10私は今まで彼氏が出来た事は無い。必要性を感じなかったし、付き合うって事は相手の男の子に自分の格好悪い面も見られてしまう事になるし。そもそも「いいな」と感じる男の子なんて現れた事が無かったし。私の中で一番そばに居たいなって思える男の子って、ずっと昔から信ちゃんしか居なかったし。
「す……き?」
まるで初めてその言葉を聞いたかのような反応を見せてしまった。
確かに幼馴染の口からそれを聞くのは初めてだった。信ちゃんが私のことを好き。そりゃあ嫌われているとは思っていないけど、まさか好きだとは。しかもその意味合いはただの幼馴染としてではなく、高校生男子として。
「ああ。好き」
信ちゃんは私を叱る時よりも大きな目だった。その中にずっと自分が映ってて、間抜けな顔で口をあんぐりと開けている。あまりにも突然だったのだから無理もないと思う。
「……いや、私やって信ちゃんの事は…好きなほう…やで」
だから、私の答えがこんなにもしどろもろどろになっているのも許容して欲しい。
信ちゃんの事は単純に好きだ。でも彼の言った「好き」に返すには私の「好き」の力は弱いし、意味も違う気がするのだ。
けれど決して嬉しくないわけじゃなく、応えなくてはと必死で考えているのは分かってほしい。それなのに、信ちゃんは溜め息とともに首を振った。
「…ええねんで。すみれにマトモな答えは求めてへん」
「な、ど、どういう意味やねん」
「俺の一方的な気持ちやから」
私のことを馬鹿にしたりからかっている様子はない。私から「好き」に対しての正しい解答を得られるとは、はじめから思っていないらしい。でもそんなの心外だ。
「待ちーや!」
私を置いてさっさと道を歩き出す信ちゃんを、大声で止めた。今はもう泣いていないけど、それなりに周囲の注目を集めてしまったのは申し訳ない。でも、自分の恥ずかしい姿を晒してでも今、この話は決着を付けなければならないと感じた。
「一方的かどうかは分からんやん!私やって信ちゃんのこと、好きかも知れんやんか」
我ながら日本語として成立していない言葉だったけど、自分の気持ちとしては充分に成立している。信ちゃんが私を好きだと言うのが一方的なのだとしたら、私が今までモヤモヤ悩んでいたものは?その答えを求めていた意味は?
「わたしやって信ちゃん好きやで?ちっちゃい時から一緒やん。したら嫌いになるわけないやん。嫌いな人追っかけて同じ高校なんか入らんやろ」
「それは俺の言うスキと違う意味やろ」
「知らん!そもそも信ちゃん、入学したばっかりん時は私のこと鬱陶しがってたやんか!そっちのが意味分からんで」
これは今日初めてのマトモな言い分であると言える。その証拠に信ちゃんは言葉に詰まり、いつもならビシッと短く的確な事を言うはずが、口をもごもごさせながら言った。
「……やから困ってるねん。あほ」
しかも最後に、彼にしては珍しく八つ当たりの「あほ」を添えて。
「すみれが稲荷崎に入る言いだした時から、ええ加減俺についてくんのは辞めろって思ってた」
けれど続きを話し始めた信ちゃんはまた真面目な顔になり、数年前の事を思い返していた。
二年前、信ちゃんが稲荷崎に入学する事になった瞬間から私の志望高校は決定した。もっと近い高校もあるし、仲のいい友だちが別の高校に誘ってきた事もある。それでも全く揺るがなかった。友だちが居たって、信ちゃんが居なければ嫌なのだ。
だけど信ちゃんは、私も稲荷崎の入試に合格した事を告げた時にはあまり嬉しそうにしてくれなくて。制服姿を見せた時も、全然興味が無さそうで。私ばかり信ちゃんに付きまとい、それこそ一方的な状況であった。
「案の定入学してきた後も思ってた。しつこいしウルサイし騒がしいし喧しいし」
「最後の三つおんなじ意味やん」
「けど、なんでやろな。時々俺の知らん顏になってんの見て、なんか寂しいなぁて思ってん」
そう言った時の信ちゃんは、文字どおり寂しそうな顔だった。
「…信ちゃんの知らん顏?」
「お前が学校の友だち増やしたりとか、髪染めたりとか。一番は佐々木さんの事かな」
信ちゃんはしみじみと言ったけど、それを聞いて私は顔が真っ赤になった。佐々木先輩と信ちゃんが付き合っていると勘違いして、一人で悩んでいたのは記憶に新しい。スーパーのトイレで大泣きした事も。忘れたいけど。
「……あんなん私がハズイだけの事件やったやん。嘘やなんて分からんかったし」
「やから悪かったって」
こればかりは何度謝られても赤っ恥が消える事は無さそうだ。しかし私が不満げに睨むと、信ちゃんは何故か逆に笑ってみせた。
「とにかくすみれが幼馴染やなくて、女の子に見えるようになってきたいう事や」
女の子とは私がここ最近求めてきたものだ。サラッサラの髪で、なんかいい匂いがする佐々木先輩みたいなのが「女の子」と呼ばれる生き物だと思っていた。
信ちゃんにとっては、私なんか後ろをくっついて回るだけの子どもぐらいにしか思われてないのかと思っていた。
高校の制服を着てちょっとは「似合う」とか思われたかったのにノーコメントだったもん。
だから急に女の子扱いされても、かわいくない反応しか見せられない。
「……わ…私、生まれた時から女の子ですけど?」
「せやなあ」
「信ちゃんの事は…信ちゃんとしか思った事ないですけど」
「そうやろな。それはそれでええねん」
「ええ事ない!」
私は、おしとやかな女の子とはかけ離れた声で喚いた。私が信ちゃんを信ちゃんとしてしか見た事が無いのは、今までの話だ。信ちゃんが私を女扱いするまでの話!
