12
ホースの取り付け・無料対応
白石さんを避けまくっていた罰なのだろうか。コインランドリーで洗濯していたら突然白石さんがやって来て、逃亡しようとした俺が落っことしたパンツを素手で拾われグシャッと握り潰されてしまった。
パンツなんてまとめ買いだから一枚無くなったからって痛くもかゆくもないのだが、問題は白石さんの手の中にそれがあるという事。しかも、俺は彼女を大いに怒らせてしまっている事。
「あの、白石さ…」
「黙って。そこに立って」
銃でも構えられたような気分だ。俺は持っていた洗濯の袋をゆっくりと床に置き、両手を挙げて、指示されたとおり壁を背にして立った。白石さんが構えているのは拳銃なんかじゃなくて、洗濯したてほやほやの俺のパンツなんだけど。
「何か私に言う事は」
鋭く俺を睨みつけたまま白石さんが言った。怖くはないが怒りが伝わるし、その原因は自分であると理解している。先日のファミレスで俺は、白石さんに洗濯機なんか直らなくてもいいと言った。このコインランドリーだけが俺たちの会う事の出来る場所であると。
「……ごめん」
「ゴメンじゃない!謝罪以外!」
「は、ハイ」
まずは大人しく謝るべきだと思ったのだが、求められているのは謝罪では無かったようだ。もの凄い勢いで怒鳴られてしまった。しかし俺が次の言葉を言う前に、白石さんが今度は静かに話し始めた。
「…赤葦くんさ。私のこと、馬鹿にしてるの?」
怒りと、少しの悲しみを持った声に息を呑んだ。自分が男らしく心を決めなかったために、好きな女の子をこんな気持ちにさせていたのだと。
「…してないよ」
「してるでしょ。してたよね」
「少なくとも今はしてない」
「前はしてたんだ」
「いや…」
馬鹿にしているつもりは無かったが、思い返せば最初の頃は白石さんを「馬鹿にしている」と言っても過言では無かったかも知れない。
咄嗟に否定の言葉が出ない俺に彼女は眉をひそめた。俺は決して嫌われたいわけじゃない。白石さんを嫌いなわけでもない。単に、好きになるタイミングと自覚するタイミングを誤ったのだ。
「…馬鹿にしてるって言ったら語弊があるよ。何て言うんだろ…気に入ってるっていうか」
「気に入ってる?」
「うん。前まではそう」
この子の事が女の子として好きなのだと理解するまで、俺は白石さんを気に入っていた。変な女の子だなぁと思っていた。そのうち興味がわいて、話してみると面白くて、自分なんかよりずっと自立していて凄いなと。
「今は?」
白石さんは催促するように顎を上げた。そういうのが苦手な男も居るのだろうけど俺は、そんなふうに自分を強く見せたりするところや、正義感の強そうなところが好きだ。そんな女の子が可愛らしいフリルの下着を身に付けるなんて最高に興奮するし、単純な男で申し訳ないが素晴らしいギャップだと思ってしまったのだ。
「……たぶん、白石さんは俺の事なんかなんとも思ってないだろうけど」
俺が話し始めると、白石さんは口を閉じた。こんな奴を相手にしてもきちんと話を聞こうとするその姿勢も彼女の魅力で、やはり胸を張って言えると自信が持てた。
「俺は白石さんのことが好き」
俺の好きになった女の子は間違いなく良い子で、俺には勿体ないくらい素敵な女の子だ。白石さんに嫌われているかもしれないのにこんな事を考えるなんてどうかしているけど、それほど俺の目には彼女が完璧に写っている。もちろん、少し抜けているところも含めてだ。
しかし、当たり前ながら白石さんは俺の告白を嬉しそうに受けてくれない。
「…どうして私が、赤葦くんの事なんとも思ってないって分かるの?」
それどころか不服そうである。どうしてって聞かれても、これまでの白石さんの態度を見れば一目瞭然ではないか?
