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ボクサーパンツ・三枚で千円


せっかく大学に行かせてもらって勉強の機会を与えられているのに、授業が上の空になる。しっかりしなきゃと思いつつもすぐに頭の中には別の事が浮かんでしまい、身が入らないのだ。

誰かに恋をしてこんな事になる日が来るなんて思いもしなかった。今までだって女の子を好きになったり、付き合ったりすれば真剣にその子の事を考えていたけれど、白石さんに対してだけは自分を見失ってしまうのだ。白石さんがどんな下着を使っていてどこでアルバイトをしていてどんな家に住んでいるかも知っているのに、肝心の白石さんの気持ちが分からない。

それは完全に俺が最初から飛ばしすぎたせいというか、からかい過ぎたせいで白石さんだって俺が一体何者なのか疑問に思っているだろう。第一印象の「下着泥棒」よりはマシだろうけど。

大学では元々学部の違う白石さんと会う機会は少なかったが、時々食堂で見かけてしまうのが分かってしまった。
友人の鈴木などは俺を食堂に誘おうとするけれど(きっとまた教育学部と合コンしたいのだろう)、俺は適当な用事をつけて別の場所で時間をつぶしたり、わざわざキャンパスを出て外食をしたりする。全てが悪い状況になっている。なんとかしなきゃ。

でも、なんとかする方法が浮かばない。完全に俺の気持ちは知られてしまっただろう。そして戸惑っただろう、困った顔をしていたし。
恐らく俺の事なんて下着泥棒やヘンタイのレッテルは剥がれたにしても、男として好かれているかは分からない。もっと初めから普通に接しておくべきだった。まさか自分が白石さんの事を好きになるとは思わなかった。


「赤葦、次の木曜日暇?」


話を振ってきたのは教育学部に伝手があるという友人だ。まずい、もしかして合コンに誘われてしまうのか俺は。


「暇ではないけど…何?」
「いや、次こそ合コンどうかなって」


やっぱり当たりである。最近の話のネタはもっぱら「教育学部の子が可愛い」と言うので持ち切りだ。概ね同意であるが、だからって俺が合コンに行く理由にはならない。


「俺はいいよ…」
「ほんとに?あ、今度はあの子誘ってもらうように交渉中だから。すみれちゃん」


ピクリと眉が動いてしまったのを勘づかれただろうか。白石さんの事を再び下の名前で呼びやがり、更に誘いをかけているなんて。
でも何故だろう、俺には白石さんが合コンに行くなんて想像も出来ない。どんな餌を撒いても意味が無いのでは?それに何より俺の心が叫んでいるのだ「行って欲しくない」と。


「あの子は来ないって言っただろ」
「来るかもしれないじゃん、彼氏居ないって言ってたもん」
「へー…」


彼氏、居ないんだ。そりゃあ彼氏が居たら俺の事を家に入れたりしないよな。でも実際に白石さんに彼氏の有無を確認した事が無かったので、この情報は有益だ。


「赤葦ってもしかして、すみれちゃんの事…」


突然神妙な面持ちで友人が言った。もしかして俺、今顔に出ていた?気持ちを知られたらきっとからかわれてしまう。俺だけでなく白石さんもだ。ますます気まずくなってしまう。


「すみれちゃんの事、嫌いなの?」


ところが聞こえてきた続きの内容は、全くの見当違いだった。
嫌いでたまるか。大好きだ。だから困っているのだ俺は。しかしまあ、好きだと悟られるのを避けたいのは当然だが「嫌い」と勘違いされるのも不服である。


「…なんでそうなるわけ」
「え、いやなんとなく」
「嫌いとかじゃないけど、ただ」
「ただ?」


ただ俺はコインランドリーで会ったあの日から、白石さんの事をほんの少し特別視していた。恋愛感情を持つのは予想していなかったけど、ただ、白石さんの怒った顔を見たり笑った顔を見たりするのが百面相みたいで楽しくて。それがだんだん「この子の事好きだなあ」と明確なものに変わって行った。嫌いだなんてとんでもない。
でも、その白石さんとは先日、ハッキリと告白をしないまま微妙な言葉をぶつけて別れてしまった。友人にそれをどう説明すればいい?嫌いとかじゃないけど、ただ、


「……ただ、何ですか?」


その時の俺は心臓が凍り付いたのかと疑うほどヒヤリとした。
聞こえてきた声は紛れもない白石さんのもので、ちょうど廊下の角から現れたらしかった。急に白石さんの姿と声が飛び込んできて俺はパニックだ。どうやら今の話、聞こえていたらしい。


「なんで…」
「たまたま通りかかったの」
「すみれちゃんだ!おはよ、偶然」
「うん。おはよう」


白石さんは明るく挨拶をした友人に軽く返事をしたが、なんとなく目が据わっている。俺に対して怒っているのだろうか、勝手な事を言って勝手に去ったから。


「それで?」


ドンピシャだ。白石さんは瞳の奥をぎらぎらと光らせて、俺を下着泥棒だと勘違いした時と同じ目で見ているのだ。
こんな時まで俺は気まずさとともに興奮を感じるのだから救えない。だって俺が最初に惹かれたのは、白石さんの怒った顔なのだから。

