03
夢見がちな彼女


若利くんと示し合わせたつもりだった職業体験は、なんと保育園の希望者が多かったせいで俺は他に回されてしまった。
主に女の子、あとは何故か若利くんだけが保育園で希望が通ったらしく。絶対に裏で手が回されているんだろうなと思いつつも、将来的に保育園で働く可能性の高そうな生徒が選ばれたのだろうと考えれば諦めがつく。若利くんは違うだろうけど。俺は結局、適当にチェックを入れた第二希望のショッピングセンターになった。


「…まあいいか。余ったお菓子とか貰えるかもしれないもんね」
「なんだそのがめつい考えは」
「英太くんはどこ行くの?」
「俺?老人ホーム」


うわあ、予想的中。でも英太くんって根気強く老人の話を聞いたりするのが得意というか、好きそうだから向いているかも知れない。それに、確か去年の夏におばあちゃんが死んじゃったって聞いた。老人ホームを選んだのはその影響があるのかも。だから一応俺もそこを掘り返すのはやめる事にして、今日の練習を開始した。

平日の練習はこの時期、暗くなるまでには終わる。と言ってもまだ四月で日が沈むのはちょっぴり早いので、練習が終わるのと日が沈むのとどっちが先かなあというくらい。
今日は先に練習が終わったけれど、運悪く俺は今日、掃除当番になっているのを思い出した。白鳥沢では練習後の体育館の掃除を、持ち回りで行っているのだ。掃除以外の練習前の準備とか練習中のサポートは下級生が進んでやってくれるんだけど、掃除だけは彼らばかりに任せないように当番制なのである。


「天童、今日コンビニ?」


体育館から出ようとする英太くんが言った。
今日は月曜日で、月曜日と言えばジャンプの発売日。毎週月曜日には英太くんをコンビニに連れ出してジャンプを買うのでこのように声をかけてくれたんだろうけど、あいにく俺は掃除をしなければならない。


「俺、今日掃除当番なんだよね」
「そか。待っとく?」
「いいよー、ひとりで行くよ」
「おっけ」


読み終わったら貸してくれ、と言って英太くんは着替えるために部室へと歩いて行った。
今日のジャンプを読むために俺は、頭の中で先週読んだジャンプの内容を思い浮かべた。続きから読まなきゃいけないから復習しておかないと。
漫画の事を考えながら掃除をすると案外早くに時間が過ぎて、ペアで残っていた一年生も俺が無言だから気を遣わずに済んだらしく、ほっとしていた。


「天童さん、それ俺が行ってきます」


名前は覚えていないけれども、推薦で入ってきた一年生がゴミ捨てを申し出てくれた。ちゃんと見てなくて気付かなかったけど前髪が超パッツンだ。俺は一生この髪型にするのはやめよう。あ、馬鹿にしているんじゃなくて、彼は似合ってるから良いってだけで。


「ありがとう。ねーきみ名前なんだっけ?」
「は、え!五色工です」
「ふーん…」


覚えにくい。名前を聞いた瞬間の印象はこれだ。でも顔と前髪はバッチリ覚えたので、次からは大勢いる一年生の中で個別認識することが出来そうだ。


「じゃあ…」
「はーい。ありがとう」
「お疲れ様でした!」


五色くんはペコリ!と腰を直角に曲げて挨拶すると、ゴミを集めたちりとりを持って外にあるゴミ箱のほうへ向かって行った。

なんだか白石先生みたいだな、腰の曲げ方が。そんな事を考えてしまって、そういえばあの先生は無事に白鳥沢でやっていけてるのだろうかと余計な心配が頭に浮かんだ。俺には全く関係ないんだけど、あのお辞儀を見ると「この人、ここで精神折られてしまわないかな」と思ってしまうのだ。言っちゃ悪いけど、心弱そうだから。とても要領が良さそうには見えないし、って本当に失礼だなあ俺。


「ふっ」


自分の失礼っぷりに軽く吹き出してしまったのは、ちょうど渡り廊下に出た時だった。そしてふと校舎が連なった方を見ると、一か所だけ教室の電気が付いているのが分かった。
どのクラスだろう?首を傾げたのと同時に気付いた、あそこは職員室だ。まだ残っている先生が居るらしい。先生という職業もこんな時間まで大変だな。

真っすぐ寮に帰ろうと思ったんだけど、その時また、ふとある事を考えた。残っているのがもしかして、白石先生なんじゃないかという事を。
何故そう思ったのかは全く分からないんだけど、お得意の野生の勘というやつだ。
白石先生だったら「遅くまでご苦労様」くらい言ってあげよう、もしも白石先生じゃなかったらさっさと寮に戻ってジャンプを買いに行けばいい。

