07
絶唱デッドヒート


白石がどこに行ってしまったのかは分からないが、走って行った方角からして屋上に違いない。在り来たり過ぎる逃げ場だけれども放課後のこの時間、まだ各教室では学園祭の準備で生徒が残っている中、泣き顔を見られずに済みそうな場所と言えば屋上くらいしか思い当たらないのだ。

高校生活最後の学園祭にかける思いは人それぞれで、白石は勿論のこと他のクラスメートにだって当然何かしらあるはず。役に立候補しなかった奴だって、準備の為に遅くまで残っている。衣装や小道具を作ったり、美女と野獣の映画DVDを研究してくれたり。
準備期間中に裏で頑張っているクラスメートの思いを担って本番に舞台に立つという実感が、やっと沸き始めたところだったのだが。


「お邪魔しまっす…」


屋上の扉を開けるのに「お邪魔します」と言ったのは初めてだが(きっとこれから先も言う事は無いだろう)、俺は恐らく邪魔だろうと分かっていながら白石を追いかけているので一応断りを入れてみた。
日は暮れているものの空はうっすらとオレンジがかっている。
目を凝らしながら屋上を見渡してみても白石の姿は無かった。まさか飛び降りたんじゃないだろうなと冷やりとした時、扉の位置からは死角になっている場所でうずくまる女子生徒を発見した。


「…白石?」


体育すわりをして、膝に額を預けている女子の後頭部には見覚えがあったので白石で間違いない。スカートの中にはご丁寧に体育のハーフパンツを着用してあったので変な気が散る事もなく、俺は白石のそばへ腰を下ろした。

それから数分間、あるいは五分間以上、すぐ隣で女の子のすすり泣く声を聞くはめになった。
「泣くんじゃねえよ高校生だろ」と言いたい気持ち半分、泣きたくなるのも当然だよなという気持ち半分。そしてその複雑な気持ちを丸ごとコーティングしているのが「罪悪感」と呼ばれるものだった。俺が無理やり白石を主役に推薦した。演劇部でずっと裏方をしていた白石が、ほんとうは舞台に立ちたいんだろうなと勝手に思い込んでしまったから。

後から白石は「一度でいいからカーテンコールで拍手を浴びたい」と言っていたけれども、まさか主役をやらされるなんて思わなかったかも知れない。それでも台詞を覚えてダンスを覚えてなんとか頑張ろうとしていた矢先、本番の二週間前になってクラスメートの自分に対する愚痴を聞いてしまったのだ。


「ごめんな。俺のせいで」


元凶は主役に推薦した自分であるとして、白石の息が落ち着いた頃に謝罪した。すると、膝に額をくっつけたままの白石が鼻声で答えた。


「…どうして山形くんが謝るの」
「俺が白石を推薦したから」
「……」


ズルリと鼻をすする音が聞こえて、それからゆっくりと白石は顔を上げた。
あまり見ない方が良いんだろうなと思いながらも、少しだけ気になって横目で顔色を伺ってみる。白石の目元は予想どおりの状態であった。


「私がちゃんとやらないのが、いけないんだよ」
「やらないんじゃないだろ、白石は挑戦してるだろ。でも出来ないんだろ?どんだけ頑張っても」


そこまで難しい事だとは知らず、軽い気持ちで推薦したのが駄目だった。
どちらが悪いとか言う議論をしても仕方が無いけど、俺が今回の罪を被るのが一番当たり障りないだろうと思えた。学園祭は二週間後には終わるけど、高校生活はあと何ヶ月か続くのだ。このクラスのままで。


「…山形くんは悪くない」
「いや、俺が全部悪い。ごめん」
「違うよ」
「いやいや違わねえだろ」
「違うもん」
「…じゃあ何でだよ!」


言い終わる前に脳内で警報が鳴ったけど、俺の口は止まらずに最後まで言ってしまった。でっかい声で。白石はその声と「それなら何で出来ないんだよ」と言わんばかりの俺の言葉に、目を見開いて驚いていた。
その顔を見て体温がぐっと低下した。今、言っちゃいけない事を言ったかも。


「…サイテーだわ」
「そんなこと…」
「いや、もう…マジで」


俺ってここに何しに来たんだろう。真逆の事をしてどうする。今度は俺が頭を抱えていると、白石が俺のフォローに入ってきた。


「私がずっと前のトラウマ引きずってるから…山形くんは、それを克服させようと…」
「…けど俺のエゴみたいなもんだったろ」
「……」


罪の擦り付け合いではなく、罪の取り合いみたいだ。確実に俺が本人の気持ちを無視して余計な事をしたんだけど。良かれと思って推薦したのに、それが白石に大きなプレッシャーを与えていたのだから。


「…みんなが見てると思うと…声、出ない。こわいよ」


鼻水はさっきより治まっていたが、元気の無い声だった。
皆の前では声が出せない。どう思われているか分からなくて怖いから。


「じゃあ…誰も見てないところだったら?」
「え…」
「白石は俺と話してる時、時々声でっかくなんだろ」


熱くなった時とか、俺にダメ出しをしてきた時とか、こいつ誰だって思うくらいだった。例え声は小さくても絶対に意見を譲らない時もあるし。しかし、本人はまるで心外だったらしくポカンとしていた。


「…そうなの?」
「無自覚っすか」
「ぜんぜん分からない…」
「んー」


こういう時はどうしたら良いのだろう。全く理にかなっているかは分からないが、ここはひとつ若利の作戦を使ってみる事にした。「怒らせる」んじゃなくて、「我を忘れるくらいの声を出す」ほうだ。


