20181117


周りを良く見て動けってよく言われる。小さい時から私はよく転んだりしていて、車道に飛び出しそうになった時はかんかんに叱られたものだった。
さすがに小学校・中学校を経て高校三年生にもなればそんな事は無いけど、今でも何かに躓いたりぶつかったりして転ぶ事がある。ほんの時々、ごくまれに。


「……いったぁ」


今日はそんな稀な日だった。どうしても肉まんが食べたくて、学校帰りにコンビニに寄った私は無事に肉まんをゲットした。
食べ歩きはそれこそ車に跳ねられたら大変なので、先に食べてから帰ろう。
そう思って、コンビニの外にあるゴミ箱の横でちゃんと食べ終え、ゴミを捨てて、さあ帰ろう!と足を踏み出した時。見事に駐車用のブロックに足を引っかけて、転んでしまったのである。


「もーさいあくだ…」


本当に最悪だ。店内で立ち読みしていた人の真ん前だから、本の上から覗きこまれてるし。店員さんもちらりと見てきてるけど、私がそこそこ年齢の行った高校生だと分かると知らんぷり。そうですよね、小学生とか幼稚園児とかだったら「大丈夫?」って声をかけてくれますよね。

早くここから帰りたいけど、膝からは思ったよりも血が流れている。確か鞄の隅っこにティッシュが入っていたはず、と思いながら私は鞄を漁り始めた。女子のくせにポケットにハンカチくらい入っていないのかというツッコミは受け付けない。


「大丈夫?」


鞄の中身をひっくり返そうとした直前、聞き覚えのある声がした。ついでに視界が暗くなって、目の前に何か巨大な壁でも現れたかのような感じ。声のしたほうを見上げると、そこにはクラスメートが立っていた。


「…黒尾くん!?」
「よー」
「よー…え、どうして」
「ここ帰り道だから」


そう言って、同じクラスの黒尾鉄朗という男の子が前の道を指さした。
ここは学校から電車で十五分くらい離れていて、乗り換え無しで行けるので便利といえば便利。このあたりで見かけた事は無かったけど、どうやら同じ最寄り駅だったようだ。


「そうなんだ。家近いんだね」
「みたいだね。ていうかそれヤバくない?」
「あ」


黒尾くんの登場で意識が別のところに集中していたけど、指摘されて思い出した。まだ私の膝からは、血が垂れ流れている真っ最中である事を。
そうだ、鞄からティッシュを出そうとしていたんだ!


「えーとティッシュ…あ!あった」


どうにか中身をぶちまけ無くてもティッシュを見つける事が出来た。しかし悲しい事に取り出したものは空っぽで、かつてはティッシュが入っていたと思われるクシャクシャのビニール袋があるのみだった。


「……切れてる」
「マジか」
「まあいいや、買ってくるから…」


ここはコンビニだし、お金が勿体ないけど買えばいい。ポケットティッシュなんて高くないし、持っていれば今後も何らかの役には立つだろう。
そう思って鞄を背負い直していると、黒尾くんが思い出したように言った。


「あ。俺、タオル持ってる」


そして、今度は黒尾くんが鞄を漁り始めた。
黒尾くんは確かバレー部だから、練習のためにタオルを持っているのだと思う。でも汗を拭いたタオルを傷口に当てるのって衛生的に大丈夫かなとか、そもそも黒尾くんのタオルを私の血で汚すのは申し訳ないとか、色々考えているうちに黒尾くんがタオルを出した。
…と思ったけど、あれ?タオルじゃなくて、リボンでラッピングされた小綺麗な袋が現れたぞ。


「……え、それ」
「ちょっと待ってな、開けるから」
「えっ、でも」


それって明らかにプレゼント包装じゃ?と言うか新品?しかし黒尾くんはそんなのお構い無しに包装を解いていく。


「待って!これ何?新品じゃんか」
「おう。だからバイキンついてないよ」
「違う違う違う!そうじゃなくて」
「いいから使って」


とうとう中からは新しいタオルが出てきて、黒尾くんが私に差し出した。けれど、いくら膝が無残な事になっているからと言って、やすやすと受け取るほど厚かましい人間ではない。


「こんなの悪いよ」
「いいの。貰ったプレゼントを何に使おうが、貰った側の勝手じゃん?」
「え、やっぱりプレゼントなの?」
「そう。俺、今日誕生日だから」


黒尾くんはさらりと言ってのけた。今日は年に一度だけ訪れる、彼にとっての特別な日であると。その特別な日に、人から貰ったプレゼントであると。ますます受け取れなくなったじゃん。


「うそ…これ、黒尾くんの誕生日プレゼント」
「そうそう」
「え!?ごめん!最悪だ、」
「いいんだって」
「でも血が…」
「いいから早く拭かないと。めちゃくちゃ垂れてんじゃん」


すると彼はタオルを手渡すのをやめて、私の前にしゃがみ込んだ。もうソックスまで赤く染まっている私の脚を、そのタオルで下からゆっくり拭いていく。傷口に近付くと擦るのをやめて、優しく傷口を叩くように。え、何してるんですかこの人。


