09
特別な出会い・プライスレス


俺は昔から冷静なほうで、人前で取り乱す事も無く、自己分析もだいたい得意なほうであった。
だから今まで対人関係において失敗した事は無く、しいて言えば去年付き合っていた女の子に知らない間に浮気されていた事くらい。そんなのは俺起因では無いから自分の失敗には数えない事にしている。虚しくなるし。

そんな過去の恋愛の事は置いといて、つまり俺はそれほど感情に左右されず生きて来た人間だというのに、今初めてひとりの女の子によって翻弄されているのが問題なのだ。


「合コンどうだった?」


週明けの昼休み、鈴木ともう一人の友人に聞いてみた。一応誘われていた身だし、一度は口が滑って「行く」と言ってしまったし。すると鈴木が目を輝かせて言った、「最高だった!」と。


「メールしたじゃん赤葦!来ればよかったのに」
「うん…で、連絡先交換できた?」
「交換どころじゃなかったよ。なあ」
「そーそー」


満足げに笑う二人を見て、ますます行かなくて良かったなあと思えた。そして、白石さんのバイトが重なっていて良かったなあと。万が一白石さんがこんな輩にお持ち帰りされてしまったら、彼らと友人関係を続けられる自信が無い。…念のため言っておくと、友人としてはとても良い奴らなのだけど。


「じゃあもう佐々木さんの事は諦めついたんだ」
「諦めっていうか…ヨリ戻せるなら戻したいよ?振られたんだもん」
「まだ好きなの?」
「好きだよ!何」
「いや、べつに」


まだ元カノである佐々木さんを好きなのに、平気で他の子と身体の関係を持つ。気持ちは分かるがせめて共有の知人である俺の前では言わないでもらいたい。
しかし、もしも俺が白石さんに告白をして振られてしまい大きなショックを受けた時、なにも言わず抱かせてくれる女の子が現れたなら、もしかしたら俺は性欲をぶつけてしまうかも。男って弱いな。


「けど、アイちゃんに告られたら付き合うかもな…あ、アイちゃんって合コンの子」
「そっか」
「赤葦って彼女作ろうとは思わないの?」


また前と同じ質問をされてしまった。この手の話題はとても苦手だ。特に片想い中は。


「そりゃあ、欲しいとは思うよ」
「じゃあ今度また合コンしよ」
「合コンはちょっと…」
「えーなんで?」


好きな子が居るからだよ、って言ったら絶対に突っ込んでくる。そして茶化してくるだろう。特定の相手が居るのを明かすのは無事に結ばれてからでいい。だから俺は、白石さんの言葉を借りた。


「そういうので出会っても、上手く行かない気がするから」


万が一、億が一くらいの確率でなら相性のいい相手と出会えるかも知れない。でも合コンの場では白石さんには出会えない。
そういう意味で言ったからか、鈴木はとても不思議そうだった。そして、俺が白石さんに聞いたのと同じ質問をしてきた。


「じゃあ、どんな出会いなら理想なわけ?」


なんと答えるのが正解なのだろう。あの時白石さんがこの質問に即答できなかった理由がちょっとだけ分かった気がする。変な質問だな。

答えを考えていると、食堂の入口から女の子が二人現れるのが見えた。途端にドキリとしたのを俺は必死に隠した。白石さんだ。
彼女たちは食堂のテーブルの間を歩いてだんだんとと俺たちの席に近付いてくる。こちらに気付いているのかどうか…あ、気付いてる。目が合った。白石さんと。
その瞬間に俺の口からは勝手に出ていた。「理想の出会い」が何なのかという質問の答えが。


「……コインランドリーとか」
「へ?」


気の抜けた鈴木の声と、白石さんの驚いた声がシンクロした。俺の声は白石さんにも聞こえていたらしい。敢えて聞こえるように言ったのか自分でも分からない。


「すみれ、どうしたの?」
「えっ?いや」


いきなり声を上げた白石さんを、隣に居た女の子は不振がっていた。白石さんは何でもないよと首を振っていたけれど、明らかに俺の方を見てる。「コインランドリーがどうしたの?」という顔で。