その時、俺のポケットから電子音が鳴った。何も仕込んでいないのだが、タイミングの良すぎる通知が来たのだ。ポケットを抑えるとバイブレーションが続いているので電話だと思われる。
電話を理由にここを去れば白石さんはもっと怒ってしまうだろうか、でも周りに誰かが居る状況で二人の話をしたくはない。たとえ喧嘩であっても、俺が起因であっても。


「……電話」
「え、ちょっと!」
「ごめん」


今電話に出るのかと幻滅されたかも知れないけど、鈴木たちの前で話をするのは嫌だった。一体何があったのかと鈴木は白石さんに訊ねるだろうな。きっと彼女は答えない。こういった事は洩らしたくないと考えるタイプだろう。だから俺は白石さんが好きだ。好きなのに向き合えない自分の不甲斐なさをどうにかしたい。

でも元はと言えば白石さんが「私と会えなくなるのが寂しいんでしょう」なんて言うから、俺の心は翻弄されてしまった。寂しいから寂しいと口にしただけなのに、あんなに驚かれるなんてショックだった。俺の気持ちなんて予想もできていなかったのか?
ほらまた俺は、気持ちを知られたくないと思っているくせにこんな事で我を忘れかけている。全く自分勝手な男である。



周囲を気にせずにコインランドリーに来たのは初めてのような気がする。白石さんの親が洗濯機を直してくれたのは恐らく先週末だから、さすがにもうここで会う事は無いだろう。嬉しいんだか悲しいんだか。もちろん悲しいほうが大きいんだけど、今の俺達の関係から考えると残念ながら嬉しさが勝ってしまう。

どうして俺は自分の気持ちを順序だてて説明せずに、あんな事を口走ってしまったのか。寂しいよ、白石さんを好きだから、とシンプルに言う方がよほどマシだった。例え振られたとしても救いがあったはず。


「はあぁ…」


自分しか居ないと思うと、溜息の大きさは超ド級だ。こんなに肺活量を使うのは久しぶりだなぁなんて笑えてくる。でも、すぐに笑えなくなった。


「溜息つきたいのは私なんですけど」


今まで活性化していた俺の肺が、止まってしまったのだ。あまりの驚きで。コインランドリーの入口に白石すみれが立っているのだから。しかも仁王立ちである。
思わず手に持っていた洗濯物がポロリと落ちた。

「白石さん…どうして居るの」
「居てもよくない?近所なんだから」


白石さんはいつか見たのと同じように、眉と眉が繋がりそうなほど眉間にしわを寄せていた。そのままずんずん近付いてきて、自動ドアのセンサーが感知しないあたりまで来ると再び立ち止まった。


「赤葦くん、最近わざと私に会わないように来てたでしょ。ココ」


ご名答。とは言えないので、俺は白々しく目を泳がせた。排水ホースが直るまでは会ってしまう可能性があるので、この五日程はいつも白石さんと会っていた時間からズラしていたのだ。


「…そんな事ないよ」
「嘘、今日って私の洗濯機が直ったタイミングで来たよね?会いたくなかったから?」
「そんな事ない」
「ねえってば!」


どうしよう。ここで好きだと伝えても、これまでの俺の行動は全く繋がらない。我ながらおかしな事をし過ぎた。自分で自分が分からないのだから説明のしようが無い。


「ごめん、俺まだ…」


上手く気持ちを整理できないんだ。と最後まで言えたのか言えてないのか分からないまま、先程終えた洗濯物を一気に袋に突っ込んだ。
いったん帰ろう、帰って頭を整理して、次に会った時にちゃんと言おう。いきなり出くわすとまた血迷ってしまうかも知れないからファミレスに行こう、それなら心の準備ができるはず。多分。


「赤葦くん」


コインランドリーから去ろうとした俺を白石さんが呼び止めた。振り返ると彼女は何かを手に持って、それを顔の横でヒラヒラと揺らしている。


「落としもの」


さっき俺が白石さんの登場に驚いて、手から落っことしたもの。異性に見られたくないものナンバーワン、俺のボクサーパンツである。
信じられない事に白石さんが俺のパンツをヒラヒラ揺らしながら、挑発するように笑っているではないか。


「………げ」
「返してほしい?」


口角を上げたまま白石さんが言った。返すも返さないも、もし返さずに白石さんが持ち帰ったところで使い道があるのかは謎である。でもそんな事を突っ込んだら彼女の怒りは増してしまうだろう、どうしたらいいんだ。
とりあえず逃げないから返してくれないか?と言おうとした時、俺のパンツが突然無惨な姿になった。白石さんの拳の中に、グシャリと握られてしまったのだ。


「逃がさないから」


洗濯済みとはいえ男のパンツを握ったままで白石さんが言った。
俺は今、笑えばいいのか悲しめばいいのか謝るべきか怒るべきか分からない。怒るとするなら「パンツにしわが寄るからやめて」という馬鹿馬鹿しい事だ、それは後回しにしよう。悲しむのもその後。シュール過ぎるけれど笑うのは以ての外。
という事は残された選択肢はひとつ、俺はこの場で全てを打ち明けるしかない。俺のパンツを人質にしている白石さんに。…「人質」の使い方、合ってるのかな。