04
ドラマティックモドキ


「なんで飯を食いに来ないんだ?」
「…食べたくありません。」


上記は聞くに耐えないカタコトの台詞。
今、俺と白石は放課後の時間を使って台本を覚えるための読み合わせを行っている。と言っても白石のほうは覚え切っているので俺のために付き合ってくれているのだが、俺はなかなか覚えられないで居た。

その理由として、普段自分では使わないような喋り方をしなければならないのが大きな原因だ。台本どおりに読むと舌を噛みそうだし、自分じゃないような変な気分になってしまうのだ。
それに、野獣がどういった理由でこの台本のように動くのか理解できなくて、それを考えると余計に難しいのである。


「…食べたくないんじゃ仕方ねえよなあ」
「う、うん…あのね」
「ん?」


白石は珍しく練習を止め、台本を下に置いた。今は俺と二人きりだからなのか、耳を澄ませなくても聞こえる程度の声は出してくれている。


「山形くん、台本どおりに喋ってくれたほうが…いいと思う」
「台本?」
「野獣の台詞は、なぜ晩餐会に来ないんだ?だよ」


声が出ているどころか、白石は俺に意見を寄越してきた。睨まれるまでは行かずとも白石の目からは俺への不信感とか、物申したい事があるのだと伝わってくる。けど、まだ俺は白石が何を言いたいのかが分からなくて首を傾げた。


「言いにくいしなあ…噛んだら嫌だもん俺」
「で、でも野獣の台詞を自分の言いやすいように変えたら…それは野獣じゃなくてただの山形くんだよ」


俺は首を傾げたままで動きが止まった。今、なんて言ったんだ?


「…ただの山形くん?」
「あっ?いや、違…ごめ、そういう意味じゃ」
「ただの山形くんて」
「ごめんっ、」
「お前おもしれーこと言うなあ」
「へ…」


白石は呆気に取られた様子で固まっていた。さっきの言葉が俺の怒りを買ったと勘違いしたらしい。俺は全く怒っていなくて、むしろ白石の言った言葉に強く共感した。自分一人では一生かかってもこんな考えには至らないからだ。


「なるほどなあ。伊達に演劇部入ってたわけじゃ無いって事か?」
「……」
「言いたい事は分かった」


ただただ台詞をそれっぽく読んでいけばいいと思っていたけど、どうやら違う。
最後に出た演劇が小学生とはいえ白石のほうが経験者だ。自分が出演はしなくともずっと練習を見たり、劇に関わっていたわけだし。その白石が言う事なら、俺が勝手に色々するよりずっと正しいのだろうと思う。


「俺が言いやすい事ばっかり喋ってたら、野獣に見えないって事だよな」
「…う、うん…いや、でもだからってわたしが美女に見えるかどうかは別の話で」
「見える見える。だいじょぶだって」
「そ…え?」


白石は充分に主役に見える。物語の中の美女は純粋で心の優しい感じで、ちょっとだけ変人だ。変人っていうのは悪口で書かれているけど、白石に当てはめてみると良い意味でピッタリである。


「白石、頑固なとこがコイツにそっくり」


俺は台本をかざしながらそう言ってやった。きっと喜ばれるだろうと思ったのだが不服だったらしく、白石は眉をぐっと寄せた。


「わたし頑固じゃないよ」
「頑固だろ」
「違うもん」
「頑固じゃない奴がただの山形くんダヨ〜なんて言うか?」
「や、やめてってば」


だんだん白石の話す声は大きくなっていく。こいつ、緊張が解けたら普通に喋れるんじゃないのか?自分は頑固じゃないと主張する姿はまったくもって普通の女の子だ。


「怒んなよ、褒め言葉で言ったんだっつうの!」
「…ぜんぜん褒められてる気がしないよ…」
「そうかあ?」


普通、演劇部なら割り当てられた役に合う・ぴったりだと言われれば名誉な事だと思うのだが。白石はそうじゃないらしい。俺の褒め方が悪かったのかも知れない。
でも、本当に美女みたいだなぁと感じたのだ。声がとてつもなく小さい事以外は。


「白石って、なんで演劇部入ったわけ?」


こんなに人前で話すのが苦手な人間が、なぜ注目を浴びるような部活を続けているのか。なぜ視線を集めるような舞台に上がりたいと思っているのか。
それだけは不思議で、今はちょうど誰も居ないし聞いてみる事にした。白石は俺の質問を嫌味なのかただの疑問なのか図りかねているみたいだけど。


