EXTRA


今までずっと、どう見られても何を思われても全く気にしていなかったけど。何故かアレコレ気にしてしまい緊張している。そんな必要ないって分かっているのに、彼氏と彼女になったとたんに不自然なくらいギクシャクし始めてしまった。
…正確に言うとギクシャクしているのは私だけで、向こうは普通なのがまた腹立つ。


「すみれ、もう行かな遅刻すんちゃうの」
「分かってるって…」


そう、もう家を出発しなければ電車に乗り遅れて授業に遅れる。でも、どうしても寝癖のついた髪の毛先を直したくてたまらないのだ。そうしなきゃ学校で信ちゃんに会った時、このだらしない髪を見られてしまうじゃんか!


「すみれー?」
「もー!分かっとう!」
「最近どしたん?知らん間に髪染めたり何やかんやして…やたらと気にしてるやん」
「え、ええやん別に!」
「彼氏でも出来たんかいな」
「ぶっ」


お母さんからの的確な疑いに思わず吹き出してしまった。実はまだ信ちゃんと付き合い始めた事を誰にも言っていないのだ。


「でっ、できゃっ、」
「なんて?」
「し…しらん!行ってきます!」


会話の受け答えになってないけど、私は寝癖が跳ねたまま家を飛び出した。本当に遅刻してしまっては困るので。

信ちゃんと恋人同士になったのは先々週の事で、まだ実感は沸いてない。かしこまってデートをしたりとか、放課後一緒に帰ったりとか、そういうのは未経験だ。信ちゃんが忙しい人だから。今までもずっとそうだったし、入学してから一緒に登下校したことなんて片手の指で足りる程度。
だからこそ、周りになんと言えば良いのか分からない。特にずっと前から私と信ちゃんの事を知ってる親とか、信ちゃんのおばあちゃんとか。


「オハヨー!」


ダッシュで駆け込むと、まだ教室内はがやがやしていた。駅から学校まで全速力だったおかげで、朝のホームルームまで余裕があるらしい。


「おはよー、息やばない?寝坊?」
「寝癖なおらんくって…」
「え?あ。ほんまや」


下ろした髪の左側の一部だけ、外に跳ねている。それを見つけた友だちはフフっと笑って、近くに居た生徒に面白がって声をかけた。


「小野っち見てコレ、チョンッて浮いてやる」
「どれ?」
「もー見んといて!」
「しおらしいな〜も〜」


しおらしくもなるわ!彼氏が出来たんやから!なんて言えないので、跳ねた部分をぐしゃっと握って隠す事にした。握力で直れ直れ直れ。そう念じる私をもうひと笑いしてから友だちは席に戻り、残ったのは私ともう一人の男の子。


「なあ、」


話しかけてきたこの人は、そう、小野くんだ。同じクラスのサッカー部の男の子で、信ちゃんに「彼氏でも作れ」と言い放たれた時にこの人ならもしかしたら、って思ってた人。結果的に私と小野くんとの間に恋愛感情は芽生えず、今ではいい友だちだ。


「こないだのあの人、彼氏やってんやろ?」


小野くんは小声でそのように言ったけど、私にとっては声の大きさなんて関係ないくらいの衝撃。「こないだ」って言うのは私と小野くんが一緒にいた時の事。信ちゃんと鉢合わせて変な空気になってしまった時だ。


「え…?な、ち!」
「ちゃうかった?」
「ちがわへん!」
「ちがわんのかーい」
「で、でもまだあんまり言うてへんねん。内緒やねん」
「大丈夫!俺めっちゃ空気読める男やから!」


得意気に言われたところでチャイムが鳴り、小野くんは笑顔で去って行った。

確かにこの小野くんと言う人はとても空気の読める人。信ちゃんと三人でばったり会った次の日も、嫌な顔ひとつせずに「おはよ」と声を掛けてくれた。そして今も、絶妙に嫌味を感じさせない言い方で「彼氏やってんやろ?」と。
この友情は大切にしなきゃならないし、とても有難い。出来たばかりの恋人への接し方もまだ定まらずバタバタしているのだから、せめて交友関係は平和でありたいものだ。