「………。」


私が呆然とそれを見下ろしていると、血を拭き終えて満足したらしい黒尾くんが顔を上げた。そこでバチリと目が合って、そのあと目の前にあるスカートの裾と私の太ももを見て、きっと彼は思っただろう「やべえ」と。だって「やべえ」って顔してるから。そして、勢いよく立ち上がって弁解を始めたから。


「……ごめん。違う。変な事考えてないから」
「え、いや、そんな」
「あーマジでごめん…」
「分かってるから!こっちこそごめん」


私がこんな場所で転ばなければ血は出なかったし、黒尾くんがわざわざ膝をついて血を拭いてくれる必要なんか無かったし。タオルを汚す事も無かったのだから。
それに私は、わざと近付いて目の前で拝み倒すほどの美脚ではない。むしろ私なんかの脚をこの距離で見せてしまって申し訳ない。


「洗って返すね、取れるか分かんないけど…」
「いいよ、テキトーで」
「でもこれプレゼントでしょ?」
「部活の連中からだから。大丈夫だよ」


それって全然大丈夫じゃないと思うんだけど。誰に貰った物だとしても私の血が付着した以上、自宅で洗って返すのが礼儀である。


「なるべくちゃんと洗うから」
「うん。ありがと」
「私こそ…」


私は新品のタオルを受け取って、血がついた部分を内側にして畳んで仕舞った。
誕生日プレゼントをいきなり汚すなんて、あとから考えても最悪だな。私もお詫びに何かプレゼントしたほうが良いだろうか。いっそ新しいタオルを買って渡す?


「白石さん、もう帰る?」


罪滅ぼしの内容を考えていると、黒尾くんが鞄を肩に掛けながら言った。


「え?あ…うん」
「そっか。あのさ、よかったら肉まんでも食わね?」
「えっ」


肉まん。それは白いふかふかの生地の中に美味しいお肉が詰まり、たったの百円くらいで売られている素敵な食べ物。さっきまで私がここで一人、むしゃむしゃ食べていた物。
黒尾くんは私が既に本日肉まんを食した事を知らない。けど、今から肉まんを食べると二個目の摂取になってしまう。それは女子失格では?
ハンカチを持ち歩いていない上に、一人で肉まんの買い食いをした事を打ち明けるか迷っていると、黒尾くんが慌て始めた。


「……あ。いや、俺ちゃんと奢るから!誕生日だから食わせろって意味じゃないよ」
「いや、違う違う、違くて」
「違うの?遠慮してる?」
「いや、ええと」


肉まんが嫌いだと嘘をつく?…そんな嘘はつけない。いい断り文句が浮かばない。


「……私、さっき食べたから…」


黒尾くん以外の誰にも聞こえないように、ボソリと言った。黒尾くんはそんな私の声に耳を傾けてくれていたけど、言葉の内容を理解すると顔を離して、それから目を丸くした。


「…ひとりで?」
「ひとりで」
「フッ」
「あ!笑った!」
「ごめ、ちょー面白いんですけど」
「ひどっ」
「ごめんって」


女子高生が帰り道に肉まんを買い食いするって、そんなにおかしいかな?私も滅多にしないけど!家まで我慢できなかったんだもん。
けど黒尾くんは「そりゃあ二個目はヤバイよな」と笑っているので、私が買い食いした事実に対してではなく、短時間に二個の肉まんを食べる女を想像して笑っているのかも知れない。


「はー…じゃあ肉まんじゃなくていいや。一緒に何か食べよ」


やっと笑い終えた黒尾くん(ちょっと笑いすぎだと思う)は、このように提案をした。一体どういうつもりなのか、肉まん以外のものを食べようと言うのだ。
全くもって意味が分からなかった。私に誕生日プレゼントとして奢らせる気もなさそうだし。


「…でも、誕生日なんだから…おうち帰ったらご馳走とかあるんじゃないの」
「たぶんね」
「じゃあ今あんまり食べない方が」
「そういう事じゃなくってさ。俺へのプレゼントだと思って時間ちょうだい」
「プレゼント?」


プレゼントとして買えって事ではなく、私の時間を寄越せと言う。そりゃ、私は帰っても特に大事な予定とかは無いけれども。黒尾くんはこんなところで油を売る暇があるのだろうか?
未だに分からない、それどころか怪しんでいる私に黒尾くんは眉を八の字に下げた。


「あのー…こんなにしつこく誘ってんだから、そろそろ察して欲しいなあ」


…なんちゃって。
と黒尾くんが言って、一人でハハハと笑って、呆ける私の腕を掴むのを、私は無言で見ていた。え、何してるんですかこの人。本日二回目のツッコミ。


「………あの、黒尾くん?」
「はいレッツゴー」
「え!」


まだ頭がこんがらがっているまま、私は再びコンビニの中に逆戻りさせられた。何を飲むか、あるいは食べるかニコニコ悩んでいる黒尾くんによって。

「何にする?」と聞いてくれた彼に混乱気味の私は「バンソーコー」と答えてしまい、黒尾くんはまた派手に吹き出しながら絆創膏を買ってくれた。これ、一体どういうこと。

Happy Birthday1117