01
ラッキースケベ・無料


大学生になって分かった事がある。
親は俺の考えていたよりもはるかに沢山の家事をこなしていた事。トイレ掃除は予想よりも頻繁に必要である事。使用しない電機はこまめに消しておかなければならない事。野菜の値段が高い事。そして、自分の洗濯物が思いのほか臭うという事。

これを毎日直接触り洗濯してくれていた親には感謝しなければならない。例え自分の子どもだろうと、こんな臭いものを自分に触れるかどうか。
しかし今は頻繁に運動を行っていないので、そんなににおう事も無く洗濯をする事が出来ている。正確には俺が洗濯しているのではなく、近所のコインランドリーを使っているのだが。洗濯機置き場の無い狭いワンルームに暮らしているので、二日に一度くらいのペースで歩いてきているのだ。

今日も家から二番目に近いコインランドリーまでやって来た。なぜ一番近い場所を使わないのかと言うと、つい最近こちらのほうが安い事を知ったから。
たったの三百円で洗濯ができるなんて驚きだ。
ただ乾燥機にお金を使うのは勿体ないので、湿って重たい洗濯物を持ち帰り家で干している。洗濯機置き場が無いくせにベランダがある理由は謎だ。こういうもんなのかな。


「やっぱり誰も居ないか」


安いだけあって、ここはあまり清潔とは言えない。だから使用する人が少ないのかもしれない。その証拠に、使用者とはあまりすれ違った事が無いのだ。時々洗濯機が回っている様子はあるので、確かに誰かが使用しているんだろうけど。

まあ、少々床が汚かろうと洗濯機の役割さえ果たしてくれれば文句は無い。
今日はすべての洗濯機が空いていたけど、なんとなくいつも使っている一番右の蓋を開けた。


「…ん?」


中に何か入っている。誰かの忘れ物だろうか。
大量に洗濯をしたあとは取り出す時にポロリと手から落ちてしまう事もある。このコインランドリーには忘れ物を入れるためのカゴが置いてあるので、そこに突っ込んでおくか。
そう思って洗濯機の中に手を入れて、忘れ物を拾い上げたのだが。


「何だコレ…」


何だコレ。
思わず口に出たけれども俺はコレが何なのかはっきりと分かる。分かるんだけど思わず「何だコレ」と言ってしまった理由は男なら分かってくれるだろう、もしかしたら女の人だって「何だコレ」と言うだろう。俺の手の中にあったのは、女性ものの下着だったのだ。
幸か不幸か下ではなくて、ブラジャーのほう。いや、幸なんだけど。ちょっと不幸かもしれない。どっちだ。

とにかく超フリフリのブラジャーが俺の手に握られている。まだ湿っているので、洗濯を終えてからそんなに時間が経っていないと思われる。デザインからすると若い女性のものだろう、これで熟女だったらそれはそれで…と瞬時に色んなことを考えた。

しかし、これを誰もが見たり触ったりできる忘れ物入れに入れておいていいのかどうか。悪意ある男が持ち帰ったりしないだろうか?持ち帰らなくとも、においを嗅いでみたりとか。


「へ……変態!」


そう、そんなのは変態だ。
俺はにおいを嗅ごうなんてこれっぽっちも思っていなくて、ただサイズだけは見ておこうかなとそのブラジャーを広げる一歩手前だった。
…ので、セーフだった。たった今コインランドリーの入り口に現れた持ち主と思わしき女の子に、サイズ表記をまじまじと眺める姿を見られなくて済んだのだから。


「これ、あなたのですか?」
「近づかないでください!警察呼びますよ!」
「え」
「それ私のブラジャーですよね!?」


これの持ち主が誰なのかを知っていたわけじゃないので、首を振るかどうかは迷った。「知りません」と答えたかったのに、俺はたった今持ち主を把握してしまったのだ。
しかし「警察呼びますよ」だけは納得が行かないし避けたい事なので、なるべく刺激しないようにしなければと冷静に答える事とした。


「あなたのかどうかは分かりませんけど、ここに入ってました」
「だ、だからってそんなガッツリ持って」
「そこに入れるかどうか迷ってたんで…すみません」


俺はこれっぽっちも悪くないが、ひとまず頭を下げてみた。むしろ礼を言われたいくらいだ。俺がこのブラジャーを忘れ物入れに入れてしまったら、見ず知らずの変態の餌食になったかも知れないんだから。


「ここに置いといたら、誰かが持って帰っちゃう可能性あるかなと」


その可能性を説明し、そうなった場合どのようなおぞましい事が起きるかを想像してもらうため、俺は淡々と述べた。
彼女はまだ眉間にしわを寄せているが、俺への敵意はほんの少しだけ引いたかに見えた。


「………本当に?」
「本当です」
「本当?」
「勘弁してください」
「……」


やっと彼女は両肩を落として、わかりました、と溜息混じりに言った。よかった、この歳で下着泥棒のレッテルを貼られたらたまったもんじゃない。安心して俺も大きく息をついた時、目の前に手が伸びてきた。


「返してください」
「…あ、はい」


そう言えばまだブラジャーをしっかり握ったままだった。わざとではない。なるべく視界に入れないようにして返すと、彼女は受け取ったそれを自身の鞄に突っ込んだ。


「なんか…叫んじゃってすみません」


それでようやく緊張が解けたのか疑いが完全に晴れたのか、先ほどまでの勢いは消えた様子で頭を下げられた。謝られると調子が狂ってしまうし、何度も言うけど俺は悪くないのだが、ひとまずこちらも頭を下げた。


「いや、俺のほうこそ紛らわしい事して」
「いいえ…まあ、オジサンとかじゃなくて良かったと思っておきます」
「ですね」


こちらもせめてオバサンの下着じゃなくて良かったと思っておこう。
お互いにメリットとデメリットを得たところで、ブラジャーを回収した彼女は帰宅するようだ。「お騒がせしました」と会釈をして、コインランドリーの出口に向かって歩き始めた。
俺も俺でやっと洗濯を始める事が出来る、と改めて洗濯機の中を覗いてみると。


「……あ」


見つけない方が良かったかな、というものをまたもや発見した。
しかし見て見ぬふりをする事は出来ない。持ち主らしき人間は今、ちょうど自動ドアをくぐろうかと言うところ。俺は意を決して声をかけた。


「あの、すみません」
「え…」


先ほどブラジャーを忘れた彼女は足を止めて、ゆっくりと振り向いた。まだ何か用事ですか、とでも言いたげな顔で。
用事も何も俺だってこんな事で何度も声をかけたくは無い。が、こうするしかなかったのだ。


「こっちも残ってました」


洗濯機の奥にもうひとつ残っていたもの、それはブラジャーの相方と言うべきか、下着の下のほう。いわゆるパンツ、それもブラジャーとお揃いらしきフリフリが付いたもの。

さすがにそれを触る事は出来ず洗濯機の奥を指さした俺は、彼女が不思議そうに近付いてくるのを冷や冷やしながら待っていた。
そして、一体何が残っているのかと洗濯機を覗くのを、恐る恐る見守った。
それを見つけた瞬間に彼女の両目玉がこぼれ落ちそうなくらい剥けるのを、笑いを堪えながら見届けたのである。