「あ。すみれ」
「!」


完璧に気を抜いていた。食堂でパンとおにぎりを確保して浮かれていたところで、信ちゃんに声をかけられたのだ。


「し!信ちゃん」
「飯?」
「そうやで…」
「ちょうどよかった。屋上いこ」
「えっ?」


このまま教室に戻ってご飯を食べる予定だったけど、どうしよう。もちろん信ちゃんと食べるのは全く構わないし、友だちもサッパリしている子なので「一緒に食べる約束したやん!」などは何も言われないと思う。けど、即答できない。


「何?」


言葉に詰まる私を見て、信ちゃんには急かされてしまった。


「な…なんもない」
「ほんならええやん」


そう。別にええねん、あんたと食べるのは。でも何かよく分からない理由があって、それが心の中でうごめいて、もやもやする。信ちゃんの前でどう接したらいいか分からないし。て言うか待って、私、結局今朝の寝癖直してないし!やばい。私、めっちゃ女の子やん。

しかし断る理由にはならないし、断ったとしても「何でやねん」と気分を害されるに違いない。寝癖の有無なんて、昼ご飯を美味しく食べるかどうかには全く関係が無いのだから。


「……静かやなあ」


屋上でパンを頬張っていると(お腹は立派に空いていたので)、信ちゃんがしみじみと言った。


「…せやなあ?意外と誰も屋上使わんのやな、風が鬱陶しいんやろか」
「そうやなくて。すみれが」
「え」
「めっちゃ静かやん、自分」


ぱくりとパンにかじりついたまま、私は凍り付いた。え、うそ、私って静かかな?
信ちゃんはその後も黙々と箸を進めていくが、私の動きがガチガチであるのを見逃している訳ではあるまい。かじりついていた一口を口に含み、飲み込んでから答えた。


「…緊張してるねん」
「緊張?」
「やってな、私、彼氏とかできるん初めてやねんから!どんな感じでおったらええんか分からんくって、」
「今までどおりでええやん」
「そんなん分かってますー!」


分かってるけど出来ないから苦労しているのだ。私ばっかりドキドキしてる感じがする。信ちゃんは何も気にしていない様子だし。そんな冷静な信ちゃんの前で、私は、今までどおりの姿では居られない。


「…信ちゃんのこと、その…カレシなんやなって思たら、緊張してまうねん」


めちゃくちゃ恥ずかしい言葉を渾身の力で言ってみせると、信ちゃんは箸を止めた。あ、少しは気持ちが伝わったかな?と期待したのもつかの間、


「……俺はお前の幼馴染やろ?」


…と、あまりにも当たり前の答えが返ってきた。しかもちょっと呆れ気味で。


「そ、そうやけど…」
「自分が言うたんやで。幼馴染はやめへんって」
「う…ウン」
「ほんなら今までどおりでええんちゃうの。無理して彼女っぽくせんでも」


正し過ぎる。非の打ち所のない言い分だ。でも今の私にとっては論点が違う。


「…そういうんやないねん。そういう、表面の事ちゃうねん」


私は別に、彼女っぽく振舞おうとは思っていない。似合わない大人っぽい感じを目指そうとかも、思ってない。ただちょっとは可愛く居たいから、早起きして髪を綺麗にしたりとか、そういう努力をするようになったけれども。見た目を気にして「可愛い」と思われたいわけじゃない。


「好きやなって思うから、緊張する」


好きな人の前だから緊張してしまう、たったそれだけの事だった。今までは幼馴染としての感情しか無かったのに。
でも色んな事があってだんだん気持ちが変化して、今では私は信ちゃんの彼女なんだと思うと緊張してしまう。信ちゃんも私を好きなのだと思うと。そんな信ちゃんと私は、両想いなんだと思うと、余計に。


