20181005


どれだけ遠い存在でも、視界のほんの端っこに私が映っていればそれでいい。名前なんか知られてなくても、存在を認識されていなくても。
そう思いながら一年半を過ごしてきたというのに、私は欲が出てしまった。あの人の誕生日に、プレゼントをあげたいなって思ってしまったのだ。

この学校で一番の人気者とうたわれる双子のうちの一人、宮侑。彼のまわりにはいつも女の子が居て、皆私より可愛くて明るくて、住む世界が違ってて、でもいいなって思っていた。一度だけでいいから隣に立って、同じ話題について笑ってみたいなあとか。


「侑くん、誕生日おめでとー」
「ありがとー。そっちは?」
「これは治くんのやで」
「俺だけやないんかい」


と、朝からキャッキャと話し声が聞こえる。
侑くんは隣のクラスの人なのにうちのクラスに来ていた。きっとクラスの女の子が「プレゼント持って来てるから渡すわ」とでも声をかけたのだと思う。私も持ってるよ、侑くんにしか用意してないよ、と心の中では思っていても近づいていく勇気が無い。
なんたって私と侑くんは、これまで一度きりしか会話をしたことが無いのだ。


「うるっさいねんくそが!お前なんかもう知らん!」
「俺やって知らんわ!一生帰ってくんな」
「お前が帰ってくんな!」


と、突然このような怒声が聞こえてきたのは入学してからすぐの事。
稲荷崎の広い図書室に感動していた私は遅くまで入り浸ってしまい、気付けば夕方になっていたのだ。そろそろ帰らなくてはと図書室からの階段を降りた時、ちょうど誰かの喧嘩に遭遇したのである。


「このアホ」
「お前やろ!」
「お前やし!」
「どっか行けアホンダラ!」


どちらか片方はその捨て台詞を吐いた後、ずかずかと大股で去って行った。
尋常では無い空気だ、気付かれないように離れてしまおう。そう思ってゆっくりと階段を降りていたのだが、突然残ったもう一人が思い切り片手を振り上げた。


「あんのクソ野郎っ」


そして、持っていた鞄をこれでもかっていうくらい強く、廊下に叩き付けたのだ。
べしゃ!がちゃ!と色んなものが壊れたりひしゃげたりする音がしたのは一瞬で、それから鞄にくっついていたと思われるキーホルダーみたいなものが私の顔面に飛んでくるのも一瞬だった。


「いった!」
「!」


思わず目を閉じたものの、それは私の額にクリーンヒットした。かしゃんと音をたてて地面に落ちるキーホルダー。恐る恐る目を開くと視界は良好なので、目は守られたようだ。私はほっとしたけれども、目の前には青い顔をした先程の男の子が。


「……え…うそ…やば、大丈夫?」
「うう…う、うん」


喧嘩の勢いは完全に死んでしまったらしく、彼は口をぱくぱくしていた。両手をばたばたと動かし、落ち着かない様子で慌てている。
非常に不安そうな様子だけど私も不安が募って来た。だんだんとこの人が私に近づいてくるのだ。怖い。


「あかん最悪や」
「だ、だいじょぶやから…」
「あかん!」


ぴしゃりと言われてしまい、私はびくっと凍り付く。
キーホルダーが顔に当たったぐらいでそこまで言わなくても、というか私が彼を怒るならまだしも何故私のほうが怒られているのか。それを疑問に思った時、鼻の頭になにかが垂れてくるのを感じた。


「血ィ出とんで」
「え、あ…」
「保健室いこ」
「!!いや、ほんまに大丈夫やから」
「嘘つけ」


そう言ってその人はめちゃくちゃ怖い顏で私を睨んだ。
嘘じゃありませんけど。ちょっと血が出たくらい、ハンカチで拭いたら止まると思いますけど!この時の私は「女子の顔を傷つけた」という男子の慌てぶりに理解が無かったので、人相の悪い彼から逃れようと必死であった。


