20181111外を走っていると、もうすっかり秋だなあと感じる。これまでは部活の事で手一杯だったけどその必要もなくなって、他の事を考える余裕ができ始めた。
それでもいきなり早起きをやめるのは難しく、暇さえあれば練習に付き合わされるしで、忙しさは大して変わっていない。声を掛けられるのは勿論嬉しい事だけど。
さて、今日は自分の誕生日だ。でも去年までのように部員に祝ってもらう事は無くなった。日曜日だし、もう引退したのにいちいち祝ってもらうのが申し訳なくて断ったのだ。
だからと言って特別な用事も無いので、今はこうしてランニングの真っ最中。で、目についた紅葉を見て「もうすっかり秋だなあ」という冒頭の言葉に戻るわけである。
「キレーだなあ…」
景色に見惚れるなんてガラじゃないけど、最近誘われたSNSにでも載せてみようかなとスマートフォンを取り出した。
何枚か撮影を繰り返しているとだんだん人が入って来たので、俺はいったん撮るのをやめた。こんな事言うのもなんだけど、景色を映す時にはあまり人間を入れたくないから。
「あ!瀬見くん」
「えっ」
俺スマホを下げたおかげで、周りの人間からは俺の顔が見えるようになったらしく。ちょうど近くに来ていたらしきクラスメートが俺の名前を呼んだのでギクリとした。白石すみれという女の子である。共通点はクラスが一緒である事だけ。あまり教室内での会話は無い。連絡先も知らない。
その程度の仲なのにギクリとするっていう事は、俺が白石に完璧な一方通行の気持ちを抱いているって事なのだが。
「なにしてるの?」
「俺?走ってた」
「走ってた?…あ、そういえばそんな服装だ」
「白石こそ何してんの?」
と、聞いた直後に俺は後悔した。白石がこんな紅葉スポットに来る理由といえばひとつしか浮かばない。同じく同級生で隣のクラスに居る彼氏と、紅葉デートってやつだ。
けれど今は一人みたいで、白石は俺からは離れずに答えてくれた。
「待ち合わせしてるんだけど、ちょっと遅れるって言われたから」
へえ、彼氏さんはせっかくのデートに遅刻するような人間なのかよ。
と、黒い感情が芽生えてきた。最低だな俺、もしかしたら電車の遅延とかいろんな理由があるかも知れないのに。
「引退後もそうやって体づくりしてるんだね」
白石は俺の服装とか、首からかけたイヤホンなどを見ながら感心したように言った。
「体づくりっていうか、もう日課みたいなもんだから」
「健康的〜」
「寮に居てもやる事ねえしな」
「でも、練習にはまだ行ってるんでしょ?」
「ああ…でも今日は俺…」
自然とそこまで出てしまったけど、寸でのところで言うのをやめた。
今日は誕生日だから、寮や体育館に残っているとお祝いをされてしまう。もう引退したのにそんな事それるのが申し訳なくて、抜け出してきたのだ。
「今日は?何かあるの?」
相手が白石でなければきっと、正直に伝えていただろう。けれど俺が誕生日である事を知ればきっと白石は「おめでとう」と言ってくれるに違いない。今から彼氏とデート予定の想い人から祝われて、喜べるような簡単な話ではないのだ。俺が素直に「ありがとう」と浮かれる事のできる性格なら、どんなに良かっただろう。
「……何も無い。」
「なーんだ」
そう言いながら、白石はポケットからスマホを取り出した。画面を見てからちょっとだけ嬉しそうな顔をしたので、待ち合わせ相手からの連絡に違いない。
「…白石は、待ち合わせってアレだろ?…彼氏?」
何で自らを苦しめるような質問をしたのか、自分でも分からない。けど、どうせ覆らない事実だとしても知りたかった。白石の事なら何でも知りたくなってしまうのだ。
「うん」
白石は頷きながら短い文章を入力して、恐らく送信をした後でもう一度ポケットにそれを仕舞った。俺が白石と二人で過ごせるのも、あと少しだろうか。
「お互い志望校が遠くって…第一志望に受かったら、遠距離になるの。今のうちにちょっとでも思い出作りたいじゃん?」
