06
理非曲直コンフェッティ



学園祭の本番まで、残すところ二週間。
最後のシーンで踊らなければならないダンスについては、不格好ながらもとりあえず振り付けは覚えた。暗記が苦手な俺にしては珍しく、台詞だってきちんと頭に入っていると思う。

演出を担当するクラスメートからは演技も脚も大根などと言われているが(鍛えているんだから仕方ない)、俺はまあ、自分で言うのもなんだけどとりあえずは大丈夫である。問題は俺の相方、主役である白石すみれの声が腹から出てこない事であった。


「そろそろ困るわあ…」


白石が居ないところでクラスメートは落ち込んでいた。俺はどちらの気持ちも分かるので何とも言えないで居る。成功させたい気持ちはクラスのみんなが同じように持っているからだ。
それに俺は俺自身に責任を感じていた。白石が声を出す事に苦手意識を持っているのを知りながら、半ば無理やり推薦したのは自分なのだから。


「山形くん、どう思う?もし主役変えるなら今だよ」
「んー…」
「何回も言ってんのに、何で直してくれないんだろ」
「あー…それは…」


俺が言っても仕方ないんだけど、きっと皆は白石の事情を知らない。知らないのに良くない事を言われるのは嫌だろうし、俺もあんまり聞きたくないし、けど簡単に話していい内容とは思えない。


「それは?」
「えー…まあ色々あるんじゃね」


暫く頬をかきながら時間稼ぎをした結果、あまり上手い事は言えなかった。


「そうかも知んないけど…衣装も音楽もみんなで頑張ってんだよ。あの子だけに潰されたくない」
「いや潰す気は無いだろうけどさ…」


どうしようか。俺が白石に言うほうが良いのか。このまま白石が変わらなければこのクラスの劇は成功しない、それは間違いなく言える。どうすれば良いんだろう。若利の言うように白石を怒らせて大声を出させてみるとか?嫌われるのは困るんだけど。

それから解決策の見つからないまま四時になり、今日は満足のいく練習が出来なかったが仕方なく部活に向かう事にした。部活も立派な練習だから「仕方なく」って言い方はおかしいけど、そういう言葉を使わざるを得ないような形容しがたい気持ち。


「あっ、野獣だぁ」


そんなもやもやを良い意味でも悪い意味でも晴らしてくれたのは、天童覚の能天気な声だった。最近じゃ俺を名前ではなく「野獣」と呼ぶのだ。


「はい野獣ですけど。」
「苦戦中?あ、言ったっけ?俺のクラスねえコスプレ喫茶する事になってるんだよ」
「マジかよ」
「俺バボちゃんすんの」
「お、おお」


コスプレがバボちゃんって、どう言う理由で選んだんだよ。自分で選んだのだとしても誰かに指定されたのだとしても理解できない。
天童は自らコスプレ喫茶の話を始めたものの早々に飽きたらしく、別の話題に移った。俺の後ろを歩く若利の姿を発見したからだ。


「若利くん台詞覚えたあ?」
「覚えた」
「台詞イッパイあるんだっけ」
「いや、一言だけ」
「どんな台詞?」
「そうだそうだ!…という台詞だ」
「ぶっは」


本人の言ったように若利の台詞はガヤみたいなものがたった一言だけだ。それを真剣な顔して棒読みしてみせるんだから大したもんである。天童は相当ツボに入ったらしく、ヒィヒィ言いながら水を探しに行った。


「…俺、あいつのこと推薦して良かったのかな」


そばに誰も居なくなってから、ついつい本音が口をついた。今はどんな面白い事があっても、この悩みが俺の頭を支配しているのだ。


「白石を?」
「そー。」


若利に直接白石の話をしたのはいつだったろうか、まぁ進捗なんか報告しなくても同じクラスで練習を見ているのだから白石の出来具合は若利にも分かるはずだ。いくら大根役者のこいつでも(他人の事なんか言えないけど)、白石の状態が決して良くない事は。


「白石がそのトラウマとやらを克服できるなら問題無いと思う」
「それが難しいんだけどな…」
「それさえ解決したら、うちのクラスに白石よりも主役に合う女子は居ないんじゃないか」