「だ、ダイジョブですんで!」
「は?ちょっと」


現場から逃げるために足を踏み出した時、なにかを踏んだ。あ、この人のキーホルダー踏んじゃった。ぶん殴られる。新たにその恐怖も加わってしまったので、私は全速力でそこから逃げた。
後方からは「ごめんやで!」という声が聞こえたような気がするけれど、立ち止まらなかったので定かでは無い。ああ、怖かった。あんな喧嘩初めて見た。

…という何とも微妙なエピソードが私と侑くんとの間に存在する。
あのことを彼が覚えているかどうかは分からない。傷はすぐに治ったし、目に当たったわけでもないので後遺症なんかも無い。とにかくあの日は、あの恐ろしく凄まじい喧嘩をするような人間からは離れたほうがいいという本能が働いていた。それがバレー部の注目株だなんて知らなかったのだ。彼が素晴らしい活躍をする選手だとは、知らなかった。

だからあの時もっとちゃんと会話していれば、名前を名乗り合っていたなら、私と侑くんはもう少し仲良くなれていたかもしれないのに。


「……渡せんかったな」


用意したプレゼントは放課後までずっと、紙袋の中に入っていた。渡す勇気が出るかなあと心配しながら家を出たけど、まさかそのまま持ち帰る事になるとは情けない。
けれどそれも仕方のない事だった。侑くんとはあれから一度も会話してないし、一年の時も二年に上がってからもクラスが違うのだから。
諦めて帰ろうと靴に履き替え、まっすぐに校門に向かって歩いて行く…と。


「…うそ」


前方から侑くんが、ジャージ姿で走って来るのだ。私に向かってきているわけじゃなく、恐らく練習の一環で走っているのだろうと思う。侑くんの後ろにも何人かの男子が走っているのが見えたから。
けれど手元に侑くんへの渡し損ねたプレゼントがある私は、気まずくなってUターンした。
よし、裏門から出て帰ろう。そう決意して早足で歩き始めた時。


「すんませーん。何か落としましたよ」
「えっ…!」


なんと侑くんの声が聞こえたのだ。誰に向けた言葉かが分からないので、立ち止まるかどうか一瞬悩んだ。私は何も落としていないはずだし。侑くんへのプレゼントもまだこの手に持っているし。
…と袋を見下ろすと、あるものが無かった。袋に貼っていた「侑くんへ」というメモが剥がれてる!振り返るとちょうど侑くんがそれを拾い上げたところであった。


「……すすすすみません回収します!」
「…侑くんへ って書いてあるけど」
「何かの間違いやから!」
「治の間違いとか?」
「ちゃう!」
「俺で合ってるやんな」


最悪だ…いや、本当は渡したかったものだからラッキーと捉えるべきなのだろうか。でもこんな形でプレゼントを持参した事を知られるなんて不本意だ。


「…けど今日はもう、いっぱい色んな人からもらってるやろし…」


それに、このとおり侑くんは今日、きっと沢山の人からプレゼントを貰っているはず。そこに私からの物まで加われば多すぎて逆に迷惑になるかも知れない。と、何故か私は「渡さないための理由」を探し始めていた。


「せやなあ。正直持ち切れんくらい」


侑くんからも予想どおりの答えが返ってきた。覚悟していた筈なのにショックだ。やっぱり、そんなに沢山貰っているのか。そんなに沢山貰うほど人気なのか。そんなに沢山のライバルが存在するのか。クラスも違う私なんか、侑くんファンの可愛い女の子達と肩を並べる事は出来ないだろう。


「自分、白石さんやんな?」
「えっ!?」
「だいぶ前、俺がぶっ壊したキーホルダーで顔面から血ィ出てた」
「え、」


私は、キーホルダーが額に強打したのと同じくらいビックリした。あんなの私が勝手に「侑くんとの思い出」として覚えているだけだと思ってたのに。


「…覚えてたん?」
「覚えるやろ普通。保健室いこ言うてんのにさっさと逃げるしやな」
「で、でも何で名前」
「あん時名札してたやろ」


侑くんからの返答は全てが的確だった。あの時は入学したばかりだから校則にしたがって、きちんと名札を付けていたのだ。今はちょっとだけ制服でのオシャレをしたくて名札を外している。けれど侑くんがあの短い時間だけで私の名前を確認、その上覚えていたなんて驚きだ。


「…いっこ気になっとってんけど、」


言いながら侑くんが近寄ってきた。それから彼の手が顔に向かって伸びてきたので、思わず仰け反りそうになる。も、もしかして殴られるんですか?何の動機も見当たりませんけど!


