20181005


前の席に座る宮治くんは、クラスで二番目に背が高い。二番目といっても、もしも同じ教室内にバレー部の角名くんが居なければきっとダントツの一番だっただろう。
私はそんな彼の後ろの席を陣取る事に成功し(くじ引きだけど)、その大きな背中を毎日眺める事ができている。


「治くん」
「ん」
「プリント、前」


と、彼の背中をちょんちょん突いて先生からプリントが回されてきた事を知らせてあげる。ちなみに私と治くんはちっとも仲が良いわけじゃないけれど、周りのみんなが彼を「治」と呼ぶので便乗しているだけだ。
初めて呼ぶ時はびくびくしたけど、特に何も言われなかったので「治」呼びを許可されたと思う事にしている。

それから治くんは無事にプリントを受け取って、さらに後ろに居る私へと回してくれる。この時、時々ラッキーが起きるのだ。プリントが一枚足りなくて、一番後ろに居る私まで回ってこない事が。


「せんせー、一枚足りません」


そういう時は決まって治くんが先に手を挙げて、先生に足りない事を伝えてくれる。こんなの後ろに居るのが私じゃ無くてもしてくれるんだろうけど、私の為に動いてくれているという優越感を感じてしまうのだった。
こんな些細な事で、って思われるかも知れないけど、私と治くんとのあいだには些細な事しか起こらない。なんたって治くんは学校で一番の有名人で人気者なのだから。たった一人の女子生徒と、しかも特に目立ちもしないような私と、「些細な事」以上の事なんて起きるはずもないのだ。

そしてやって来たのは十月五日、年に数回訪れる大イベントの日。
ちなみに他のイベントはクリスマスとバレンタインなのだが、今日は稲荷崎高校にのみ訪れるイベントだ。宮兄弟の誕生日である。


「治くん!おめでとー」
「んー」
「これ私と、うちのお母さんから」
「なんでオカンがくれるねん」
「お母さん治くんのファンやねんもーん」
「なんじゃそら」


…といった会話が目の前では繰り広げられていた。他にもたくさん、とにかく朝や授業の合間の休憩時間、昼休憩などなど、入れ代わり立ち代わり色んな人がやって来ては治くんにプレゼントを渡したり、祝いの言葉を投げかけていた。

私も実はこっそりと、プレゼントを持ってきている。大したものじゃないけど、席が近いよしみで…と思って渡すタイミングを見計らっているのだが全然チャンスがやって来ない。できれば誰にも見られていない時を狙いたいけど、常に周りに誰かが居るから。
結局、渡す事のできないまま放課後を迎えてしまった。


「ありがとうございましたー」


ホームルームを終えると同時にざわざわし出す教室内。治くんもすぐに立ち上がって、横にかけている大きな鞄を手に取った。
ああ、もう部活に行ってしまうんだ。残念な気持ちで治くんを眺めていると視線に気づかれたみたいで、目が合ってしまった。


「今日、騒がしくてごめんな」


そして、私の横を通る時、謝ってくれたのだ。
彼の真後ろに座る私が、朝から放課後までひっきりなしにやって来る治くんへの客人にウンザリしていたのは事実だ。でも、私だって勇気さえあればそのうちの一人になっていた。たまたま声をかけるタイミングも勇気も無かっただけで。


「だ、大丈夫……」


咄嗟にそう答えたけれど、治くんはすでに教室の出口まで歩いてしまっていた。そのまま振り返ること無く教室を出て、部活に行ってしまったようである。

一人、また一人と、教室からは人が居なくなっていった。治くんを尋ねてきた他学年の人たちも「あれ、もう行ってしもたん?」と残念そうにして、治くんを追い掛けるため体育館に向かっている。
私も彼を追って行き、直接渡す事が出来たなら。でも、大勢いる素敵な女の子達に混じったところで、私の事なんて意識されるわけがない。そもそも渡す時にどう言えばいいかなんて分からない。「誕生日おめでとう」なんて、今日は聞き飽きるほどに言われているだろうから。


「………」


だから私は決心した。勇気を出す決心じゃなくて、諦める決心を。

教室内に人が居なくなるまで自習しているふりをして、数十分ほど耐え凌いだ。
とうとう誰も居なくなり、隣のクラスからも人の気配が消えた時、意を決して立ち上がる。サブバッグに入れていた治くんへのプレゼントを取り出して一歩前に進み、宮治が普段使用する机の横へ。

ドクンと心臓が波うって、今から私がする事は罪でも何でも無いのに緊張感が高まった。
椅子が引かれたままの治くんの席。机の中は空っぽで、一枚だけぐしゃっとなったプリントが入っていた。置き勉は後ろのロッカーにまとめて突っ込んでいるらしい。好都合だ。
私はそこに偲ばせる事にしたのである、私からのプレゼントを。名前も書かずに、こっそりと。





翌日のこと、ドキドキしながら迎えた朝。まだ治くんは教室に入ってこない。前の席にはしっかりと、机の中にプレゼントが昨日のまま入ってるのが見える。
私、本当にやってしまったんだ。気持ち悪いって思われるだろうか。例え気持ち悪がられても、犯人は私だと気付かれる事は無いはずだけども。