白石の瞳は色づいた紅葉を見ていた。この景色を今日これから彼氏と一緒に目に焼き付けて、それからどうするんだろう。部外者の俺に想像されるなんて気持ち悪いだろうけど。俺が白石の恋人だったなら今、もっと近くに寄り添って「綺麗だな」なんて指を絡ませてしまうのに。
「瀬見くんはそういう人いないの?」
手を繋ぐ妄想をしていたら、突然そんな事を聞かれた。
思わずむせてしまって誤魔化すために「いないかな」と大きめの声を出したら裏声になった。くそ恥ずかしい。
「いるんだ」
「いねーって」
「いるんだぁ」
せっかく否定したのに白石は信じてくれなかった。俺は元々上手な嘘をつくのが下手だし、目の前に居るんだから動揺するのも仕方ない。
「その人と見に来ればいいのに。紅葉」
それなのに当の本人はそんな事知りもしないで、このような提案をしてくるのだ。
心配しなくても今ちょうど一緒に景色を楽しんでるよ、と言おうかどうかギリギリまで悩んだ。
けれどこれからデートを控えた白石に、そんな事は言えない。そこまで素直にも意地悪にもなれない。だからまた俺は適当に誤魔化すしかないのだった。
「まあ…機会があれば」
「そんな後ろ向きで良いの?」
「いんだよ」
じゃあ前向きになったら俺の気持ちに応えてくれるのかよ、と言う台詞もギリギリまで出てきた。一緒に居られて嬉しいのに、精神衛生上とても良くない事が起きている。
俺が白石を好きになった頃にはもう、白石は今の彼氏と良い感じになっていた。だから俺が入り込む隙も無いまますぐに付き合い出して今に至る。どうして好きになってしまったんだろうと何度悩んだ事か。
「あっ」
白石がポケットに手を当てて、ちょうどメッセージを受信したスマホをまた出した。どうやらこの時間が終わってしまう。
「着いたって。どこだろ」
「そっか。じゃあ俺はもう行くわ」
「あ、待って」
またランニングに戻ろうとする俺を白石が呼び止めた。
立ち去るタイミングで止められるなんて、ドラマでは良い事が起きる前ぶれだ。でもお前は違うぞ期待はするな瀬見英太、と言い聞かせながら「何?」と振り向くと、白石が手を合わせて俺を見上げていた。
「いっこだけお願いがあるの」
ほんの少し首を傾げて上目遣いになって、いつもこんな顔で彼氏におねだりしてるのか?と複雑な気分になる。でも今白石の目に写っているのは俺だ。
「………お願いって…」
「あのね、ツーショット!」
「え」
かなり間抜けな顔で、間抜けな声が出た。ツーショット?ここで俺と?あ、景色が綺麗だから?でも何故ただのクラスメートである俺と?もうすぐ卒業だから記念として?頭の中で一気に色んな事が浮かんで目がぐるぐる回る。
「つーしょ…っ、え、俺と?」
そういう事で良いんだよな?と、自分と白石を交互に指さしながら聞いた。すると白石はきょとんと目を丸くしたかと思えば、急にけらけらと笑ってみせた。
「やだ違うってば!彼氏とのツーショットだよ!」
続けて白石はこうも言った、「冗談言っちゃって!」決して冗談で言った訳ではなく、もちろん白石がそれを望んでいるとは思わなかったけど、もしかして?と少しでも期待した数秒前の自分を殴りたい。
一気に自分の顔から感情が消えてしまったような気がして、急いで白石から目を逸らした。するとタイミングの悪い事に、逸らした視線の先から白石の彼氏が歩いてくるではないか。俺が一体どんな悪事を働いたって言うんだよ、この三年間は真面目に生きてきた筈なのに。
「……えーと、ごめん、天童が戻ってこいって」
耐えきれなくなった俺は天童から連絡が来たふりをして、何の通知も表示されてないスマートフォンを出した。ここから逃げ出すにはこの方法しか無い。
「え、一枚だけでいいから…」
「ごめんな」
彼氏が合流してしまったら、俺はもうシャッターを押してやるしか道は無くなる。誕生日を打ち明けるのを我慢した挙句、違う男との思い出作りに協力なんてしてやるもんか。
残念そうに「引き止めてごめんね」と言う白石から離れるのはとても苦しくて、だけど皮肉な事に解放的で、走りながら横目に見た紅葉は馬鹿みたいに綺麗だった。
Happy Birthday 1111