「傷跡とか残ってへんやんな?」


身構えたものの、当たり前だが殴られる事は無かった。
しかし私はまだ硬直していた。何故って侑くんがその手で額に触れて、前髪をはらいながら、私の顔を覗き込んで来るではないか。あの時の傷跡が残っていないかと心配してくれているではないか?


「………っ残ってません!」
「いったぁ!」


嬉しさと驚きと恥ずかしさで私は通常の反応が出来なかった。このまま触られていたら侑くんの指を火傷させてしまうと瞬時に判断し、侑くんの手をバシンと振り払ってしまったのだ。


「何してくれとんねん心配してんのに」
「うわ、ご、ごめんごめんなさい」
「俺に何か恨みでもあんのか?コレ毒入り?」


そう言って私の持つプレゼントの袋を指さした。毒入りなんて滅相もない。が、侑くんがめちゃくちゃ怖い顔で私を見下ろしている。どうしよう。初めて会った時と同じくらいに怖い。


「ち、ちが…これは…ちゃんと」


私にとってあの時の侑くんは、ある意味トラウマだった。怪我をしたからって言うのもあるけど、あんな恐ろしく激しい喧嘩を見たのは人生初の事だったから。今度は彼の怒りが自分に向けられるのではと思うと、縮み上がってしまった。


「……ハァ。わかったって。怖がらんとってくれる?」
「え…」
「ま、第一印象がアレやったからしゃーないけど…」


侑くんは大層やりづらそうに頭をかいた。私、怒られなくて済むらしい。まだ怖くて心臓がドキドキしているけど。


「もろてってええやんな?」


それから私の持つ袋を指して、そのように言った。
もちろん貰ってくれるなら有難い。でもさっき自分で「もう待ちきれないほど貰った」と言っていた。私のプレゼントまで受け取るのは迷惑じゃないだろうか。そもそもコレは当たり障りないものを選んだので、そのへんのデパートで買ったお菓子だし。


「…でも…荷物になるんと違う」
「俺が欲しい言うてるねんからええやろ」
「でも」
「でもちゃう」


目の前に手のひらを出されて催促された。それでも渡すのを躊躇っていると、その手を再度ブンブン振ってアピールしている。どういう理由があってか分からないが、本当に受け取ってくれるらしい。願ってもない事だけど、まさかこんなふうに渡す事になるとは。


「…おめでとう」


でも、言えた。諦めていた祝いの言葉を、直接伝える事ができた。二人きりの状態で。
侑くんは中身を見ようとはしなかったけど、ありがと、と言ってプレゼントの袋を顔の位置まで掲げた。


「あ!」
「え」


それからすぐに振り向いて部員の後ろをついて走ろうとしていた侑くんだが、一歩踏み出したところでピタリと止まった。まだ何かあるのかとまたもや強ばる私。侑くんは私の額を指さしながら最後に言った。


「あん時のお詫び、そのうちするわ」


そして、今度こそ踵を返して行ってしまった。

あの時のって、たぶん侑くんのキーホルダーが私の額に当たった時のこと。
そんなのお詫びなんか要らないのに。今更だからって意味じゃない。むしろあの時のおかげで侑くんに名前を覚えられ、こうしてプレゼントを渡す事が出来たんだから。あの時流した血よりも大きなお返しを貰っていると思う。…むしろこれ以上何かをされたら、私はもっと血を流さなければバチが当たりそうだ。

Happy Birthday 1005