01
春季限定アステリズム


桜前線とともに新年度がやって来た。白鳥沢で過ごす最後の年の始まりは、なんの特別な事もなく。去年と同じように新しくやって来た寮生を出迎えて、歓迎してやるところから始まった。

特にバレー部は完全寮生活が決まっていて、毎年多くの一年生が入ってくるこの時期はとても慌ただしい。新入生に寮生活の事、学校の事、そして部活動の事を教えていかなければならないからだ。それを主将や副主将だけに任せておくわけにもいかず、仕方なく割り振られた仕事を俺もこなしているのだった。


「こっちが食堂。夜の皿洗いだけ当番制ね」
「ハイ」
「で、あっちが風呂。隣がトイレ。そのまた隣に自販機があって」
「お前な、もう少し丁寧に説明してやれよ」


俺が事細かに説明してあげていたのに、後ろから瀬見英太が口を挟んできた。
そんな事言われても、何もかも説明したって本人達の為にならないと思わない?英太くんは後輩を甘やかし過ぎるんだよ、と言ってやると「え、そうか?」と慌てていた。人の言う事をすぐに信じて気にする性格、良いんだか悪いんだか。

それにしても去年に続いて入ってきた一年生はさすがに白鳥沢のバレー部を志望しただけあって、スポーツ社会に慣れている。上級生の言う事にすべて首を縦に振ってくれるのだから。ひととおり寮の案内を終えて解散したところで、再び近くに来ていた英太くんに同意を求めてみた。


「一年生って可愛いね、何言ってもありがとうございますって言ってくれんの」
「あのなあ…」
「お前ら、もうすぐ集合だぞ」


通り過ぎざまの大平獅音くんが笑顔だったので余裕ぶっこいていたけど、時計を見ると全く余裕では無く。慌ててシューズを引っつかみ、ばたばたと体育館へ向かう羽目になった。
お願いだから監督からの号令があった時は世界中に響くくらいのスピーカーが欲しい。運悪く集合に遅れてしまった日には、ふらふらになるほど走らされるのだから。

新入生の自己紹介と挨拶もそこそこに、いきなり練習はスタートした。
監督である鷲匠鍛治くんは基本的に厳しくて、それは一年生だろうと関係ない。白鳥沢の練習内容がキツイと言うのを分かったうえで入部してくるのだから、という事らしい。俺も最初は吐くほどやらされたっけなぁ、今年は何人が吐いちゃうかなぁ。


「十分休憩ー!」


しかし、心なしか休憩の号令は早めに出された。さすがにいきなり吐かせるような練習はしないらしい。つまんないけどどうせゴールデンウィークになれば地獄を見るのだ、その時に可愛がりがいのある後輩を探すとしよう。


「疲れた…」
「いきなりキツイな、さすが強豪」


体育館の隅っこでは、監督には聞こえないように弱音を吐く一年が何人か見受けられた。痛いほどによく分かるその気持ち。俺も推薦で入った身だから続いたけれど、そうじゃなければ初日で逃げ出していたかも知れない。そう言えば初日に若利くんに握手を求めた時、ニコリともされなくて驚いたっけな。


「ふふふ」


懐かしい思い出に思わず笑みがこぼれて、にやにやしながらトイレに向かう俺は不審者そのものだったろう。
残念ながら一番近いトイレは満員で(もしかして、早くも吐いてる一年生が居たのかな?)、仕方なく渡り廊下の向こうにある離れたトイレを使う事にした。


「………ん?」


無事に用を足してトイレから出た時、俺は足を止めた。見たことの無い女の人が、渡り廊下の分かれ道で左右をきょろきょろ見渡しているのだ。
迷子なのか誰かを探しているのか。手に持った地図らしきものに目を落として再びきょろきょろし始めたので、きっと迷子に違いないと思えた。


「もしもーし」
「わああっ!?」


俺が背後から声をかけると、その人は飛び上がって悲鳴をあげた。俺もその声にビックリしてしまい、悪戯心で忍び足になったのをちょっぴり後悔した。だって、普通に声を掛けるだけじゃ面白くないんだもん。さすがにここまでビビられるとは思わなくて、頭を下げた。


「あ、ゴメンナサイ…迷ってんのかなと思って」
「こちらこそすみません!私、今年から働かせていただく白石すみれと申します!社会科担当です!どうぞよろしくお願いしますっ」