思わず耳を疑った。若利が誰かを評価するようなことを言うなんて滅多に無いのだ。しかもその対象がバレー部ではなく、あまり関わりが無いはずのクラスの女子。


「…なんで?」
「役に合っているだろう」
「…どういう意味で?」
「白石を不細工だと思った事があるか?」
「や、ねえけど…」
「白石の顔は万人受けする」


特別綺麗という訳では無いが。と、正直でやや失礼な一言を添えて若利が言った。
それから俺は改めて、というか初めて白石の姿を鮮明に頭に浮かべた。見た目が悪いと思った事はない。良いと思った事も無い。そういう対象で見た記憶が無いのである。が、改めて美人かどうかという視点で姿かたちを思い描いてみれば、確かにそんな気がしないでもない。


「そっか…そう言われたらそうかも?いや、よく分かんねえ」
「分からないのに美女の役に推薦したのか」
「うう…」


そういえば白石の役は「美女」だった。白石の顔は関係なく、単に「こいつ出たいんだろうな」という理由だけで推薦してしまった。性格はなんとなく役に似ているなと思った事があるけど、見た目はどうだろう。若利が「合っている」と言うなら信用してもいいんだろうけど。



部活は二時間だけ行われ、すっかり日も暮れた夕方六時。いつもなら自主練のために残るのだが、今日は自分のクラスに顔を出す事にした。あれから白石が俺の居ない状態で上手くやっているかどうか気になってしまったのである。


「まだやってっかな…」


とは言え既に外は暗く、学園祭の準備期間とはいえ下校している生徒の方が多い。うちのクラスも練習を切り上げて解散しているかもしれない。それならそれで良いんだけど。
と、教室の近くまで来た時にある人影を発見した。


「ん」


それは後ろ姿であったが、確かに白石すみれだった。廊下に突っ立って何をしているんだろう。白石は向こうを向いているので表情は見えない。俺はだんだん近づいて行き、教室のすぐ手前に隠れるように立っている彼女に声をかけた。


「白石?」
「!」
「なに突っ立っ…」


声に反応した白石が飛び上がるように驚いて、まるで予想外だという瞳で俺を見上げた。俺だって予想外だ。こいつ、泣いてんじゃんか。
どうしたのかと続けて言おうとしたけれど、白石は俺の横をすり抜けるようにして廊下を全速力で駆けて行った。


「!? おい、待っ」


と、言ったけどあっという間に遠くまで行ってしまった。
全てが一瞬の事だったのでまだ頭が整理出来ていない。なんで今、ここに一人で直立不動の状態だったのか。なんで今、泣いていたのか。て言うかあいつめちゃくちゃ足速いじゃん、夏はあんなに外でバテてたくせに。じゃなくて、大事なのはそっちじゃないだろ俺、冷静になれ。


「…山形くん」


そこで我に返った。学園祭の実行委員が、真っ青な顔をして教室から出て来たところだった。


「おお。え、今の白石…え?あいつどうした」
「いや…それが」


未だに顔が青いというか白いというか、血の気が完全に引いている。案内されるまま教室に入ると中には数人のクラスメートが居て、しかも揃って同じように真っ青だった。どうしたどうした、俺まで青くなりそうだ。


「私たち主役の事どうしようかって話してて…白石さんには頑張ってもらいたいけど、今のままじゃ難しいよねって」


クラスメートたちは正直に話してくれたが、俺は本当に顔が青くなってきた。せめてこの続きが俺の想像通りではありませんように。


「ゴメン。私もストレス溜まってたの。白石さん主役降りてくれないかなって言っちゃって、それ…聞かれた、かも」


けれども一から十まで全て予想どおりの事が起きたのだと分かり、ずしんと頭が重くなった。「この馬鹿野郎」って思ったからではない。今この場に居た全員の気持ちが理解出来てしまうから、全員分の重さがのしかかってきた感じ。


「……そか…」
「ごめん…」
「いや、それは別に…誰が悪いとかじゃない…と、思う」


その失言を白石が偶然廊下で聞いてしまい、そこで思わず涙を流していた時に、これまた偶然俺が現れた。そして俺が白石を呼ぶ声が教室の中まで聞こえた事で、陰口が本人に聞かれたのを知ってしまったのだ。まあ「陰口」ってほどのもんじゃないけど、白石にとっては立派な陰口なのだろうけど。


「……俺ちょっと行ってくるわ」
「え、でも」
「どのみち白石が居なきゃ俺の練習も出来ねえだろ」


俺と白石は野獣と美女で、白石が居なくては俺のシーンは成り立たない。俺一人がここで練習したって意味が無いのだ。
フォローする言葉も何も浮かんでいないけど、俺は消えた美女を探すために今来た道を引き返した。