誰も居ない校舎はとても暗くて、肝試しにはもってこいの雰囲気だ。そんな静かな廊下をひたひた歩き、階段を上って二階に到着。その端っこが職員室だ。俺はいつもより声を落として、心なしかノックの音も控えめにした。


「失礼しまーす」


いつも中から返事が聞こえる前にドアを開ける俺なので、今回も勝手にドアを開けた。こういう時、ドラマだったら秘密で恋愛してる教師がキスしていたりとか、イケナイ事があるんだろなあ。
でもそんなショッキングな光景は入って来なくて、誰も居ない職員室の隅っこで、ひとりだけパソコンをいじっている先生が居た。


「……白石先生?」
「うわっ!?」


俺が入ってきた事に気付いていなかったのか、背後から呼び掛けると椅子をガシャンと揺らして驚いた。それから幽霊でも見るように怯えた様子で振り返られたので、罪悪感と面白味が同時に増した。


「ごめん、びっくりした?」
「び…ビックリした…こっちこそごめんなさい、集中してて」
「集中?」


先生のパソコンには作成中の資料みたいなのが写っていた。これに集中していたおかげで、ドアが開いた音も聞こえなかったらしい。わざと静かに開けたんだけど。


「何か作ってるの?」


隣の椅子を引っ張ってきて、俺は白石先生の隣に座った。職員室の椅子ってコマが付いているから、移動させるのが楽で羨ましい。先生はパソコンの画面を俺の方に向けてくれながら説明した。


「今度、一年生は課外学習に行くから…その時に使うしおりを作ろうかなと」
「しおりかあ。日帰りなのに?」
「無くてもいいらしいんだけど、私、自分が生徒の時こういうの貰ったらワクワクしちゃって。だから、作ってみて良いですかって聞いたら良いよって」
「へー」


この人、先生と言う仕事には学生時代から憧れていたのかも知れない。物凄い夢を持って先生になったような気がする。今の話だけでなく、この時間まで一人で残っている事実がそれを物語っていた。


「でも今日は帰ろうかな…誰も居なくなっちゃったし」


しかし、さすがに先生自身ももういい時間だと感じているらしい。資料を上書き保存し始めた。


「天童くんはこんな時間までどうしたの?もう下校時刻とっくに過ぎてるよ」


先生はデスク周りを片付けながら言った。


「俺は練習。バレー部だから寮だよ」
「あ、そっか!こんなに遅くまで練習してるんだね」
「まーね」


自分でも驚くけれど、今になっても「凄いね」みたいな目を向けられると誇らしくって嬉しい。そんな目で見られたくて白鳥沢のバレー部に入ったわけでは無いんだけど。白石先生が俺を尊敬するような眼差しで見てくれるのは悪い気はしなかった。
俺も頑張ってる先生を見て凄いなって思うけど、問題なのはこの人は今から帰宅しなければならないという事。


「先生こそ、こんな時間まで大丈夫?女の人はあぶないよ」
「はは…そうかなあ…」
「そだよー。早く帰りなね」
「ありがとう…生徒さんにそんな事言われるなんて、情けないね」
「生徒さんっていうか」


女の人だから言ってみたんですけど、男として。高校三年になっても大人から見れば生徒なんて「男の子」なのだろうか。大人に見られたいわけでは無いものの、少しだけ空振りをした気分。


「でもね私、教師にずっとなりたかったの。だからちょっとくらい大丈夫!」


先生はようやく重そうな鞄を肩にかけると、力こぶらしきものを作って笑ってみせた。わざわざ「らしきもの」と付けた理由は、全然力持ちに見えないからである。
でもその仕草が何だか可愛いなと思えてしまって自分の頭を疑った。仮にも先生に向かって「可愛い」なんて感じる日が来るとは。


「それってアレだよ、フラグ」
「フラグ?」
「大体そうやって夢持ってる人が、途中で心折れちゃうの」
「え!?」
「白石先生も、もっと気楽になるほうがいいよー」


俺みたいにね、と付け加えれば大体の人は「お前は極端」なんて言ってくる。今日も「天童くんはリラックスしすぎじゃない?」なんて笑われると思っていた。けれど先生は別の意味で笑った。


「分かった!もうちょっとガッツ捨てるね!」


と、またもや力こぶモドキを見せてにっこりしてみせたのだ。ガッツって捨てたり拾ったり出来るもんじゃないと思うんだけどなあ。
でも話していてこんなに楽しい先生は初めてで、その理由は彼女が新任で歳が近いせいもあるかも知れないが、自分に対しても勘のいい俺にはもう分かっていた。