すると女の子たちの話し声を聞いた友人が後ろを振り向いて、白石さんともう一人の子に話し掛けた。


「あ。ミカちゃーんこの前アリガトー」
「いいえー」
「こいつ無事に心が癒されたみたいでさ。良かったらまた合コン開いてくんね?」


心が癒されたっていうか、身体で癒されたんだろ。という皮肉は女の子の前では言えない。
鈴木が教育学部の誰かをお持ち帰りしたことを、彼女たちは知っているのだろうか。白石さんは知りませんように。俺も同じような事をする男だと思われたくない。
ミカちゃんと呼ばれた女の子もその事を知っているのか不明だが、とても愛想良く答えていた。


「そうだね。私の周りも出会いが無いって嘆いてる子多いしねー。すみれも今度来てみる?」


俺と白石さんは同時に、音もなく反応した。
誘うなよ。友だちに誘われたら白石さんだって、合コンに参加してしまうかもしれないじゃないか。バイトさえ重ならなければ、断るための絶対的な理由なんて無いのだから。彼氏でも居ない限り。
どうか断ってくれますように。


「……私はいいや」


無言のまま天に祈っていると、どうやら俺の祈りは届いたらしい。白石さんは眉を下げて笑いながら言った。それを聞いた俺の友人のほうは、たいそう寂しそうであった。


「えーどうして?」
「そういうので出会っても、長続きしない気がして…あ、人によるとは思うんだけどね!私はあんまりかな」


白石さんは鈴木に気を遣っているのか、決して合コンそのものを否定している訳では無いといったふうに遠慮していた。だって先日の合コンは、失恋した鈴木を慰めるために開催されたのだから。白石さんのこういう心遣いが出来るところ、俺はとっても尊敬している。

さすがに周りも白石さんがあまり乗り気では無いのを察したようだけど、まだ諦めていない様子の鈴木が最後に言った。


「すみれちゃんって言った?もしよかったら予定が合えばまた行こうね」
「うん、ありがと」


社交辞令だと思いたいが、白石さんは軽くお礼をした。
そんな事よりおいお前、誰が白石さんを下の名前で呼んでもいいと許可したんだよ。こういう時さらりと名前を呼べるやつが羨ましい。俺なんか家まで行ったのに、まだ苗字でしか呼んだ事が無いんだぞ。


「あれ、赤葦もう行くの?」


俺は気づいたら席を立っていて、鈴木たちが立ち上がった俺を見上げていた。どうしよう、無意識だった。しかも拳を握っている。危なかった。


「…早めに席取っときたいから」


なんとか絞り出した苦しい言い訳は、幸いにも午後の授業まであと少しだったので通用した。
「じゃあ俺も行こっと」と残り二人の男も立ち上がり、白石さんとミカちゃんに手を振っている。俺はどうしても手なんか振る気になれない。俺が一番白石さんと親しい男だと思い込んでいたのに、こうも簡単に他のやつが名前を呼ぶなんて。そしてそれを嫌な顔一つせず受け入れているなんて。
俺って白石さんの何なんだ?いや、何でもないな。「洗濯機の排水ホースひとつ直せない情けない男」だと思われているんだろう、ちくしょうめ。

せっかく食堂で白石さんと会えたのにこんな気分になってしまって、ちゃんと挨拶も出来ないまま去らなくてはならないのが悔しい。けど、心の中に悶々と情けないものが溜まって、素直に白石さんと目を合わすことが出来ない。
なのに、白石さんがジッと俺を見ているのを感じる。俺、いまどんな顔してる?すっごく嫌な顔をしていないか?

見られているのに完全に無視をする事が出来なくて、俺は目線だけを白石さんに向けた。そうしたら見えたのは、俺と目が合った瞬間にぱっと広がる白石さんの猫目と、可愛らしい唇だ。


(バイバイ)


その口からは声は出ていなかったけど、俺にだけ分かるように口パクをするのが見えた。胸の近くで小さく手を振りながら。
皆が居るのにそういう事をされたら、俺がどんな気持ちになるのか分かっているんだろうか。有頂天だ、この野郎。


「…ばい」


俺もこっそりと手を振り返すと、白石さんは口を閉じて手を下ろした。しかしその唇はなんとなく、弧を描いているように見えた。気のせいかな。気のせいだよな。ああもう、席を立たなければ良かった。


「ああいう子にこそ来てほしいよな」


移動しながら鈴木がぼそっと言ったので、何で俺に同意を求めるんだろうと思いつつも俺は答えた。「あの子は来ないよ」と、正直に、証拠に基づいて。