05
ライス大盛り・実質無料


月末になると、密かに楽しみにしている事がある。一ヶ月の生活費を切り詰めて切り詰めて浮いたお金で、外食するのが毎月のお決まりだ。
親に頼めば食費くらいは追加で貰えるのだろうけど(足りてるの?といつも電話が来るし)、一度お金を貰うと癖になってしまうのが怖くて断っている。幸い三食たらふく食べているので健康面も問題は無い。ただ、月末にはちょっと多めのお金を使って、ちょっと良いものを大量に食べてやろうかなって思っているだけだ。

と言うわけで、家から歩いて十五分くらいの最寄り駅に向かい周辺をうろついてみる事にした。
駅前はわりと栄えていて、飲食店やレンタルビデオ店、その他色んな店が並んでいる。店舗の看板を見ながら歩いていると、チェーンのファミリーレストランがあった。
ファミレスで色々頼んで食べるのも楽しそうだな、でも一人でファミレスに入るのもなあ。と考えつつ通り過ぎようとしていたけれど、俺の足はぴたりと止まった。


「……マジか」


そして、思わず呟いていた。なんとファミレスの店内を、見知った女の子が料理を持って歩き回っているではないか。

客のテーブルに笑顔で皿を置き、空いた皿を下げ、一声かけて、くるりと振り返って厨房に戻っていくまでの姿を俺は無言で凝視していた。第三者から見れば相当怪しかったに違いない。だって、白石さんがこんなところでアルバイトをしているなんて知らなかったもんだから。気付けば自然と足は動き出し、そのファミレス内に入っていた。


「いらっしゃ……、!?」
「コンバンハ」


堂々と店内に入った俺をお客さんだと認識したらしく(勿論立派な客だけど)、白石さんが出迎えようとした。続けて「一名様ですか?」と言おうとしたのか、人差し指を立てた状態で硬直している。上から下まで俺を舐めるように見、赤葦京治であると分かるとその手を下げた。


「…どうしたの?」
「ご飯食べにきた」
「え…ここに?」
「うん」
「ひとり?」
「うん」


不思議がっていると言うよりは怪しがっているかも知れない。ここで働いているというのを知らないはずの知人が現れて、しかも当たり前のように立っているのだから。やっぱりストーカーだと思われたかな。今日のコレはややストーカー寄りかも。


「お冷やどうぞ」
「ありがとう」
「注文、それ押して」
「はい」


手馴れた様子でフランクに注文の手順を説明し、白石さんは去って行った。

さて、何を食べようか。せっかくだからちょっと高級なものを食べたいなと思ったけどここはファミレスだし、あまり変わったメニューも無い。メニューめくっていくと目に付いたのは「特大ハンバーグ」の文字と肉汁が溢れたハンバーグの写真で、空腹の大学生男子である俺にはこの上なく魅力的に見えた。決めた。絶対これにしよう。ライスも大盛りにしてやろうかな、五十円だし。

そう決めてから、白石さんが店内を歩くのが見えたので凝視していると目が合った。それから小さく手招きすると、そのまま俺の席まで来てくれた。


「決まったの?」
「うん」
「決まったらボタン押してって言ったじゃん」
「あ、うん…そうだった。ゴメン」


忘れていたフリをしてみたけど、誤魔化せているだろうか。ハンバーグの定食を注文すると、白石さんがはオーダーを手元の機械に打ち込みながら言った。


「私がここで働いてるの、知ってたの?」


ピッ、と最後のボタンを押した彼女は顔を上げた。相手が俺だと言うのにちゃんと膝を付いているので、しっかり上目遣いになっている。改めて上から見ると幅の揃った綺麗な二重で、瞳だけをぐりんと向けられると凄まじい威力を放つ猫みたいな目。


「知らなかった。ビックリしてる」
「全然ビックリした顔に見えないんだけど」
「してるよ。相当」


ここで白石さんが働いていた事実も勿論だし、接客の時にはしっかり丁寧に仕事をしている事もだし、たとえ俺が客であってもその姿勢を崩さないところとか。ビックリする要素は満載だ。