だんだんと朝のホームルームが近付いてきてチャイムが鳴り始めた時、やっと治くんと角名くんが駆け足で教室に入ってきた。朝練がギリギリだったみたい。
慌てて席につく治くん、ドサッと音を立てて大きな鞄を机に置いた。それから筆記用具と、持ち帰っていたらしい宿題とノートを取り出して机の中に入れようとする……が。


「……ん…?」


私には聞こえた。治くんが小さな声で言うのが。何度か机に入れようとするけど、何かが突っかえて入らないのだ。私が昨日入れたものが、突っかえているのだ。
そこから先は広い背中に隠れて見えなかったけど、机の中に手を入れて何があるのかを探っていた。そして発見したそれを見下ろし、ジッと考え込んでいる様子だけは伝わった。
ついに見つかった。私からのプレゼントが!でもすぐにホームルームが始まってしまい、彼は咄嗟にプレゼントを机の奥に突っ込み直していた。

授業が始まってからも、私は治くんの様子を気にしていた。
けれど彼はプレゼントの様子を探ること無く、もしかして机の中にプレゼントが入ってた事なんか忘れてるんじゃ?と思うほど、全く気にせず授業を受けているではないか。昨日振り絞った勇気は何だったんだ。まあ、「勝手に机に入れる」と言うあまり褒められたもんじゃない勇気だけど。


「せんせー、一枚足りません」


その時、治くんが片手を挙げた。また配られてきたプリントが一枚足りず、私まで回ってこなかったらしい。
先生が「ごめんごめん」と言いながら一枚だけを取り、また前の席から後ろの席へと手渡しで送られてくる。治くんがそれを受け取って、そのまま私に回ってくるかと思いきや。


「ハイ」


治くんはたった今前から受け取ったほうじゃなくて、先に自分に回ってきたほうのプリントを私に寄越した。
それ自体は特に不思議というわけじゃなく、人によってはこういう事もあるだろう、という程度。どっちを私に渡そうが内容に違いは無いのだから。


「ありがと…」


だから、ちょっと変だなと思ったもののそのままプリントを受け取った。
このプリントは本日の授業で使うものなので、名前を書いて内容を見てみようかと目を落とす。と、名前の欄に既に何かが書かれているようだ。


『プレゼントありがと』


私は目を丸くした。私の名前を書くべき場所に、別の文字が書かれていたから。しかもその文字が私へのメッセージのようなもので、これを書いたのが恐らく宮治であるという事が、一番の驚きだ。


「……!?」


思わずガタッと机が揺れた。幸い先生がプリントを使って現代文の授業を始めたところだったので、その音はあまり目立たずに済んだ。けど、きっと治くんの耳には届いたはず。

それからは残念ながら授業に集中できなくて、治くんが書いたと思われる字を消さずに、その横に名前を書く始末であった。これを先生に提出しなくて良かったのが救いだ。
ただ、まだ私の中には悶々とたくさんの疑問が残っている。これって本人に聞いてもいい?でも、もし治くんからのメッセージじゃなかったら?


「あの…お、治くん」
「何?」
「これ…」


現代文が終わってから、クラスが騒がしくなり始めたのを見計らって話しかけてみた。プリントをひらりと見せながら、その部分を指さして。
治くんは私の指の先をじっと見て、それから視線だけを私に向けて言った。


「ちゃうかった?」


ビンゴだ。治くんが書いたんだ。私に向けて。という事は机の中に入っていたアレが、私からのものだと分かっていたのだ。


「…違わへん」
「やろ。ありがとう」
「え…うん…やのうて、なんで分かったん」


このメモ書きが治くんから私宛のものだという事は分かった。でも、それだけでは謎は解決しない。むしろ謎が増えた。何故この人は、プレゼントの贈り主が私だと知っているのか。
しかし、返ってきた答えはとても簡単な事であった。


「昨日、白石さんの鞄から見えとってんもん」
「え!」
「なかなか声かけられんから侑のんやと思てたけどな」


なんてこった、渡そうか渡すまいか悩みつつもすぐに取り出せるよう、サブバッグのジッパーを開けておいたのだ。そこからプレゼントが見えていたらしい。
途端に恥ずかしさがこみ上げてきて、私は両手で顔を覆った。


「……ゴメン…」
「なんで?」
「こっそり入れるとか…キショかったやんな?」
「え、別にキショないで」
「ほんまに?」


指の隙間から目だけを覗かせて、恐る恐る治くんを見る。私を気持ちがっている様子はない。真顔だ。これはこれでかなり恥ずかしい。


「かわええ事すんなぁて思た」


治くんは真顔のままで言ったので、何を言われたのか一瞬理解が出来なかった。
当然私は顔を覆ったまま、目だけを覗かせたまま硬直する。治くんは私が何も反応しないからか、あるいは反応を見せる前に敢えて切り上げようとしたのか、後ろ向きにしていた身体を戻しながら言った。


「あ、つぎ移動やな」
「え、ちょ」


ちょっと待ってや、と声を掛けることなんか出来なかった。治くんが私のこと、私のした行動のこと、かわええって言った?
顔の熱がぐんぐん上がっていくのを感じる。さらには教室を出ようとする治くんに角名くんが「いい事でもあったの?」と言うのが聞こえて、耳も塞いでおくべきだったと後悔した。顔が熱すぎて、ギリギリまで教室の移動は出来そうにない。

Happy Birthday 1005