「信ちゃんが他の女の子と仲良うしてんの、見てんの辛かった。これって何?」
ずーっと悶々として、わざと素っ気なくしたり信ちゃんと会わないように遠回りして避けたり。信ちゃんと佐々木先輩の邪魔をしたくなかったし、私自身がその二人を見ると悲しい気分になったから。
「佐々木先輩みたいなキレーで優しい人、敵わんなって思って大泣きした!これって何やねん!」
ただの幼馴染に彼女が出来たからって、スーパーのトイレに隠れて泣く女なんか居るわけない。顔をぐっちゃぐちゃにして一人で泣いた、その理由が自分でもよく分からなくって、苦しかった。
「信ちゃんに彼氏作れって言われた時、めっちゃくちゃショックやった!それって何でなん!?」
何でって聞かれても信ちゃんに分かるはずは無い。けど、私一人ではもっと分からない。信ちゃんと居れば理由がきっと明らかになる。
信ちゃんもはじめは黙って私の主張を聞いていたけれど、やがて解決方法を見出してくれた。
「幼馴染、やめよか」
それはとても単純だけど難しい事。幼馴染という繋がりを捨てると言うのだ。私は産まれてから今までずーっと信ちゃんの幼馴染だったのに。
だから「幼馴染をやめる」というのが私にとっては衝撃過ぎた。
「……やめへんわアホ!」
「え」
「幼馴染はなあ!唯一無二やねん!私ぜったい死ぬまで信ちゃんの幼馴染でおるからな!」
信ちゃんの幼馴染をやめるのはハードルが高い。私の自慢の幼馴染。信ちゃんが居なければきっと適当な高校を選んでいたし、髪を染める事も無かった。似合ってる、と言われて躍るような気持ちになる感覚も知る事は無かっただろう。
けど、幼馴染として存在するだけなら今までの私と何も変わらない。
「やから…幼馴染兼、別のなにかって事にしといたるわ」
精一杯の返事だった。信ちゃんが私の事を、女の子として好きだと言った事に対しての。
それなのに、私が頑張って答えたのに、さっきまで大真面目な顔してた信ちゃんには余裕が戻ってきたみたいで。
「別のナニカって?」
と、半分笑いながら聞いてくるではないか!これだから頭のいい人は困る。
「そ…、そんなんオンナノコに言わせんのスマートやないんちゃう?信じられへん」
「言うようになったなぁ」
もはや緊張なんて一切していないみたいで、私に告白してきた時の信ちゃんとは別の人間みたいになっている。これじゃあ私が告白した側みたいじゃんか。今、私は信ちゃんからの告白にオッケーしてやったほうなのに!
と私が拗ねてる事がすぐに分かったのか、信ちゃんは子どもをあやすみたいに頭に手を置いてきた。
「仲良くしよな。幼馴染兼カレシカノジョとして」
くしゃ、とそのまま信ちゃんが頭を撫でた。私は返事をしなかった。だって嬉しくて声が出なかったんだもん。
信ちゃんはそんな私の心境もぜんぶ理解していて、だから返事を催促せずに頭を撫で続けた。
こういう時に全てを見透かしてくれるんだから、古くからの幼馴染と付き合うのもなかなか悪くないと思う。私もいつか信ちゃんにそう思ってもらえるといいんだけどなあ。
めっちゃくちゃ好き!