「……ほんまに言うてんの?」


なのに相変わらず信ちゃんは、ちょっと呆れた様子ですけれども。


「ほ、ほんまやし!こんなアホみたいな嘘ないわ!」
「いや、疑ってるわけやなくて…」


そう言いながら、信ちゃんは食べ終えた弁当箱を包んで片付けていた。
疑ってるわけやないって言うけど、明らかに私のこと変な感じに見てるやん。「彼氏彼女」に慣れてないコドモがテンパってるだけやと思ってるんちゃうか。
包をキュッと結んだところで、信ちゃんはやっと顔を上げた。


「びびるわ。いつの間にそんな可愛らしい事言うようになってん」


そして、一ミリもびびった顔を見せずに言った。
どういう事だ。信ちゃんが私の事、私の言った事を可愛らしいだのなんだの言うなんて隕石が落ちるんじゃ?しかもハンカチで律儀に手を拭いたあと、こちらに手を伸ばしてくるではないか。


「やっぱ知らん間に女の子になってるなあ」
「ちょ、信、」


わしゃわしゃ、またはぐしゃぐしゃっと私の頭が荒らされている。信ちゃんの手で。撫でたいのか髪型を崩したいのか分からない。


「し…ちょ、髪あんま触らんとって、」
「これ可愛いやん。わざと?」


その時、信ちゃんの指が私の毛先に触れていた。朝からずっとチョンッと跳ねている、左側の部分。やばい完全に忘れてた。こんな恥ずかしいものを見せてしまうとは!というか「わざと?」て。


「……ちゃうわ!!」
「ちゃうんかい」
「寝癖や!!」
「寝癖か」
「見たら分かるやろ!」
「分からんわ。最近のお洒落かなて思ってんもん」


髪を触っていた手を離しながら信ちゃんが言った。これが最近のお洒落に見えるってどういう事だ。


「…今朝、直す時間なかってん」
「今のうちに直したらええんちゃう?」
「……」


確かに昼休みの間にトイレに行って、跳ねた部分を濡らしてコームでといておけば直るかも知れない。
でも今、かなりセンスを疑う発言だったとはいえ、信ちゃんに「可愛いやん」と言わしめたこの寝癖。濡らして直すには少々勿体ないように感じる。


「…まあええわ。今日はこのまんまにしよ」


可愛いって思ってもらえたのなら、ちょっとくらい跳ねてるのも良いかなぁなんて思ってしまった。やっぱり今日の私、めっちゃ女子やん。好きな人に「可愛い」と言われて浮かれるなんて。信ちゃんもそんな私を見て「そうか」と優しく微笑んで……ない。


「寝癖そのまんまにするて、凄い度胸やな」
「な!?」


なんと彼は素で驚いた表情をしていた。いや、敢えて寝癖を直さないわけじゃなくて。あれ、でも敢えてって事になるのかな。とにかく直さないのは信ちゃんが可愛いって言ったから!


「じ…自分さっき、これカワイイやんて言うたやろ!?」
「お洒落やと思たからやん。寝癖やったらだいぶ話変わるで」
「ひ…ひどい」
「ひどない」


やっぱり電車一本逃してでも直してくればよかった、ちくしょう。
仕方が無いので今朝のように、跳ねたところを握り締めておく事にした。トイレに直しに行くのが面倒くさいし、直し終えたらきっと昼休みが終わってしまう。信ちゃんとまた別々の教室に戻らなきゃ行けなくなる。それって寂しいやん、ほら私って女子やから。
などと理由をつけて動かない私を見、て信ちゃんは溜息をついた。


「直しーや。そしたらもっと可愛いねんから」


一緒に居たいから直さないのに、こんな言い方するのひどくない?こんな事言われたら直しに行くしか無くない?だって私、今日はバリバリの乙女なんやから!
というわけで信ちゃんに上手く転がされたような気がするけど、大人しくトイレで直す事にした。明日から寝癖がつかないように、気を付けながら寝ないとなあ。