07
合コン参加費・三千円


白石さんの家にめでたく洗濯機が設置されたのは、二週間前の事である。
しかし俺は直接本人から「ついに洗濯機が来た」と聞いたわけではない。あれから白石さんがコインランドリーにやって来ないから、洗濯機の設置が上手く行ったのだと悟っているだけだ。

コインランドリーにいちいち歩いてくるのも億劫で、白石さんが居るかもしれないという事だけで俺はモチベーションを保っていたというのに。退屈だった洗濯の待ち時間を楽しいなって思えるようになっていたのに、俺の潤った時間は取り上げられた。文明の利器により。

悔しいが、このまま白石さんを夜な夜なコインランドリーまで歩かせるとなると、親が心配するのも理解できる。このコインランドリーは普段あまり人が居ないし、防犯カメラらしきものはあるけれども、もし白石さんと他の男が一対一になって何かあってからでは遅いのだから。


「赤葦、聞いてる?」


ぼんやりしていたら急に名前を呼ばれて我に返った。
ここは大学内の広い食堂で、俺は同級生数名と昼ご飯を食べているところ。まあ皆とっくに食べ終えているので雑談タイムだが、俺は完全にうわの空になっていた。


「…ごめん。聞いてなかった」
「合コンやろうって話!大事な話なんだからちゃんと聞けよ」


同級生の彼はとても真剣な顔をして訴えた。確かに恋人の居ない若者にとって、合コンの話はそれなりに大切だ。俺も興味が無いわけじゃないし、誘われて顔を出した事はある。
しかし気になるのは、行く気満々になっている友人の中に鈴木が居る事だ。ついこの間、巨乳の彼女が出来たと浮かれていた男。


「…でも鈴木は、佐々木さんと付き合ってるんじゃなかったっけ」
「赤葦シーッ!振られたんだってよ」
「え、それはごめん」
「だから鈴木を励ます会という事で!教育学部にツテがあるんだけど、どう?」


鈴木は巨乳の佐々木さんと別れてしまったらしい。深くは聞かないでおこう。それより今、彼の口から興味深い内容が聞こえてきた。教育学部と言えば、白石さんの学部だ。


「…うちの教育学部?」
「そう。地元が同じ子が居るから、その子に女子集めて貰おうかなって」
「ふーん…」


こいつの地元は茨城県だ。白石さんは東京都内。という事はその合コンに白石さんが現れる可能性はとても低いだろう、教育学部には数えきれない女子が居るのだから。
それに万が一合コンに行くのを知られたら、白石さんはどう思うだろう?「赤葦くんって合コンで女の子を漁る人なんだ」とか思われてはたまらない。女の子を漁るのはコインランドリーで充分だ。


「………やめとく。」
「えっ、まじで?」
「まじ」
「何で何で、赤葦彼女居ないよな?」
「居ないけど…」
「欲しいよな?」
「そりゃ、欲しいけど…」


彼女は欲しいけど、俺の頭には特定の女の子の顔が浮かんでいる。知らない子と仲良く話す必要性は無い。
何か上手い断り文句が無いかと悩んでいた時、友人は俺の背後に向かって突然手を振り始めた。


「あ!ミカちゃミカちゃん」


初めて聞くミカちゃんと言う名前。それから初めて聞く声での「あ、おっつー」という言葉。
このやり取りで俺はミカちゃんが誰なのか、なんとなく分かった。合コンを組んでくれる相手方の女の子だろう。


「今度の合コンなんだけどさあ」
「ああ、うん。金曜日だよね」


そんな会話が聞こえてきて、一応俺も男だし、ミカちゃんとやらがどんな女の子なのか気になって振り向いてみた。
…そうしたら驚いた事にミカちゃんらしき女の子の隣には、今最も俺の意識を支配する人物が立っているではないか。


「……白石さん」
「赤葦くん。なんか久しぶり」


白石さんがミカちゃんの隣で手を振った。
教育学部の白石さん。もしかしてミカちゃんと仲が良いのだろうか。という事は、ミカちゃんが集めてくれる女の子の中に白石さんも居る?白石さんも合コンに来る可能性が?久しぶりにこんなに脳を動かした気がする。


「あ、赤葦くんも合コン行くの?」


白石さんのこの言葉で、俺は確信した。彼女が「合コン」という物に嫌悪感を示さない人である事、そして、彼女自身も金曜日の合コンに来る事を。


「……行く。」
「え?お前さっき行かないって」
「いやいや行くって言ったよ俺は」
「行く?まあ来てくれるなら嬉しいけど」
「行く行く」


慌てて前言撤回した俺はなんとか合コン行きの許可を得ることが出来た。よかった、ここに白石さんが現れてくれて。危うく会える機会を逃すところであった。早く金曜日にならないかな。
…と一気に脳内が晴れやかになったが、それは長くは続かなかった。


「そうなんだ。楽しんできてね!私金曜はバイトだからさあ」
「え」


じゃあまたね、と二人の女の子は別の席まで歩いて行った。

俺とした事が完全に先走ってしまった。てっきり白石さんも合コンに参加するものだと。呆然とするってまさにこの事だ。
またもや断り文句を考えなくてはならず頭を悩ませていたら、俺の友人が嬉嬉として話しかけてきた。


