02
カレーライス・三百二十円


とても珍しい経験をしたと思う。コインランドリーで下着を上下とも忘れて帰る女性に遭遇するなんて思わなかった。しかもそれに直で触る事ができるなんて、いや触りたくて触ったわけではないのだが、結果的にラッキーだった。

しかし嬉々として知人に言いふらすわけにもいかないので、俺はその経験をひっそりと自分の中だけに留めておく事とした。男の友人に話せばきっと羨ましいだのわざとだろうだのと言われるに違いない。羨ましいだろと自慢したい気持ちはあるが、わざとだろうと言われればきっと腹が立つので。


「…で、ついに彼女できました!」


わあっと盛り上がった大学の食堂、の隅っこに座る俺たちのテーブル。同じく大学二年の鈴木という男が、かねてから思いを馳せていた女の子と無事に付き合う事になったという報告があったのだ。


「おめでと」
「ありがとう!どうもありがとう!」
「佐々木さんって乳でかいの?」
「聞くな!まだやってない」


彼女が出来た、好きな子と結ばれた、という甘酸っぱい話なんてすぐに終わる。こういう時俺は決まって聞き専になるので(どこで誰に聞かれているか分からないし)、黙ってカレーライスを食べながら話を聞いておく事にした。
「ちょっと声下げたら」などと言わずに聞いておくという事は、俺も興味がある話題だという事だ。それは仕方が無い。


「けど見た感じ大きそう…な気がする」
「こないだ着てたニットだとでっかく見えたよ」
「おい!見んな!」
「その時はまだお前の彼女じゃなかったろ」


そんな話を聞きながらカレーライスを口に運び、鈴木の彼女である佐々木さんの姿を思い浮かべた。
ぱっちり二重で愛嬌のある顔、それに確かに巨乳だった気がする。というか触り心地が良さそうだ。あの身体でニットなんか着られたらたまらないだろうなぁ、羨ましい奴。


「赤葦って巨乳派?貧乳派?」


そこで突然話を振られて、カレーが喉に突っかえそうになった。
この質問は高校時代から何度されたか分からないし、きっとこれからも何度も同じ質問を受けるのだろう。けれど答えは決まって同じだ。俺はゴクリとカレーを飲み込んでから答えた。


「別にどっちでもいい」
「イイコぶんな!」
「ホントにどっちでもいいよ俺は…」


無いよりはあるほうがいい。大き過ぎるよりは小さいほうがいい。
けれど結局は好きな子が相手なら胸の大きさなんて関係無くて、少々小さくてもそれが可愛い時もあるし、大きければラッキーくらいの気持ちだ。実際今まで付き合った女の子はそこまで巨乳ってわけじゃなかったし、「巨乳だから」という理由で人を好きにはならない。

…と、ここまで考えて我に返った。
胸の大きさについて考えている時の顔は、あまり見栄えが良くないだろう。いかんいかんと何度か瞬きをして冷静になろうとした時、目の前をひとりの女の子が横切った。


「……あ」


思わず声に出て、動きが止まった。つい昨日、下着を忘れていった女の子がすぐ前のテーブルに腰掛けようとしているのだ。同い年くらいだろうとは思っていたが、同じ大学だったのか。
向こうは俺に気付いていないので、どうかこのまま気付かないで欲しい。ちょうど巨乳だの何だのの話をしている真っ最中だから。


「どうしよ…超グラマラスな下着つけてきたら…」
「グラマラスって」
「俺ぜったいもう…無理になる」
「何がだよ!」


友人のひとりが派手に笑って、背後の椅子にガタンとぶつかった。あの女の子が鞄を置いている椅子だ。
スミマセン、いえいえ、というやり取りの際に彼女がこちらのテーブルに目をやった。そして目が合ってしまった。


「あ」


どうやら俺の存在に気付かれてしまったらしい。彼女の口が「あ」を形作ったまましばらく固まって、俺の顔を凝視していたのだ。

気付かれたら仕方がないな、同じ大学なら今後も何かで顔を合わすこともあるだろう。というわけで俺は会釈をしてみたが、その子はまだショックを受けたような魂が抜けたような様子で固まっていた。


「すみれのソレ美味しそー!ちょっとちょうだい」
「えっ?あ、うん」


その時ちょうど、同じテーブルに座っていた友人らしき女の子が彼女に話しかけた事でやっと意識を取り戻したらしい。俺から目を離して食事に視線を落とし、「いいよ交換しよう」などと話していた。
良かった、これで俺の存在なんか頭から消えてくれれば良いのだが。


「で、赤葦ってどんな下着が好き?」
「え」


そんな時、鈴木に名前を呼ばれて反応してしまった。自分の名前に反応したと言うより、こんな周りに大勢いる場所で不躾な質問をされた事に反応してしまったんだけど。目の前のテーブルに女の子がやって来たというのに、恋人が出来たことで相当浮かれているようだ。
幸い俺の本音は万人受けすると思うので、素直に答えてやった。


「別にどんなのでもいいけど…」
「菩薩か」
「俺、そういうのこだわり無いし」
「まじで?」


シンプルでも派手でも、白でも黒でも赤でもいい。好きな子が身に付けているものなら何でも。あえて言うなら太った女性が着用するような、お腹まで隠れる巨大なショーツは勘弁願いたい。太っていてもいいから少しは気を遣ってもらいたいな。
と、存在しない恋人の下着を妄想していると視線を感じた。すぐ前のテーブルからだ。


「………」


昨日、フリルだらけの下着を上下セットで忘れていった女の子が横目で俺を見ていた。俺を、と言うより昼間から下品な話をしている俺たちを見ていたのかも。俺はなるべく会話に参加しないよう配慮しているつもりなんだけど分かってくれるだろうか。
けど、この話にうっすらと嫌悪感を見せる彼女に何故か俺は悪戯をしたくなってしまった。


「敢えて言うなら、あんまりヒラヒラしてないやつ」
「げほっ」


先程の鈴木の質問に、少し具体的に答えてみた。その後すぐに誰かがむせる音。あの女の子だ。「ヒラヒラ」が沢山ついた下着を昨日、コインランドリーで洗濯していた女の子。


「ちょっとすみれ大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ」


そう言いながら横目で俺を睨むって事は、俺の発した言葉が昨日の仕返しであると認識してくれたようだ。その表情を見て俺は口角を上げないよう必死に耐えた。どうだ見たか、一瞬でも下着泥棒の疑いをかけられた屈辱とショックはなかなか消えないのである。


「ヒラヒラしてないやつ…って事はお前もグラマラス派か」
「そうは言ってない」


さっきも言ったように下着へのこだわりは特にない。あれが本音である。ただちょっとだけ、こう言えば彼女がどんな反応を見せるかなと気になってみただけなのだ。


「だって、あのヒラヒラってちょっと邪魔じゃない?」


俺の言葉に鈴木や他の友人は「確かにな」と納得していたし、昨日の女の子は更にむせかえっていたし、その子の友人は「気管に入ったの?」と慌てた様子で俺の声が届いていなくて非常にラッキー。
しかし、今度コインランドリーで会ったらまた変態扱いされるかな。その時も同じ下着を洗濯していたらどうしよう。