04
きみをジャックに任命


「先輩たち、昨日はどうされたんですか」


ある日の朝練で声をかけてきたのは、このあいだ一緒に掃除当番となった一年生のミスターパッツンであった。今までは部内一前髪が切りそろえられているのは賢二郎だと思っていたのに、前髪下剋上されている。
そんな事はさておいて彼は、昨日の部活に参加していなかった三年生に興味があるらしく。


「老人ホームだよ。ねっ」
「ろ、老人ホームですか…?」
「それは俺だろ!職業体験行ってんの。お前らも三年になったらあるんじゃね」


丁寧に説明してあげたのは面倒見のいい英太くんで、やっぱり老人ホームがぴったりだなあ。 それから英太くんはトイレに行きたかったらしく、身震いしながら小走りで去って行った。

俺も授業に遅れないようクールダウンしてからトイレに行っておこう、と思ったのだがミスターパッツンがまだそこに居る。神妙な面持ちで俺を見上げながら。まずい。俺もパッツンになる魔法をかけられるの?


「あの、お聞きしたい事が」
「俺?」
「ハイ!お時間よろしいですか」


ほっとした。俺の髪をどうこうしたいわけじゃないらしい。


「どうしたの」
「あ、はい。あの…実は勉強のことで」


彼はそれたりに背が高いはずだけど、もじもじしながら喋るので小さな女の子みたいであった。しかも聞きたい内容が勉強についてって、聞く相手を間違えているんじゃなかろうか。俺の成績はお世辞にも良いとは言えない。かと言って悪いとも思わない、その程度なのだ。


「勉強なら俺より他のやつが良いんじゃないの」
「そうなんですけど」
「否定しないのね」
「でも、大平先輩とか白布先輩とか成績いいって聞くんですけど、ちょっと話しかけづらいので」


賢二郎はさて置き獅音くんは優しく質問に答えてくれそうだけど。一年生からすると、副主将にわざわざ個人的な相談を持ちかけるなんてハードルが高いのかも知れない。それで何故俺が選ばれたのかは疑問だが。もしかしたら本当は英太くんに聞きたかったのに、トイレに行っちゃったから聞けなくなったのか。


「俺、勉強得意じゃないんです。だから両立すんのが凄く大変で…先輩は入ったばかりの時、どうでしたか」


どうやら「この科目のココが分からない」って質問じゃ無かったらしい。
しかしこんな疑問、生まれてこのかた抱いた事が無いんだけど。勉強と部活の両立なんて、なんとなく出来るもんだと思っていた。俺が考えなさ過ぎるのかな。それとも単に俺の要領が良いだけ?
ともかくこの一年生は教えを乞うように俺を見てる。パッツンの真下にある二つの目で。


「…真面目だねー」
「そうですか?だって絶対補習とか受けたくないですから」
「それは分かる」
「特に世界史が…」
「へー、先生コワイの?」
「白石先生は優しいんですけど、カタカナが多くて頭に入らないんです」


適当にそれらしい答えを言って終わろうと思っていたけれど、一瞬で思考が止まった。

白石先生は確か社会科担当だと言っていた。一年生の世界史を教えているのか。こいつ、白石先生の授業を受けてるのか。それってかなり羨ましい。
俺だって大統領の名前や歴史的建造物の名前をオジサンの口から説明されるより、白石先生の口から説明されるほうが絶対に勉強に身が入るんだけどなあ。三年生の授業も教えてくれないかなあ。


「…あの…?」


急に目の焦点が合わなくなった俺を見て、ミスターパッツンが恐る恐る話しかけた。


「あ。ごめん」
「いえ、」
「えーと…何だっけ?ピラミッドの名前が覚えられない?」
「違いますけど、そんな感じです」


分かる分かる、誰がどのピラミッドを建てたのか、何年に何が起きたとかを覚えるのって、俺たちの人生に全く必要じゃない情報だもの。
でも今俺の頭にはそっちじゃなくて、それを教える先生がどうなのかが気になって仕方ない。