「ちょっと見ててな」


頭に疑問符が浮かぶ白石を置いて立ち上がった。
それから屋上の端まで歩いていき、柵が設けられているギリギリのところでストップする。ここからだと対面にある後者の明かりとか、グラウンドまでの風景がよく見えた。その向こうにある山の景色まで。発散するには絶好のロケーションだ。俺は大きく息を吸った。


「わーーーーっ!」
「!?」


それから声の限り力の限りを振り絞って、全身を使ってとにかく叫んだ。やまびこが聞こえて来たか来ないか微妙なところ。
しかしこんなに何も気にせず大声を出したのは幼い時以来で笑えてきた。


「ぶっはは、やべえ気持ちいい」
「びっ…びっくりした」


白石は俺の突然の奇行に驚いていて、俺の頭がおかしくなったんじゃないかと疑っているだろう。でも俺は正常だ。正常な俺が思いついた方法がコレだったのだ。俺はもう一度息を吸った。


「ば!ん!さ!ん!か!い!に!来ーいっ!」


美女を晩餐会に誘う時の、とても誘い文句とは言えない命令口調の台詞だ。言い切ってから後ろを振り返ると、言葉を聞き取った白石が不思議そうにしているので、座ったまま呆気に取られている白石に手招きをした。


「つぎ、白石の台詞。」
「え……」
「ほれ」
「う、うん」


立ち上がった白石はスカートの汚れをはらって、一歩ずつ端まで歩いてきた。
俺の横まで並んだ時、本当にやるの?という目で訴えてきたので顎で合図した。やらなきゃ変わらねーじゃん。とうとう諦めたのか覚悟を決めたのか、白石は深呼吸をして叫んだ。


「いー!やー!でー!すーっ!」
「うるさっ!」
「あっ!?ごめん…」
「いやいやそれでいい。超いい」
「でも、ど、どうしよう…」
「大丈夫だよ、ここなら大声出したって誰の声か分かんねえから。試してやろうか?」


一体何をする気だろうと白石が心配そうにしているが、俺は気にせず息を吸い込んだ。こういう場所でしか言えないような内容だ。


「若利のバーーーカ!」
「う!?」


実際に若利の事を馬鹿だと思った事は無い。コイツちょっと抜けてんなぁと感じた事はあるけど。白石は俺がまさかチームメイトの悪口を叫ぶなんて思っていなかったらしく、青い顔を両手で覆っていた。が、もちろん俺の声は若利には届いていない。


「…ほら何も返事ねえだろ」
「い、いいの?牛島くんの悪口なんて」
「天童のも言っとくか」
「ふ、あっははは」


急に白石が腹を抱えて笑いだした。ツボに入ったらしい。白石の笑いのツボが思わぬところだったのも驚いたが、そんな事よりこっちだ。


「…笑い声でっか。」
「あ」
「そのくらいの声出るんじゃん」
「……」


白石はちょっと頬を赤くしていたけど、恥ずかしくて死にそうだという様子では無かった。むしろスッキリして気持ちが良さそうな。


「美女の台詞いっとく?」


このまま劇の台詞を続ける事が出来るだろうか。いや、言えるんじゃないかと期待出来たからこそ聞いてみた。

白石は静かに頷いて、柵に手を掛けた。風を真正面に受けて髪がなびいてる。そんなのは気にせずにしばらくそこに立って、頭の中に描いているのはどのシーンだろうか。そんな事を考えながら見守っていると、白石の肩が大きく上がり息を吸ったのが分かった。


「あ!な!た!が!好ーきーですっ!」
「おおー」
「だーいーすーき!」
「お?」
「すきーーーっ」
「おいおいおいおい」


気持ちが良くなったのか気分が乗ってきたのか、白石は台本にない言葉まで叫び始めたではないか。慌てて止めに入ってしまった。


「そんな台詞ねえじゃん」
「あ、ごめんつい…」
「何だそりゃ」


よっぽど感情移入してんのか知らないけど本番で突然こんな事をされたら対応できる自信は無い。でも、聞き取れない声しか出ないよりは余程良いかもしれない。


「お前、ほんとは超元気なやつだろ?」


照れくさそうに笑う白石に聞いてみると、急に白石は我に返ったように動きを止めた。それから周りをキョロキョロして、空に向かって叫んだ時より格段に小さい声で言った。


「そ…そんな事ない…です」
「何で元に戻るんだよ」
「…でも、すっきりした」
「おー。よかったなあ」


ともあれ白石は大きな声が出ない訳では無い。頑張れば出る。それが分かっただけでも良しとする。
ただタイムリミットはあと二週間なので、このまま調子を上げてもらうにはどうするか考えなくてはならない。


「…ねえ」
「ん」


屋上の扉に向かいながら白石が言った。今度はきちんとした声だ。


「私、みんなに謝るね」
「……え」


それからドアノブに手を掛けて、ガチャリと回す。開いた先は階段があって、そこを真っ直ぐ進んで更に階段を降りれば俺たちの教室だ。そこで今から皆に謝るという事はどっちの意味で謝るのか、と一瞬過ぎった。もう主役を続ける事は出来ないと頭を下げるのか、それとも?


「心を入れ替えて頑張りますって!」


けれど振り向いた白石の顔があまりにも清々しくて、心配事は吹き飛んだ。あと二週間というところで、ようやくこのクラスはスタート地点に立てそうだ。