03
名誉毀損・お咎め無し


一人暮らしをしていると、特に自宅に洗濯機が無い場合にはあまり頻繁に洗濯する事が無い。なるべく新しい洗濯物を増やさないように薄着して、風邪をひいた事もあったっけ。
それ以降無理をしないようにしたものの、いちいち自分の洗濯物を持ってコインランドリーに行くのは面倒くさい。けど、臭いのはもっと嫌だ。

だから仕方なくコインランドリーへ足を運んでいるわけだが、今日はちょっとだけ足取りが軽い。もしかしたらあの女の子が居るかもしれないからだ。

二日前の今ぐらいの時間、俺はここにやって来た。そして使おうとした洗濯機の中に忘れ物が入っており、持ち主が偶然同じ大学の学生である事が分かった。おまけに俺が見つけた下着はどうやらお気に入りの様子だ。
次に顔を合わせた時、どんな反応を見せられるだろう?もしかしたら完全に嫌われて無視されるかもしれないけど。


「…居ないか」


自動ドアをくぐった時、そこには誰も居なかった。ほっとしたような残念なような。
けれどまた忘れ物が入っていたら面白いな、なんて思いながら洗濯機を覗いたけれども空っぽだった。同じ過ちを犯す人間ではないらしい。
そこに自分の持ってきた洗濯物を適当に投げ入れている時、後ろで自動ドアの開く音がした。


「え…」


それから、あまり嬉しそうでは無い声が聞こえた。
反対に俺は、人生とはこんなに上手く行くものなのかと笑いそうになるのを堪えてしまった。ここ最近笑いを我慢してばっかりだ。平静を装って振り向いてみると、俺が頭に描いたのと同じ表情をした女の子がそこに突っ立っていた。


「こんにちは」


その子は金剛力士像みたいに険しい顔をしたまま何も言わないので、自分から挨拶をしてみた。するとギョロリと黒目だけが俺を睨んで、コインランドリーの中を見渡して、ここに二人きりである事を確認しているかに見える。それからやっと中に足を踏み入れながら、いかにも不快そうに言った。


「…何してるんですか?」
「洗濯です。見てのとおり」
「そこ、私がいつも使ってるトコなんですけど」
「俺もいつもココ使ってるんで」
「どこでも一緒でしょ!」
「俺もそう思います」


だからあなたが他の場所を使ってください、という気持ちを込めながら伝えると、金剛力士像もとい女の子は溜息をついた。俺が先に使っていたのだから仕方が無いのに。
しかし、ここまで明らかに不信感とか嫌悪感を剥き出しにされるのは初めてなのでちょっと面白くなってきた。


「同じ大学だったんですね。何年ですか?」


仕方なく別の洗濯機に洗濯物を入れ始めた女の子に聞いてみると、彼女は手を止めた。無視するかどうか悩んでいるのかも。けれどまた手を動かしながら答えてくれた。


「………二年」
「あ、じゃあ一緒」
「そうなんですか?上だと思ってた」
「どうして?」
「なんか、あなた…大きいし。大人っぽい。あ、べつに褒めてないから」


大人っぽいな、落ち着いてんな、とは中学生くらいから言われて慣れている事だ。しかし「褒めてないから」と付け加えられたのは初めてで、また少し面白味が増した。やばい顔に出そう。


「こないだのアレ、わざとでしょ」


すると今度は女の子のほうから話し掛けてきた。内容は俺に対する不満だったが。
「アレ」と言うのは恐らく、一昨日俺たちが学食で話していた下賎な会話の事だ。でも確証がないので一応確認してみる事にした。


「どれの事?」
「アレよアレ」
「アレじゃ分かんないよ」
「…だから!下着の好みのこと!」


満足した。
ああその事ね、とやっと気付いた振りをして、俺はちょうど全てを入れ終えた洗濯機の扉を閉めた。


「だってあれが本音だから。女の子の下着にこだわりなんか無いよ」
「フリフリでも?」
「あんまりヒラヒラしてないほうがいいってだけで」
「それがわざとでしょって言ってんの!」
「そんな事ないって」


この子はこの間忘れていったヒラヒラの下着に相当の自信でもあったのかお気に入りだったのか、それともアレのせいで痛い目を見た事でもあるのかな。あ、痛い目を見せたのは俺か。