「赤葦どうしたの?急に行く気になってくれて」


これは駄目だ。理由なんか考えている場合ではない、早めに断ろう。白石さんの居ない合コンには興味が無い。


「…行かない」
「はい!?」
「ごめん。やっぱり行けない」
「え!?」
「ほんとにごめん。なんか埋め合わせするから」
「いや、そこまではいいけど」


白石さんと同じ空間で飲食できるかも、という想像で有頂天になってしまったせいで、一気にどん底に突き落とされた気分。こんな事なら白石さんが現れなければ良かった。いや、会えて嬉しかったけど。



そしてやって来た金曜日、俺はもう一度友人たちにお詫びをして、合コンには行かず帰路に着いた。その理由としては「合コンに興味が無い」っていうのもあるし、駅近くのファミレスで白石さんを見掛けることが出来るかも知れないから。だって彼女、「金曜日はバイトで行けない」って言っていたんだから。俺はそろそろ本物のストーカーだ。
そしてそのファミレス前に到着すると、何の苦労も無く白石さんの姿を確認する事が出来た。


「居る…」


今は忙しい時間帯だからか、ホール内を歩き回る白石さんが居た。
制服を着て、髪をひとつに結わえて、お客さんに笑顔で接しているのを見て、接客されている家族連れに嫉妬してしまうほど俺は重症だ。中に入るかどうか迷ったけど、俺は今日合コンに行っていると思われてる。合コンを断ったのに一人でファミレスなんかに行ったら怪しくないか?まるで白石さん目当てみたいじゃないか。正しいけど、それを知られる訳には行かない。

と言うわけで、名残惜しいけれども大人しく帰宅する事にした。冷蔵庫にはまだ昨日作ったカレーがあるし、お米だって一食分ずつに分けて冷凍してある。そう言えば昼間も食堂でカレーライスを食べてしまった。まあいいか。

それから俺はコインランドリーに行って、三百円を入れて洗濯機を一度回した。そして、面倒くさいけどいったん家に帰る。今まではずっと待機していたのに。白石さんが来るかもしれないから。
けれど自宅に洗濯機を設置したハイスペック一人暮らしの彼女が、わざわざコインランドリーに来るはずは無い。今はまだバイト中だろうし。

だから俺は家に帰って適当に時間を潰し、約四十分が経ったころに再びコインランドリーへと戻って来た。


「あっ、」


ところが自動ドアが開いた時、俺は思わず声に出た。金輪際ここで会う事も無いだろうと嘆いていたはずの白石さんが、洗濯物の入った袋を下げているではないか。


「…白石さん?」


白石さんがここに来るはずはない。ドッペルゲンガーかもしれない。恐る恐る声をかけると、ちょうどお金を入れようと財布を開いた彼女が顔を上げた。


「あ。もう合コン終わったの?」


チャリンと小銭の音を鳴らしながら、白石さんのそっくりさんが言った。この様子だとそっくりさんではなく本人だろう。この見た目で、なおかつ俺が今夜合コンに行く予定だったのを知っているのは、世界中どこを探しても白石すみれ本人だけだ。


「いや…俺、行くの断ったから」
「あれ、そうなんだ」


百円玉が足りなかったらしい彼女は、両替機に向かった。
そうなんだ、って興味無さそうな返事だけどそれどころじゃない。俺が合コンに行った行かないの話よりもっと大事な事があるではないか。


「白石さん、何でここに?」


家で洗濯が出来るのに、どうしてコインランドリーに来ているのだろう。それも俺と同じタイミングで?
白石さんは少し答えにくそうに咳払いをして、手元でお金を触りながら唸っている。何をそんなに言いにくい事があるのだろうか。もしかしてここに来れば俺に会えるかも、と思ってわざとコインランドリーを使ってるとか。そんな訳ないか。でも、そうだと嬉しい。そんな気がする。そうであれ。


「実は排水のホースが外れちゃって。自分じゃ直せなくって…洗濯は溜めたくないから来ちゃった」


最終的に白石さんが恥ずかしそうに言ったのは、こんな事だった。
なんだ、俺に会いたかったわけじゃないのか。期待や喜びが顔に出ない人間で良かった、と感じるのはこれで何度目だろう。


「…そっか。大変だね」
「うん。洗濯機って重いし、動かしにくいからさー」
「どうするの?」
「またお父さんに来て直してもらうよ」
「ふーん…」


そして彼女は、それまではまたここに来なきゃなあ、と溜息をついた。
来ればいいのにと思ったけど、それだと嫌味を言っているように聞こえる。白石さんは家で洗濯したいのだから。ホースが外れて災難な相手にそんな事を言うのは感じが悪い。それなら俺はどうすれば自分の株を上げることが出来る?今日は一段と脳が働く日だ。


「俺、直そうか?」


一か八かで考え付いたのはこれだった。洗濯機なんて設置した事もなければ直した事も撤去した事も無い。でも、今の時代ネットで検索すれば大抵の事は何とかなるだろう。それに白石さんが「洗濯機が重くて動かしにくい」という理由で諦めているのなら、俺なら力になれるはず。
しかしこれを、家に押し入ろうとする変態だと捉えられたらどうしよう?そんなの二の次だったけど。

なかなか返事が無い白石さんをちらりと見ると、彼女は両替しようとした千円札を仕舞っているところだった。そして信じられない事に満面の笑みで言った、「赤葦くんが居てラッキー」と。