「…大きな声出せないのに、って?」
「それもあるけど…」


むしろ、それが一番の理由だ。今までやたら物静かな同級生は何人か出会った事があるけど、そいつらは演劇部なんか入っていなかった。白石は自ら演劇部に入っているし、裏方専門で良いのかと思いきや「出たい」という気持ちはあると言うし。白石は少し目を伏せたけれども口を開いたので、俺は答えが来るのを待った。


「…小学校のとき、色々あって…」
「色々って?あ。いじめ?」
「け、結構ガツガツ言うね」
「あーごめん…」
「いや…」


が、白石が話し終えるまで待っていようとしたのに、デリカシーの無い俺は気になった事をついつい聞いてしまうのだった。言いたくなきゃ言わなくていいけど、と伝えたが白石は話を続けた。


「…いま思えばイジメじゃないんだけど。小学校のときに初めてやった劇で、わたし、主役で」
「おお。すげえ」
「でもさ、小学生って思った事すぐ口に出しちゃうの」


そんな当たり前のことを白石はぽつりぽつりと悲しそうに、しかし懐かしそうに言う。その心境が一瞬分からなかったが、すぐに理解した。出来れば理解しないほうが幸せだったかも知れない。


「へんな声だって言われて、で…そっから大きな声、出せなくなっちゃった」


こんな時に限って白石の声はしっかりと耳に届いた。聞こえなかったふりは出来ない、しかし気の利いた反応も出来ない。誰にでもできるような返事しか出てこなかった。


「……そうなんだ」
「そのくらいでって感じだよね」
「そんなことは…」


そのくらいで、とほんの少しは思う。俺だったらそんな事で自分の声を抑えたりしない。
しかし白石は小学生の時、そのことが原因でひどいショックを受けたのだ。変な声だなんてちっとも思わないので恐らくふざけて言ったのだろう。言った本人はきっと覚えていない。
「それで、そのあと無事に劇を終えることは出来たのだろうか?」気になるけどそんなの一生費やしても聞ける気がしない。


「中学になっても全然、人前じゃ喋れなかった…誰も笑ってないのに」


今だって白石の声を笑うやつは居ないと思う。声が小さい事をいじる人間は居るかもしれないが。俺が白石を推薦した時のクラスの反応がその証拠。思い出したら複雑な気分になってきた。


「…でもそんな自分を変えたくて、1回でいいから、カーテンコールで拍手を浴びたいなって」


夢のまた夢だけどね、と白石は溜息をついた。反対に俺は息を吸った。俺はやっぱり間違っていなかったんじゃないか。


「だから演劇部続けてるわけ?」


今度は声を出さずに白石が頷いた。
という事は俺はあの時、半ば無理矢理にでも主役に推して正解だったのだ。しかし同時に思い出したのは、あまり褒められたもんじゃない過去の言葉。


「………そうか」
「です」
「悪かった」
「えっ、なにが…?」
「いつだったか俺、演劇部向いてねえなって言った」


白石は目を丸くしているので、もしかしたら覚えていないかも知れない。俺は鮮明に覚えていた。声が出ないから裏方やってます、という白石に俺は「向いてねえじゃん」と言ったのを。


「…そうだっけ」
「言った。ごめん」
「そ、そんなの謝らなくても」
「黙って謝られてろよ!」
「うっ、はい」


そういうつもりじゃ無かったんだけど威嚇してしまったらしい。白石が縮み上がったのを見て冷静になり、過去の失言は頭をぼりぼりかく事で誤魔化す事にした。そして冷静になったついでに思い出した。俺はまだ大事な大事な台詞を覚えきれていない。


「…ハア。いやさ、俺もけっこうノリで立候補した感じは否めないけど…真剣にやんなきゃな」
「そ…そう…?」
「白石の晴れ舞台じゃん」


高校三年越しの、いや中学から数えたら六年越し。最後の出演である小一から換算すると十年越しくらいになるだろう。白石が今回の美女と野獣にどれくらいの思いを抱いているかは分からないが、全員の台詞を覚えきると言うことは誰よりも台本を読み込んでいるに違いない。単に記憶力の問題ではないはずだ。


「お…お…大袈裟だよ」
「そうか?」


しかし、当の本人は「晴れ舞台」とまで言われるとまたまた声が小さくなってしまうようだった。指摘するとしばらく気にするだろうから、一旦それについては言わない事にしようかと思う。