08
浮いた洗濯代・ゼロ円


まさかこんなにもスムーズに事が運ぶとは思わなかった。ここ何週間か会えなくて落ち込んでいたけど、白石さんの洗濯機は排水ホースが外れて使えなくなってしまったというのだ。
洗濯機の設置や撤去なんてやった事無いけど、説明書があれば何とかなるだろう。例え何ともならなくても、白石さんの家に招いてもらえるなんて願っても無い事じゃないか?


「本当にいいの?わざわざごめんね」
「いいよ。どうせ洗濯終わるまで暇だったから…」


本当はもう、俺の洗濯は終わっているけれども。白石さんの家に行って排水ホースを直すくらい三十分もあれば事足りるだろう。それぐらいなら洗い終えた洗濯物をコインランドリーに置きっ放しにしても、臭くはならないはずだ。最悪の場合、二度目の洗濯をしたっていい。その代わりに白石さんの家に行けるなら、無駄な三百円を消費するに相応しい事だ。


「合コン、どうして断ったの?」


道すがら、白石さんはとても答えにくい質問をしてきた。合コンの事なんて忘れておいて欲しかったが、そうも行かないらしい。


「…別に、最初から行く気は無かったから」
「え、行くって言ってたじゃん」
「あれは、あのー…」


白石さんも参加すると思ったから、それなら俺も行くと言ったまでの事。そんな下心見え見えの本音は言えない。


「行けば良かったのに。うちの学部、可愛い子多いよ」


俺の気持ちなんて全く察しがついていないらしく、白石さんは好き勝手な事を言う。
教育学部には可愛い子が多い?確かに間違いだとは思わない。でも俺にとっては女の子の顔なんてどうでも良いのだ。下着にこだわりが無いように。その女の子が白石さんか、白石さん以外の人か、その二択でしか判断基準は設けられていない。


「……白石さんは、機会があれば行こうと思うの?」


俺に対して「行けば良かったのに」と言うって事は、自分もバイトが無ければ参加予定だったのだろうか。
白石さんが来てくれるなら嬉しいと思ったものの、もしも俺の居ない合コンに参加されてしまったら、それはかなりショックである。どうか合コンに興味がありませんように。俺の頭は非常に自分勝手な願いばかりを唱えるようになった。
しかし有難い事に、白石さんは理想どおりの返事をしてくれたのだった。


「私はいいや。そういうので出会っても、上手く行かない気がするから」


あっけらかんとした答えは、同年代の女子とはやっぱり違う。実際には彼女のような子は他にも存在するのだろうけど、少なくとも俺の知る女の子の中では抜きん出て素晴らしい。合コンでの出会いは長続きしなくてすぐに終わりそうだと、俺も同じ考えを持っているからだ。お互いが一晩限りの関係を望むなら別だけど。


「じゃあ、どんな出会いなら上手く行くと思う?」


もっと白石さんの事を知りたい。と言うよりは、自分が白石さんの恋愛対象であるのかを知りたい。
コインランドリーでの出会いはどうだろう、とても運命的とは言えないけれど、合コンよりは珍しくってドラマがあるとは思わないだろうか?


「…どうかなあ。あ、ここだよ」


残念なことに、答えを聞くよりも先に白石さんの家に到着してしまった。
そこは俺が住んでいるよりも新しいマンションで、しっかりとオートロックの設備があった。ここでまず彼女の両親が娘を大事にしてくれているんだなと感じて、会ったこともない白石さんの親に敬意を評した。
エレベーターの中にもモニターがあって、白石さんが押した七階に到着すると角部屋へと案内された。


「お邪魔します…」
「どうぞー。汚いけど」


そんな枕詞を付けてはいるが、いきなり他人を家に上げても差し支えないくらいには片付いているのだろう。実際玄関に入った瞬間から整頓されていて、廊下には小さなダンボールがひとつ置いてあるだけだった。親からの仕送りとかかな。


「あ!」
「え?」
「ちょっとそこで待って」
「え」
「待ってて!止まって」


俺が靴を脱ごうとすると、白石さんがいきなり制止した。もう片方は脱いでしまったんだけど、その片脚を上げるのも許さないといった剣幕だ。部屋の中に死体でも隠しているのか。犯罪に加担しているなんて聞いてない。


「下着、室内干ししてるの忘れてた!ちょっと外出て!」
「え、ああ」


しかし全く犯罪の香りはせず、いつもの間抜けな白石さんが慌てているだけだった。良かった。出来ればそれを忘れたまま、干された下着を披露して欲しかったが。


「………」


いったん部屋の外に出て、ドアに背中を預けてスマホを取り出した。鈴木から合コンの進捗が来ている。『超当たり!』やれやれ好みの女の子が居たようだ。『よかったね』と返信するとすぐに『今からでも来る?』と来たけど、冗談じゃない。こっちは好きな子の部屋に招かれている最中だぞ。
ただ入口で足止めをくらっているのでどう返事しようか迷っていると、ちょうど背中のドアノブがガチャリと動いた。


