05
絵空事のパース


ぐにゃりと危うく足を挫きそうになる。大会前に捻挫をしては大変だ。細心の注意をはらいながら行っているのはラストシーンで踊るというダンスの練習である。


「下手くそだな」


涼しい顔の若利が言った。
若利は村人Bというなんとも微妙な役柄になり、出番が少ないのでダンスシーンの練習を見学している。若利の台詞は下手くそだが(俺が言えたもんじゃないが)クラスの実行委員いわく、話題性のためにどうしても若利に一言喋らせたかったらしい。


「山形くん、手は白石さんの腰」
「腰?おお、ここか、はい」
「白石さんも!顔は野獣を向いて」


野獣って。いや野獣で合ってるけども。
学園祭実行委員であり舞台監督・演出を名乗り出たクラスメートは、演劇部では無いにも関わらずとても厳しいダメ出しを寄越してきた。
聞くところによると有名な劇団のミュージカルを見に行くのが好きらしい。そんなプロと俺たちを比べられても困るんだけど、やるからには格好いいものを造りたいので俺も慣れないダンスに苦戦しているのであった。


「わ」
「うお」


今度は俺ではなく、白石のほうがよろめいた。どうやら白石も舞台上で踊るのは初めての事らしく、まだ覚えた振付をこなすのに精一杯のようだ。


「ごめん…っ」
「おう…大丈夫か?」
「うん」


失礼だけと両足で立って歩く事すらスムーズではなさそうなのに、こいつダンスなんて出来るんだろうか。

もう一度俺たちは互いの手を定位置に戻して、せーの、いち、に、さんと掛け声をかけながら練習を繰り返した。ぼんやりと自分たちの姿が窓に写っているが、敢えて言おう、目も当てられないほど不格好である。
そして横で見ているクラスメートと同じ事を思ったらしく、大きく手を叩きながら練習を止めた。


「白石さん、もうちょっと堂々と踊ってくれないと」
「……うん…」
「演劇部なんでしょう」


そいつは早くも白石の弱点を突いて黙らせてしまった。
ただでさえコレなんだから、あまりモチベーションの下がるような事は言わないほうが良いと思うんだけど。
そんなわけで俺はいつも、誰に言われるでもなくフォローの役回りを買って出るのだった。白石の事を気にすると言うより、俺自身がこういう空気は苦手だから。


「まぁまだ俺ら振付覚えたばっかりだし、探り探りだろ。なあ」
「そうも行かないよ。ただでさえ山形くんは途中で練習抜けるんだから」


しかし、俺の健闘虚しく正論で突き返されてしまった。
彼女の言う通り俺はバレー部の練習に合流するため、途中で抜けなければならないのだ。県予選の決勝トーナメントが控えているから。白石はそうだよね、と呟くと再び両手を最初の位置に戻した。


「…もう一回…」
「おー、やろう」
「ちょっと待って、踊りは昼休みにでも二人で練習して。台詞のチェックします」
「ええ?あ、ああ」


実行委員の女子は痺れを切らしているようだった。
気持ちは分かるのでとりあえずそれに従う事とし(俺は正真正銘の素人だし)、踊りの練習は切り上げて台本を持ち寄った。ちなみに台詞は一応全部覚えた、若利が練習に付き合ってくれたお陰で。


「なぜ晩餐会に来ない?」
「食べたくありません。」


指定されたシーンは、まだ美女と野獣が互いを気に食わないと思っている場面。家臣から何故か美女を食事に誘えと言われる野獣だが、かたくなに拒まれている。なんか可哀想だ。俺ならこんなに断られたら諦めるけどな、と思いつつ更に誘い文句を口にする。


「きみが…晩餐会にきてくれたら…とても嬉しいのだが?」
「…いやです」
「ストップ!」
「うわ」


突然実行委員の声により稽古がストップした。俺のたどたどしい台詞のせいか白石の声が小さいせいか、原因はいくつも浮かぶけど。


「なんだなんだ、俺どっか間違えた?」
「違う違う。白石さん、もっと嫌がってくんなきゃ」
「い、嫌がる…」
「あなたは野獣のことなんか大っ嫌いなの。同じテーブルに並んだご飯なんか死んでも一緒に食べたくないわけ!嫌悪感を剥き出しにして!山形くんをゴキブリとか毛虫みたいにウザがって!」
「は、はい」