「じゃあ、少々お待ちください」


白石さんは立ち上がり、踵を返してまたホール業務に戻って行った。
その背中を見送って、机に広げたメニューを仕舞おうと視線を落とした時に大事な事を思い出した。白石さんと会話をするのに夢中で、ライスの大盛りを頼み忘れてしまった。なんという失態。まあいいか、死ぬわけじゃない。

程なくして鉄板のじゅうじゅう響く良い音が聞こえてきて、デミグラスソースの香りが鼻を刺激した。同時にお腹がぐうと鳴って、運んできた白石さんに聞こえなかっただろうかと冷や冷やした。


「はい。ハンバーグ定食」
「ありがと」


白石さんは定食の乗ったトレーをテーブルに置き、続けて伝票を裏側にして置いた。料理を見るととても美味しそうで、ライス大盛りを忘れた事なんて忘れてしまうほどだ。ところが去り際、白石さんが少しだけ屈んでこう告げて行った。


「こっそりご飯大盛りにしてやったんだから、完食してよね」


俺は耳を疑ってしまって、白石さんを見れば良いのかライスの量を確認すればいいのか咄嗟の判断が出来ず。ライスがどれくらい盛られているのかを先に見てしまったお陰でてんこ盛りのそれに釘付けになり、白石さんがどんな表情だったのか見逃してしまった。

それから俺は比較的ゆっくりのペースで食べていたのだが、悲しい事に白石さんが上がりの時間になってしまったらしい。まだ夜の九時なのに。けれど、それより遅くに女の子が一人で帰るのも危険なのかなと思えば納得した。
私服に着替えた白石さんは「じゃあ」と軽く挨拶をしただけで、さっさと店を出てしまった。せっかく来たのに。

しかしふと、ある可能性が頭を過った。こんな可能性を考えるなんて俺はもう立派なストーカーかもしれないが、もしかして白石さん、バイトから帰ったらコインランドリーに行くんじゃないか?



今日は運のいい事に俺も洗濯物が程よく溜まっていて、丁度いいから布団のシーツも洗ってやろうと引っペがした。ハンバーグ定食で腹いっぱいになった直後だから、少し苦しいけど。
それから大きな袋に洗濯物を適当に入れて、目指すは一回三百円のコインランドリー。俺がもたもたしているうちに白石さんの洗濯が終わっていたらどうしようかと、自然と早足になっていた。

そうしたら何と、コインランドリーの椅子に座ってスマホを触っている女の子を発見した。白石さんが洗濯を終えるまでの時間潰しのために、いったん帰宅するのではなく中に滞在しているなんて。


「あ」


自動ドアの音に気付いた白石さんは顔を上げた。俺の姿を見つけてスマホをポケットに仕舞ってくれれば嬉しかったけど、まだ彼女の手の中だ。


「さっき、ありがとう」


ひとまず俺はお礼を言った。しかし、白石さんはなんの事だか分からない様子である。


「何が?」
「ライス大盛り」
「ああ。いいよ、それくらい。全部食べ切った?」
「もちろん」
「へー、けっこう盛ったのに!意外と大食いなんだね」


それからやっと白石さんは、触っていたスマホをポケットに入れた。
これは五十円分のライス大盛りをサービスしてくれた事よりも、何倍も嬉しい。スマホを触るより、俺の話を聞く気になったという事だ。すかさず俺は質問をした。


「いつからバイトしてるの?」
「春休みから。週三だけどね」
「偉いな…見習わなきゃ」
「偉くはないよ。お金貯めたいだけ」


俺は洗濯物を洗濯機に入れながら聞いていたけれど、そこで手が止まった。
確か白石さんは、前にもお金を貯めていると言っていた気がする。アルバイトをして貯めているって事だったんだ。しかし、何のために貯めているんだったっけ?


