?」
「ええとね…」


試合の何が凄かったのかなんて、具体的な感想を引き出すなんて難しいのは分かってる。だけど「天童くんがブロックしたところ」とか「天童くんが点を決めたところ」とか、そんなコメントが出てこないかなと期待した。先生は俺だけを見ていたわけじゃなく、川西や他の生徒の事だって見ていただろうに。


「…あ。天童くん、呼ばれてない?」


願い虚しく、先生から俺への褒め言葉は出てこなかった。俺の後ろで誰かが「天童早く」と呼んでいるのが聞こえたのだ。聞こえない振りをしたかったけど、先生にも聞こえているのなら仕方ない。


「ちぇー」
「チェーじゃない!集合しなきゃ」
「はいはい」
「はいは一回」
「はぁい」


そうやって先生ぶって俺のことを注意したって、ちっとも怖くありませんからね。
…俺は工に「先生を困らせるやつが居たら助けてやれ」なんて言うくせに、自分が先生を困らせる事になるなんてな。だって、困らせたら少なくともその時は、俺の事を意識してくれるだろうし。


「ねー、俺ちょっとはカッコよくなかった?」


だけど意識されるだけじゃ物足りない。俺はただの困った生徒なんかじゃなく、全国区のバレー部で立派に活躍する一人の男なのである。


「うんうん。かっこよかったよ!」


白石先生はそう言うと、早く集合しなね!と手を振っていた。
かっこよかったよ。その一言、先生の口から聞けて嬉しいけれども。俺が言わせただけじゃんか。我儘な生徒のお願いに仕方なく応えてあげただけって感じ。勝利した試合を見てもらうだけでは、先生の「教師」としての仮面を剥ぐには足りないようだ。