悪意はかわいく装飾済み


付き合い始めてからの進み方はけっこう早かった。手を繋いで、キスして、互いの身体を触り合って、セックスを終えるまで。もうちょっと時間をかけて色々するんだろうなと考えていたけど、私も相手も初めてのくせに我慢できなかったのだ。初めてのそれを終えた後は「こんな感じなのか」とちょっとおかしくなって笑ったりもした。

そんな福永招平との付き合いはそろそろ三か月目を迎えようとしている。楽しくて嬉しい三か月だったけど、付き合っていくうちにだんだん相手への要求が増えていくのって仕方がない事かな?そうだと思いたい。


「もうすぐ中間だね」


二学期の中間テストまで間もなくと言うところ。さっきの授業で先生が「そろそろ準備しておけよ」と言ったので、そう言えばそんな時期なのかと意識させられしまった。同じクラスの招平もそうだね、と相槌を打ちながらお弁当を食べている。


「部活って休みになるの?」
「なる。けど、自主練はするかも」
「そっか」


テストはもちろん嫌だけど、私にとっては良い事もあったりする。バレー部の練習が格段に少なくなるのだ。そしたら招平は部活の時間が空くわけだから、そこは私と一緒に過ごせる時間になるはず、なんだけど。
この素晴らしくバレーボールに対して真面目な少年は、部活がなくても自ら自主練に励むのだと言う。


「どうかしたの?」


ちょっと残念だなって思ってしまったのは隠しておく事にした。だってそれを止める訳には行かないから。いつもいつも練習練習って、たまには「どうすれば私と一緒に過ごせるか」ってのを考えてくれても良いと思うんだけど。

けれど招平からの質問に首を振って「どうもしなーい」と返したら、またフーンと言いながら箸を口に運んでいた。求めすぎるとすれ違いの原因になりそうだなって思ったから。



その日の放課後、私は宿題をしながら招平の部活が終わるのを待っていた。いつもは待たずに帰るんだけど、今日は体育館の点検があるとかで早めに終わる日だったのだ。
頃合いを見計らって部室の近くまで行くと、猫背の男の子がベンチに座ってスマホを覗き込んでいた。


「ねえねえ孤爪くん」


私の呼びかけに、孤爪くんは顔を上げずに「なに」と答えた。目線はスマホの画面に集中しているけど、話の内容は一応聞いてくれるらしい。
招平が出てくるまで相談に乗ってもらおうと、私は孤爪くんの隣に腰掛けた。もちろん、怪しまれないようにある程度の間隔をあけてから。


「どしたの」
「孤爪くんて、テスト期間も自主練する?」
「するわけないじゃん」


手元は忙しなくゲームのアプリを操作しているのに、彼は即答した。孤爪くんは練習しないんだ。強制じゃないから?勉強に集中するから?ゲームをしたいから?


「そうなんだあ…」
「何、そんな事きいて」
「いやね…」
「福永のこと?」


画面が切り替わるタイミングで、孤爪くんがちょっとだけ顔を私に向けた。それから私の顔色を一瞬見ただけでなんとなくの内容を把握してしまったのか、すぐに顔の向きはスマホに戻った。


「…招平は自主練するんだって」
「へえ。選手の鑑だね」
「だよね!?偉いよね!…じゃなくて、それはそうなんだけどっ」


招平以外の人も恐らく、少なからず自主練はするのだろう。どうやら体育館は使えるみたいだし。凄いな、偉いな、誇らしいなって思うけど、なんとなく我儘な感情も芽生えていた。


「いっつも練習してるんだから、テスト中くらい一緒に勉強とかしたいわけですよ。私は」


ゲームに視線を集中させている孤爪くんに訴えると、ウーンと喉を鳴らすのが聞こえた。俺に聞くなよって思ってそうな唸り声。


「本人に言えばいいじゃん」
「重いとか思われないかな」
「それは知らないよ…」
「孤爪くんの彼女がもし、ゲームばっかりじゃなくて私に構ってよ!って言ったらどう思う?」
「重い」
「ほらああぁ」


やっぱりそうなんじゃんか!やりたい事を邪魔されたり、それより私を優先してよって言われたら重いんじゃんか!
って事は招平も、練習したいのに私がやたらと勉強に誘ったり「せっかく練習無いんだし会おうよ」なんて言ったら重たがられる可能性があるって事だ。


「嫌われたくないもん。部活だって応援はしてるし」
「メンドクサッ」
「自分でも分かってるよう…」


何も邪魔をしたいわけじゃない。ほんのちょっと私を優先して欲しいだけ。
でも自分は無関係であるとして、孤爪くんは「まあ頑張って」とゲームを新しいステージへ進めてしまった。頑張ってって言われても、自分勝手な彼女だと思われるのは困るから相談してるんだけどな。


「なんの話?」


と、そこへ降ってきた声にちょっとだけ心臓が跳ねた。気付かないうちに招平が着替えを終えて、部室棟から出て来ていたのだ。
孤爪くんは表情こそ変えなかったものの答えたがらなくて、スマホを見下ろしたまま言った。


「えー…白石さんから言って」
「え!?いや、な、なんでもない」


そんなの本人に言えるわけないじゃん!慌てて誤魔化したけど招平はあまり気にしてないみたいで、特に怪しがる事もなくフーンと答えるのみだった。


「じゃあ帰るから!ありがと!」
「はーい」


孤爪くんには一応お礼をして、顔は下を向いていたけど手を振ってくれただけ良しとする。普段バレーにゲームに忙しい孤爪くんの時間を、それ以外の事で割いてしまったのだから。
それに今日はせっかく招平と一緒に下校できる日たから、この時間を使って彼の心を探ってみようと思う。