「……もしかして、洗濯機買うために貯めてる?」


どうかハズレであって欲しい。そう願いながら聞いてみたが、俺の記憶は正しかった。白石さんが首を縦に振ったのだ。


「それだけじゃないけど…とりあえず洗濯機が一番欲しいなあ」


やっぱりそうだった、親に頼るのは申し訳ないから自分で買うのだと言っていた。なんという事だ。

自分で働いて、必要なものは自分で買おうとするその姿勢はとても素晴らしいと思う。素晴らしいどころか最高だ。しかし俺にはどうしてもそれを阻止したい理由があった。白石さんの家に洗濯機が届いてしまったら、もうコインランドリーで会えなくなるじゃないか?


「でもバイト代が入ったら、どうしても色々買っちゃうの。なかなか貯まんない」
「女の子って買い物好きだもんね」
「そうそう。赤葦くんは?」


つい自分の都合の事ばかり考えていたら、いきなり質問された。


「…?俺は買い物とかは別に」
「違う違う!バイトしたりしてるの?って」


どうやら違う回答をしてしまったらしい。が、どうも答えにくい質問だ。しようしようと思いながらも、俺はアルバイトなんかした事が無いのだから。


「…したい。けど、まだ」
「だよね。勉強してたらそんな気力ないよねえ」
「白石さんはしてるじゃん」
「私は色々経験してみたいだけだよ」


白石さんは自分のしている事が他人よりも優れており、誇れる事であるのだとは分かっていないようだ。さも当然のように、自分の事は自分でやらなきゃと考えている。自らの糧になると思っている。とてもコインランドリーに大事な下着を忘れるような間抜けだとは思えない。


「……最初は変な子だと思ってたけど、白石さんってちゃんとしてるんだね」


ついつい口から出た言葉に、白石さんは頬を膨らませた。


「変な子って余計じゃない?」
「あ。ごめん」
「忘れものが激しい子って事?」
「んー、まあ」
「あれは偶然だからねホントに!」


また白石さんがこれでもかってくらいに目を開いて、俺に向かって異論を唱えている。意図せず俺のお気に入りの表情を引き出してしまったようだ。しかしどうも、彼女は本気で怒っている様子ではない。


「俺、完全に嫌われてるって思ってたけど。そうでもないの?」


好き、あるいは嫌い、どっちの答えが返ってきてもきっと俺は心を震わせるだろう。
白石さんは眉を釣りあげたまま言葉に詰まって、口を閉じた。正直言って白石さんの心は全く読めないけど、さあ何と返されるだろうか。
しばらく沈黙を貫いてから、やっと小さな声で聞こえてきた。


「…嫌いじゃないけど。好きでもありませんけど」


唇を尖らせて、眉間にしわを寄せて、瞳はキッと俺を睨んで、努めて嫌味っぽく言ってやろうと言わんばかりのその表情。
この台詞からすると俺は今ショックを受けなきゃならないはずなのに、自然と笑い声が漏れてしまった。


「…ふふ」
「何笑ってんの」
「ごめん」
「ヘンタイじゃん」
「ごめんって」


これ以上笑ってはいけない、本当に嫌われる・あるいは頭のおかしいやつだと思われる。頭がおかしいと言っても白石さんには及ばないけれど、って考えたらまた笑えてきた。馬鹿か俺は。

そろそろ誰か笑いのスイッチを止めてくれと叫びそうになった時、丁度いい音が鳴った。洗濯の終わりを告げる音である。
その音に白石さんが反応し、一番右端の洗濯機に目をやったので、どうやら終わったのは白石さんの洗濯だ。


「…終わった。もう帰るからね!」


そう言い放つと白石さんは立ち上がり、洗濯機の扉を開いて持参した袋に洗濯物を戻し始めた。

そんな白石さんに「スウェット、裏表逆だよ」と伝えてあげるかどうか悩んだけど、今日はもう充分に満足したのでやめておこう。俺だってたった今気付いたのだから、仕方ない。