ゴキブリも毛虫も俺も、ひどい言われようである。白石がもし毛虫愛好家だったらどうするんだろう。もちろんそんなゼロに近い可能性は実行委員の頭には無いので、早く早くと白石をまくし立てて行った。


「嫌です!って、キッパリと」
「わ…わかった」


白石は弱々しくも頷いて、もう一度同じ台詞を言おうとした。その場にいる全員が、今のダメ出しを受けた白石がどのように変わるのか注目している。俺だって気になった。
が、それは白石にとって逆効果であった。今この場で全員の視線を浴びながら同じ台詞を繰り返す事が、しかも先程よりも良い出来を求められている事が、きっと拷問に近いのだ。


「……白石?」
「あっ、ご…ごめ…」
「休憩する?」
「……」


なかなか台詞の出てこない白石に休憩を提案したけれど、白石は首を振った。時間を置いた方が良いと思うのだが。
しかし続けてもいいと言うなら続けようかと思った時、今度はチームメイトの声で遮られた。


「山形、もう四時だ」


若利が指さした時計は確かに夕方四時を指しており、つまり俺達がバレー部の練習に合流しなければならない事を告げていた。


「え、あー…やべ。ごめん俺もう行かなきゃだわ」


俺は悪くは無いのだが、謝っておいた。なんとなく教室内にはもう白石の味方が居ないような気がして、ひとり残してしまう事への罪悪感があったりして。しかし白石は謝罪を受け入れるどころか首を振って、俺に謝り返してきた。


「ごめんね…」


限られた練習時間なのに自分のせいで練習が進まなかった、とでも言いたいらしい。白石に非が無いとは言わないが、俺も俺で今日覚えた振付はお粗末なものだった。きっとお互い様だ。


「俺は大丈夫だから。お前がんばれよ」


それだけ言い残して、少し心配ではあるものの若利とともに教室を出た。あいつ、上手くやれるかなぁ。


「あれは大丈夫なのか」


部室に向かう道すがら、若利は「あれ」という代名詞を使って話しかけてきた。残念ながら何の事を言っているのかは分かる。白石が俺たちの予想よりもはるかに進歩していないのだ。演技が下手だというわけじゃない。とにかく皆の前で堂々と話せず、台詞を言えていないのだ。


「若利から見てもやべえのかよ」
「同じ教室に居ても白石の声が聞こえてこないのは、由々しき事態じゃないか?」


ごもっともで、由々しき事態だ。白石を推薦してしまった俺からすると、特に。


「どうすりゃいいんだろなあ」
「声が出せない理由でもあるのか」
「あー…なんか。トラウマ的なやつ…これ内緒だぞ、特に天童」


天童は良くも悪くも正直だ。空気を読む時もあれば読まない時もある。若利も比較的空気を読まないほうだがこういう事は理解出来るらしく、分かった、と受け入れてくれた。が、最後にあまり聞きたくない事実をつけ加えられた。


「俺は、トラウマは簡単には治らないと思う」
「…わーってるっつの。」


簡単には治らない。もしかしたら最後まで治らないかも知れない、とすら思う。白石が小学生の時に経験した事と、その後どのように劇を終えたのかを想像すると。それはあまり広めないほうが良い気がして詳細を話すのはやめておいたが、若利は今日はやたらと意見を言ってきた。


「一度怒らせてみたらいいんじゃないか?」
「怒らせる?誰を」
「白石を」
「はあ?」
「大きな声で怒鳴らせればいい。我を忘れるくらい」


白石がそんなに怒鳴るなんて想像出来ない。それに、そこまで怒らせるためには余程の事をしでかす必要がありそうだ。あまりにもリスクが大きい。


「…それで俺が嫌われたらどうする、劇が失敗すんだろ」
「そうだった。難しいな」


美女役と野獣役とのあいだに亀裂が産まれるのは恐らく良くない事だろう。「怒らせる」以外に案の無かった若利はお手上げのようで、今日はこれ以降学園祭の話をする事は無かった。