「ねえねえ、あのね」
「うん」
「もし私が、練習ばっかりじゃなくて私に構ってよ!…とか言っちゃう彼女だったらどう思う?」


孤爪くんは「重い」と即答だったけど、よく考えれば彼の場合ゲームと比べてはならないのだった。無理にしなくてもいい自主練よりは私の事を選んでくれないかな?なんて自分勝手だけど、もちろん「練習したい」と答えてくれていい。だって応援しているから。
けど、招平からの返事は私が全く予想していなかったものだった。


「重い。かな」


前を見据えたままそれだけ言われてしまい、愕然とした。招平が私の事を、たとえ仮定の話でも「重い」と言うなんて思いもしなかったのだ。「考えた事ない」とか、そんな感じの答えが返ってくると思っていたのに。あまりの事に絶句してしまい、そこから先は私もカタコトになった。


「………だ、よね」
「だね」
「…そうだよね」
「だね」


なんか冷たいような気がする。そんな言い方ってある?でも、こんな質問を投げかけたのは私自身だ。ついつい自分の期待する答えを求めてしまったのが悪い。我儘な彼女だと思われて嫌われるのだけは避けなくては。


「でも…あの、別にいいからね!?私は!招平が練習を優先させたいっていうなら、邪魔しないしっ」
「うん」
「一緒に居れなくても私、我慢できるほうだしっ」
「そう。よかった」


よかった、って何だ。黙って我慢してろって事?やっぱり普段の招平よりも言葉にトゲがあるような気がする。でも理由が全く分からない。怒ってるような顔でも無い。けれど確実に、纏っているオーラが昼間とは違うような気がする。


「招平、なんか…考え事でも、してる?」


何を思っているのか分からなくて、恐る恐る聞いてみた。「別に」って素っ気なく言われてしまったら、引き下がるしか無いんだけれど。でもやっぱり今の招平は私の予想からは外れた答えを寄越してくるのだった。


「怒ってる」


考え事をしてるとか、そんな次元じゃなかったらしい。驚いて思わず聞き返してしまった。


「…え?」
「ごめん。今ちょっと怒ってる」


招平は相変わらず前を、けれどほんの少し下を向いて言った。


「な…え…?なんで…?」


どんなに考えを巡らせても、招平を怒らせるような言葉を言った覚えは無い。昼間の会話はとても普通で、部活に送り出す時も「終わる頃に迎えに行くね」と伝えたら微笑んで手を振ってくれた。部活が終わってからはまず孤爪くんと話をしてて、途中で招平が来て、そこからはまた二人きりのいつも通り。の、はず。


「研磨との話、聞こえてたよ」
「えっ、」


残念ながら「いつも通り」と思っていたのは私だけだった。孤爪くんに相談していたのを聞かれていたらしい。一体どこからどこまで聞いていたんだろう?いや、全てを聞いていたとしても、彼の怒りを買うような内容では無かったように思う。


「なんで俺との事なのに、研磨に相談するの?」


しかし孤爪くんへの相談内容ではなく、孤爪くんに相談した事自体が招平にとって理解し得ない事だったようだ。
何で孤爪くんに相談するのって聞かれても、本人には聞きにくい事だから参考にしたかっただけ。でも、そんなこと説明できるような空気じゃない。


「……え…それ、は」
「あと、もしこんな彼女だったらどう思う?とか聞かれるのもやだ」
「うっ、」


地雷を踏まないための質問が地雷だった。なんという事だ。基本的に感情を露わにしない人だから、怒らせる前に探ろうと思っていたのに。


「俺に言ってよ。嫌いになんかならないんだから」


しかも、私がどうしてそのような行為に及んだのかを見透かされていた。嫌われるのが怖くって孤爪くんに相談していたのを。面倒だと思われたくなくて、わざと「一緒に居れなくても我慢出来る」と誤魔化したのを。


「本音を聞けないほうがよっぽど嫌だよ」


バツが悪くなって俯いていた私に、いま初めて招平が向き合ってくれた。
そんな何の陰りもない目で見られると、自分の愚かさが浮き彫りになってしまうんだけど。それに、さっきの私の質問に一言「重い」と言われたショックはまだ消えていない。


「…でも…重いって…言った、じゃん」
「あ、それはただの意地悪だから」
「そうなの!?」
「ムカッとして。つい」


ムカッとしてたから、嘘をついたらしい。招平にしては珍しく感情に任せた受け答えだったようだ。それほど私の言動で嫌な思いをさせていたって事なんだけど。


「……ごめんなさい」
「俺もごめんね」


まだ怒らせてるのかなぁと思って目を合わせられなかったけど、招平が頭に手を置いてくれた。顔にあんまり出ないけど、ちゃんとこうして態度を示してくれるじゃん。試験期間に部活の自主練をしたいって事くらい、なんで快く応援しようと思えないんだ!馬鹿な私め。

けれど今、本音を聞けないのは嫌だって彼は言った。という事は少しくらい我儘だと分かっていても、本音を言っても良いって事なのだろうか。そうだよね。


「…一緒に勉強したい」
「いいよ。しよっか」


最近分かんないとこ増えたんだよね、と言いながら私の手を取る招平の方こそ、私の気分を上げるために言葉を選んでくれている。
付き合ってからの三か月、これからの三か月、三年、三十年、ずっと本音を言い合っていければいいな。まあ、たまにはほんのちょっとの意地悪な嘘を言われても文句は言わないでおく。