「俺も質問していい?白石先生の授業ってどうなの?」


どうしてそんな事を聞くんだろう?とこの子以外の人間なら首を傾げただろう。でも切りそろえられた前髪のごとく性格も真っ直ぐらしい彼は、何の疑問も抱かずにすぐに答えた。


「普通です。分かりやすいと思います、俺の覚えが悪いだけで」
「へー。先生って真面目?」
「はい。今年からだって言ってました。みんなと同じ一年生だよーって」


ああ、言いそう。思わず笑ってしまいそうになった。
でも同時にちょっと心配になってきた。と言うのも大体こういう真面目で気弱そうな先生って、生徒にイジられたりする可能性が高そうだから。しかも新任の若い女性ときたら特に。


「…真面目な女の先生ってさ、生徒に意地悪されてりしてないの?」


何でもかんでも話してくれる彼にリサーチしてやろう。先生がどんな授業をしているか気になるし、ちゃんとミスターパッツンからの相談に乗っているようなポーズが取れそうだから。…取れてるかな?


「そういうのは無いと思いますけど…進学校じゃないですか、クラスの皆も真面目ですよ」
「キミ以外は」
「お、俺も真面目です」
「ふう〜ん」


焦らなくたって真面目なのはよく分かる。ちょっと頭が足りないだけで、一生懸命な子なんだなって事は。でも、からかうのが面白そうな後輩は大好物だ。


「ね、きみ名前なんだっけ」


この間聞いたような気がするけれど全く覚えていないので、初めてを装って質問してみた…が、パッツンからのぞく眉をほんの少し寄せられた。覚えてたか。


「……五色工です」
「つとむくん!よし覚えた」
「この前も名乗りませんでしたっけ」
「そんな事ない、そんなにイイ名前初めて聞いたもん」
「そうですか…」


白石先生が生徒にイジられるのを心配しているくせに、俺は後輩をイジる。矛盾しているのは百も承知なんだけど、だって後輩は男じゃん?先生は女の人だ。当然女性には優しくするに決まっている。


「そんなつとむに指令を与えちゃおう」
「指令?」
「そう!」


ミスターパッツン改めつとむは、突然偉そうに指令だのなんだの言い出した俺にまた眉を寄せた。


「白石先生が困ってたら、つとむが助けてあげな」


けれどその指令内容を伝えると、眉間のシワは消えた。でも疑問はまだまだあるらしく、どういう意図なのかと今度は瞬きを始めた。


「そりゃあ困ってたら助けますけど、どうしてわざわざ俺に?」
「見てみぬふりをする輩が多いからだよ」
「はい…?」
「新人なのに、生徒が不親切で嫌な奴だったら萎えちゃうでしょ」
「そんな人、うちのクラスに居ないと思いますけど…」
「居るかもなの!知らねーけど!居るかもだから」
「は、はあ」


もしかしたら本当に彼のクラスには、素晴らしい生徒しか居ないかも知れない。そうで無かったとしてもこんなのは余計なお世話だろうな、きっと。

でも、中には俺みたいにちょっと思考のずれた生徒が混じっているかも知れないのだ。白石先生の事を気に入ってしまうような奴が。あの先生は決して見た目が超可愛いとかキレイとかじゃないけれど、何故だか応援したくなってしまう。だから先生の平和を守るためには仲間を増やさなくちゃ。仲間一号が五色工。


「特にセンセーが授業中に意地悪されちゃってたり、セクハラされてたら助けるんだよ」
「へ…?」
「だよ!」
「は、はい」


先生にセクハラって、俺たちまだ十五ですよ?と言うつとむに教えてやりたい。お前はたぶん童貞だろうけど、十五にもなれば各々色んな性癖が出始めてしまうのだと。まあ俺は性癖とか関係なく、好みだったら誰でもいけちゃうけど。