けれども、またココで変態だのなんだの叫ばれてもたまらない。誰か別の客が入ってくるかも知れないので、話題を変えてみる事にする。


「学部、何?」


財布の中から小銭を探す振りをしながら聞いてみた。
が、なかなか返事が無いのでチラリと横目で見ると、何故かまだ不審な目で俺を見ているではないか。


「それ、聞いてどうするの」
「どうって…あんまり下着の話ばっかりしててもね」


俺は別に女の子の下着に執着しているわけじゃなくて、単にこんな場所に下着を上下とも忘れていくような間抜けな女の子に呆れつつ面白がっているだけである。


「…教育学部。そっちは」
「俺、経済」
「あー」
「あーって何」
「それっぽいなって思っただけ」


褒められてんのか貶されてんのか分からない言い方だけど、ちょっと調子に乗りすぎたかも。


「じゃあ俺、いったん家戻るから」
「勝手にどうぞ」
「…冷たくない?」
「当たり前でしょ、私まだ怒ってるんだからね」


キッと強い効果音が鳴りそうな目で、女の子はおれを睨みつけた。
女の子に「怒ってるんだからね!」と面と向かって言われるのも初めてだし、俺は今日たくさんの初体験をしてしまった。その全てが刺激的で、自分ってマゾっ気があったのかなぁと思わされるほど。


「名前、なんていうの?」


最後にこの面白おかしい女の子の名前だけでも聞いてから帰ろうと、洗濯機のスタートボタンを押しながら言った。
けれどもやはり彼女は俺に好意的ではなく、答えるのを渋っている様子。そんなふうに抵抗されたらもう少し突っついてみたくなるんだけど。と言うわけで、記憶の中にある名前を呼びかけてみる事にした。


「……すみれさん?」


途端にその子は警報器でも鳴ったかのようにビクついて、今度はムンクの叫びみたいな顔で俺のほうを振り向いた。ただ叫び声をあげる事は出来ておらず、俺を指差してワナワナと震えている。


「な…な…なんで知ってるの!?最低!あんたストーカー!?」
「このまえすみれって呼ばれてたじゃん」
「は…え…?あ…ああ」


またもや犯罪者みたいな扱いを受けて心外だ。これって名誉毀損罪とかにならないのかな、俺はこの子が学食で友人に「すみれ」と呼ばれていたのを偶然覚えていただけなのに。本人は自分の下着を馬鹿にされた事だけが記憶に残っていたらしい。


「…そうですけど。白石すみれ」


やっと容疑は晴れたみたいだけど、不本意だとでも言うように名乗られた。
白石すみれ。俺の事が気に食わないくせにしっかりフルネームを言うなんて、警戒心が薄いといった印象だ。下着を忘れるくらいだから元々どこかのネジが抜けているのかも知れない。


「ストーカー呼ばわりは謝ってほしいな」


またヒートアップしてしまうかなと思いながらも要望を伝えると(それはそれで別の楽しみがあるけれど)、白石さんは少したじろいだ。なるほど警戒心が薄い上に他人に流されやすい。悪い人間に騙されそうな要素がたっぷりだ。
俺に対して謝罪をするかどうか、もぞもぞと動きながら唸っていたけどやがて心を決めてくれた。


「…悪かったですね。」
「どうも」
「あなたこそ、私の下着を馬鹿にした事は謝ってくれません?」
「それはごめんなさい。でも馬鹿にしたわけじゃなくて…なんか、面白いかなって思って」
「それが馬鹿にしてるって言ってんの」
「あ、そうか」


そんなつもりは毛頭無かったわけだけど、馬鹿にしてると言われればしていたかもしれない。けど、あの時は突然目の前に見覚えのある子が現れて驚いたんだから、そのへんは考慮してもらいたい。咄嗟に言ってみせたジョークの出来が悪かった事ぐらいは。


「俺、赤葦京治」
「そうですか」
「興味無さそうだね」
「無いもん。学部だって違うじゃん」
「そうだけど」


刺々しいくせに全く刺さってこないそれを軽く避けながら、この場は一旦家に帰る事にした。洗濯機が回り終えた頃にまた来よう。このまま一緒に居ると、いずれ物理的に刺されるかも知れないので。


「じゃあね、白石さん」


今度は苗字を呼んでみると、洗濯機の蓋をバタンと閉めながら白石さんが振り向いた。返事をするか、無視するか、彼女の葛藤は手に取るように分かる。結果、返事をしてくれる事にしたらしく白石さんは息を吸った。


「どうも。赤葦くん」


俺は二度目の満足を味わった。俺を無視する度胸も無くって、「さっさと帰れ」と押し返す事もしなくて、彼女なりの最大限の嫌味っぽさを含んだだけの「どうも、赤葦くん」。
今度こそ笑ってしまうのを堪えきれずに急いでコインランドリーを出て、道のど真ん中で笑い声だか溜息だか分からない気の抜けた声が出た。