「分かるよ。平気で俺を家に上げたりするし」
「それだけじゃ分かんないじゃん」
「他にも、平気で俺のライスを大盛りにしたりとか」
「ライス……?」
家に入れてもらった時、単細胞の俺は舞い上がってしまった。でも裏を返すと、俺を家に上げるのになんの抵抗も示さないという事はつまり、俺を男として意識していない事になる。ライスを大盛りにしてくれたのだってそう。俺の事を意識していないからこそ、平然とやってのけたのだろう。それによって俺がどれほど気分を良くするのかも知らないで。
「男ってそういうので舞い上がるんだよ。馬鹿だから。好きな子が相手だったら尚更」
白石さんはいつの間にか、俺のパンツを握っていた拳を下ろしていた。そしてその拳はほんの少し、震えているかに見えた。
「……じゃああなたは、私が好きでもない人を簡単に家に上げるような尻軽だって言いたいんだ」
「そういうわけじゃ…」
「そういう意味だよね」
「違うって」
「違わない!勝手な事ばっかり言わないで!」
その声と同時に彼女の震えは止まり、あのファミレス内でもよく通る俺の好きな声が、コインランドリーの中でぎんぎんと響いた。
「私だって分かんなかったもん。赤葦くんなんか最初は嫌いだったし、変なやつだって思ってたし、今だって思ってるけど」
不覚にもガクリと転けそうになった。今も変なやつだって思われてるんだ。
「けど、ここに来たら…赤葦くんに会えるのが、だんだん面白くなってきて…」
けれど白石さんの話を聞くにつれて、重大な可能性に気付き始めた。それを確信に変えるため、俺は黙って白石さんの声に耳を傾ける。コインランドリーで育んできたこの関係に特別な想いを抱いていたのは、もしかしたら俺だけでは無いかも知れない。
「洗濯機買ってもらったのは便利だったけど。赤葦くんに会う機会が減ったの、すごく寂しかった」
白石さんの大きな瞳はかつてないほど潤んでいて、初めて弱々しい姿を俺に見せていた。
「…本当に?」
思わずゴクリと唾を飲み込んで、極めて失礼さの無いように俺は尋ねた。だってもう、絶対に嫌われたくないと思ってしまったから。白石さんは瞬きもせずに深く頷いて、それから驚くべき事実を口にした。
「だからわざと、排水ホース外したの」
びっくりして声も出なかった。
俺の口はえ、とか嘘、とかそういった形を作っていたかも知れないが、それが声になって発される事は無かった。白石さんがまさか、そんな事をしていたとは。
「そしたらまた会えるから。ここで」
家に洗濯機があればコインランドリーに来る必要が無くなる。それはとても便利で有難いことだろう、特に一人暮らしの女の子にとっては。
けれどその排水ホースを自ら外してまでコインランドリーで洗濯をしたかった理由が俺だなんて。と言うか、そのために自分でホースを外してしまうような、ぶっ飛んだ女の子だったなんて。
「赤葦くんのこと、好きだから!」
俺のパンツを力いっぱい握りながら白石さんが言った。そのトンデモ具合、俺の理想にぴったりだ。
「…白石さん」
「なに」
「あの…俺、ひとつ謝らなきゃいけない事が」
俺もつい先日、同じくらいのとんでもない事をした。それがずっと罪悪感として心の中に残っていたのだ。
「排水ホース。俺、わざと直さなかった」
懺悔すると、白石さんもさっきの俺と同じように声もなく驚いていた。まさか自分と同じ動機で同じような事をする人間がいるなんて、夢にも思わなかったのだろう。
だけどそんなの仕方がない。直したらもう、白石さんに会えなくなるから。
「洗濯機なんか一生直らなくていいって言ったの、あれ本気だから」
先日ファミレスで言ったあの言葉をもう一度告げると、白石さんは俯いてしまった。まさか「一生直らなくていい」は言い過ぎたのだろうか?
「白石さん?」
声をかけると、びくりと震えて両手を出して俺を遠ざけた。その時に前髪のあいだから見えた彼女の目から涙の筋が流れているのを、俺が見逃すはずもなく。
泣いてるんだ、どうして?考えるよりも先に身体が動いた。
「だめ、こないで」
「行く」
「だめっ」
白石さんは俺から距離をとるように腕を伸ばしたけれど、それは俺に近付く手段を与えたに過ぎない。そして、なぜ泣いているのかを悟らせるものに過ぎなかった。
伸ばされた無防備な腕を難なく掴むと、全く力の入っていなかったその腕は簡単に引っ張る事ができた。そして、簡単に白石さんを俺の腕の中へとおさめる事が出来てしまった。
されるがまま抱きしめられるなんて嫌がるかもしれないと思ったけれど、泣き顔をじっと見られるよりマシだったのだろう。白石さんは自ら顔を押し付けているように感じた。それが意地らしくって可愛くて、これぞまさに俺の好きになった白石すみれであると実感できた。
「洗濯機に悪い事したね、俺たち」
わざとホースを外したり、直せるのに直さなかったり。新品の洗濯機なのに欠陥品みたいな扱いをしてしまった。
そう言うと、白石さんが胸の中でもぞもぞ動いて小さな声で呟いた。
「…お母さんに謝らなきゃ」
「どうして?お母さんはわざとホースを外した事、知らないんじゃないの」
「うん…でも」
白石さんは俺と目を合わせないまま、俺の胸をじっと見ている。それを上から見下ろす俺は、白石さんのまつ毛の長さに感動するしかなかった。
「寂しくてまたホース外しちゃった。昨日」
そして、出てきた言葉に胸をきゅううと刺激されるしかなかった。わざわざ再び排水ホースを外したというではないか、俺に会えないのが寂しいからと言って。もう白石さんの事をポンコツだなんて言えやしない。俺だって充分なポンコツ男なのだから。
「直しに行っていい?」
そのように聞くと、ちょうど俺の口元が耳の近くにあったみたいで、白石さんがくすぐったそうに身をよじった。
それから間もなくしてゆっくり頷いてくれ、俺は二度目の許可を得た。今度こそ洗濯機の排水ホースを間違いなく直すために、白石さんの家に入れてもらうための許可である。