ペコリ!と擬音が聞こえてきそうなほど直角に曲げられた腰。よろしくお願いしようにも、顔が全く見えないので何をどうよろしくすれば良いのか分からない。
しかし今ご丁寧に披露してくれた自己紹介によると、この人は生徒ではなくて先生らしい。しかも俺を大人だと勘違いしているような。


「……先生なんですか?」
「え…」
「俺、生徒なんですけど」


制服を着ていないから、分からないのも仕方ないかも知れないけど。
白石すみれと名乗った先生らしき女の人は曲げていた腰を伸ばし、そのまま仰け反るようにして俺を見上げた。そして、たぶん俺の顔を見て大人にしては顔が幼い事だとか、着ているものが部活の練習着である事などに気付いたようだ。


「……!て、てっきり部活のコーチさんか何かかとっ」
「えー、そう見えるかなあ」
「本当に申し訳ありません!」
「いや謝らなくても」


ペコリ!ペコリ!と、お辞儀のボタンを連打されているのかと思わせるほど激しい動きである。この人こんなので進学校の教師が務まるのかな。俺に言われたかないだろうけど。


「ところで、何か探しものですか?」


ここで高速連続お辞儀を見続けるわけにもいかないので、本題に戻る事にした。先生の手には印刷された校舎の見取り図がある。今日は四月二日で始業式はまだだけれども、先生の仕事は今日から始まっているらしい。


「そう言えば…私、迷わないように学校の中を探検しようと…」
「ああ」
「そうしたら職員室に戻る道が分からず」
「早速迷ってるのね」
「お恥ずかしい…」


そうは言うけど、迷ってしまうのも当然だ。俺も入学当初はどこに何があるのか分からなくて、移動教室に遅れそうになったものだ。先生が学校の中で迷子になっては仕事にならないだろうし、始業式までに位置関係を把握しておこうと思ったのだろう。真面目だなあ。俺、絶対こういう仕事には就けないな。


「職員室は違う校舎ですよ。あっちにはもう体育館と運動部の部室と、学生寮しか無いです」
「え!そうなんですか」
「そう。この渡り廊下まっすぐ行って、二つ目の校舎の二階が職員室」


親切な俺は分かれ道のうち左側の通路を指さしてあげた。新人先生はそっちに向き直り、地図を縦に横にと動かして現在地を確認している。「ああ!」と納得したような声が聞こえたので、もう心配なさそうだ。


「ありがとうございます…」
「イイデスヨー」
「天童!集合かかってんぞ」


その時、後ろから山形隼人くんの声がした。もう集合?そういや休憩はたったの十分しか無いのだった。


「あ、隼人くん。こちら新任の先生」
「え?あ、チワッス」
「ち!チワッス」


隼人くんのいかにも運動部な挨拶に、先生は背筋を伸ばして返答した。これじゃあどっちが先生で生徒なのか分からない。


「あはは、緊張してんの先生?」
「すみません…今日からなので…」
「お前、先生からかうなよな。じゃあ失礼します」


隼人くんがそう言うと、先生も「失礼します」と丁寧に頭を下げてくれた。
やっぱり新しい仕事って緊張するんだな。先生って当たり前のように自分たちより偉くて凄いんだろうと思ってたけど、初日でアタフタしている姿を見るのは初めてだ。だからちょっと心配になってしまって、俺はもう一度念を押した。


「迷わないでね、二つ目の校舎の二階!」


その声に先生は振り向いて、またまたペコリ!と腰を直角にして頭を下げていた。腰痛になりそう。


「二つ目の校舎の二階って?」
「職員室。あの人迷ってたんだよ、あそこで」
「へー。広いもんな、うちの学校」


隼人くんも迷った経験があるのか、そんな事を言っていた。体育館に戻る道すがら、新入生の入学を祝うように桜の花が咲いているのが見える。ここでこれを見るのも今年限りか、なんてガラにもなく考えた。


「今年の担任、誰かなあ」


桜前線が連れて来たのは新年度と新入生と、ついでに新しい先生。今年で最後の俺たちだけど、今年から新しい生活が始まる人も居るのだ。一体どんな年になるんだろう、ていうか隼人くん宿題やった?なんて話していると「急げよ!」と尻を蹴られてしまった。四つに割れちゃう。