「お待たせー」
「ううん。…入ってもいい?」
「今度こそいいよ」


どこかに片付け忘れた下着でも落ちていないかなぁと思いながら靴を脱ぎ、やっと部屋に入れてもらえた。と言っても生活スペースに入るのが目的ではなく、洗濯機の排水ホースを繋ぎ直すために来ているのだが。
だから白石さんが寝食をする肝心の部屋には案内されず、玄関を上がってすぐ左手にある脱衣所に入った。しかし、ここで白石さんが毎日お風呂に入るため服を脱いでいるのかと思うと最高の気分である。
洗面台にはあまりキラキラした女の子らしいものは置かれていなくて、歯ブラシとかドライヤーとか必需品のみが設置されていた。


「なんていうか、シンプルだね」
「これからいろいろ増やしたいなーって思ってるから…洗濯機はこれ」


洗面台のすぐ隣に、件の洗濯機があった。これが白石さんを苦しめている物体。そして、俺を今日ここへ連れてきてくれた物体だ。
しかし忘れてはならないのは、俺が洗濯機の排水ホースなんて触った事も無い初心者だということ。


「…説明書ある?」
「ある!はい」
「ありがとう」


取扱説明書がすぐに出てきたのは、白石さんが自分でも直そうと試みたからだろう。
説明書を見てみると、なんとなくメカニズムは分かったもののまだ自信が持てない。仕方ないからスマホでも調べてみるかと思っていたところ、白石さんが後ろから顔を覗かせてきた。


「できる?」
「わ」


危うくスマホが白石家の洗濯機にダイブするところだった。いきなり真後ろまで近寄ってくるのは反則だ。


「あ、ごめん」
「いや…」
「赤葦くん、直せそう?」
「うん…たぶん。出来ると思う」


ネット上には同じメーカーの説明画像がいくつかあったので、これならば上手く行きそうだ。まずは洗濯機の下部からピョンと出ている排水ホースを、水が漏れないようにはめ直さなくてはならない。その後排水口に取り付けて、水漏れが無いか試して問題なければ終わり。

というわけでまずは洗濯機を持ち上げて、ホースを触りやすいように完全に出す・あるいは傾けた方が良さそうだ。


「うわ!力持ちだね」


俺が洗濯機を持ち上げると、白石さんが面白いように感激していた。めちゃくちゃ気分がいい。鼻の下が伸びないように気を付けながら洗濯パンを覗いてみると、洗濯機の陰にある排水口を発見した。


「……あー…あそこか」
「あそこにコレ、はめるって事だよね」
「みたいだね」
「どうしよう。私、腕突っ込んだら出来るかな」


確かに白石さんなら俺よりも細いし、やろうと思えば出来るかもしれない。
俺は洗濯機が元の場所に戻ってしまわないように傾けたまま支えておき、白石さんが空いたスペースから手を入れてホースを掴む作戦に出た。が、彼女自身も洗濯機のホースなんか触るのは初めてらしく、なかなか上手く行かない様子。
ついに腕がだるくなってきたのか、諦めてへにゃりと笑った。


「だめ!難しいねー」


その疲れたような、だけど同意を求めるような笑顔が俺の心をブッスリ射抜いたのは言うまでもない。


「どうしよう?」
「うーん…俺やってみていい?」
「うん」


ここはどうしても良いところを見せたい。ひとりの女の子のために洗濯機と戦う日が来るとは思わなかったけど。何事も経験しておかなければいけないな。


「赤葦くん、大丈夫?」
「もうちょっと…」


本当にもう少しで、全てが終わりそうだった。洗濯機との戦いに勝利できそうだった。

しかし俺はとても良くない思い付きをしてしまったのだ。洗濯機が直れば白石さんは俺を褒めてくれるかも知れないが、今度こそコインランドリーに来なくなってしまうだろう。そうなれば今、いくら自分の株を上げたところで未来は無い。「洗濯機直したから俺と付き合って」「うん勿論!」なんて馬鹿みたいな話もあるわけが無い。
直すか?直さないか?究極の選択だ。俺は自分の良心に問いかけた。お前、そんなに落ちぶれたいか?けれど悪魔は囁いた、「直せなかったからって嫌われる事は無いだろう」。


「…ごめん。俺、やっぱり出来ないかも」


この畜生で大馬鹿者の赤葦京治、お前なんか男じゃない。家に上がっておいてわざと直さないなんて詐欺だろ。
今すぐ前言撤回してやりたいけど既に遅く、白石さんは残念そうに眉を下げたところだった。


「そうだよね。難しいよねコレ」
「ごめん……」
「いいよ!またお父さん呼んでやってもらうから」


そのように言う白石さんは説明書を元の場所に仕舞って、さきほど玄関に置いた大きな袋を持ち上げた。何をしてるんだろう?とその動きを見ていると、白石さんが洗面所の電気を消しながら言った。


「じゃあ行こっか」
「え?」
「私、まだ洗濯終わってないから」


それから靴を履き、玄関の扉を開く。外出するようだ。


「コインランドリー。一緒に行こ?」


俺はすっかり大事な事を忘れていた。洗濯機が直らなければ白石さんはコインランドリーに逆戻り。二度手間である。俺ってなんて最低で自分勝手な男なんだろうと殴りたくなるのと同時に、「一緒に行こ?」なんてまるで同棲してるみたいだな、なんて浮かれてしまう自分も居た。文字通り自分を見失ってしまったのである。