03
揺らぎなど踏み砕けばいい


今まで生きて来た十八年間、人に感謝される事はあれど責められる事をした記憶は無い。しかもクラスであまり話したことのない大人しい女子を相手に。
しかし今、俺は白石すみれから呼び出され強い視線に耐えているところだった。


「なんで…」


言いたい事は分かるし、なんなら俺の事を蹴り飛ばしたい気持ちだってあるだろう。しかし白石は絵に描いたような気弱な性格で、とても暴力を振るうようには思えない。そもそも白石に蹴られたところで大きなダメージを喰らうとは思えなかったが。


「なんでわたしの事、推薦…」


白石は途中で言うのを止めた。今から何を言うのかを先読みしてしまった俺に睨まれたからだと思う。勿論睨んだつもりは無くて、白石には「睨まれた」と思われただろうなぁと感じただけだ。


「舞台、出たいっつったろ?」
「……」
「言ったよな?」


これも尋問だと捉えられるかも知れないが、俺は聞くのを止めなかった。白石がバテていた夏の日も同じような質問をしたような気がする。出たいのかどうかと。俺の勢いに多少圧されていたものの、あの時確かに白石は頷いていた。


「…言った…けど」
「じゃあ頑張ろうぜ」


俺はどうして白石がこんなにも後ろ向きなのかが分からない。例えばもし白石が標準とは言い難い体型や顔立ちをしているなら、俺だってまさか美女と野獣の「美女」なんかには推薦しない。だから自信を持てばいいのに。声が小さい事なんて発声練習で何とかなるんじゃないのか。出演経験があるなしに関わらず、今まで演劇部を続けていたんだから。初心者の俺よりずっと慣れているはずだ。


「…けど…でも、クラスのみんなが賛成してくれるかどうか」
「誰もやろうとしねえじゃん。白石が堂々と主役やってやりゃいんだよ」
「でも…」


白石は下を向いてごにょごにょ言っていた。
ここまで言ってもそんな態度を取られるって事は、俺の行為はただの余計なお世話だったという事になる。それは残念だけど無理やり主役をやらせようとは思ってないし、白石自身にやる気が起こらないならきっと劇は成功しない。


「マジで嫌なら言いにいくか?」


断りたくても断りにくいだろうと思い聞いてみたが、まだ白石は頷かない。それどころか、もっとごにょごにょ言い始めた。一体どうしたいんだコイツ?
すると俺の顔が自然と怖くなっていたらしく、白石は怯えたようにぼそぼそと言った。


「……ごめん」
「だあー!ゴメンじゃねえし!礼を言え!推薦してやった事に!んで自ら俺が道連れになった事に!」
「ご、ごめん」
「違うっつってんだろ」
「でも道連れ…」


どうやら言葉選びを間違えたようだ。あんまり女子と二人で話す事が無いのでよく分からない。女子ってこういうもんなのか、こいつが特別なのか?どちらにしても相手をするのは気力と体力が必要になりそうだ。


「じゃあ道連れってのはナシで!一緒に頑張りましょう!な!」


猫背気味の背中を叩いてみると、白石の身体が反動で揺れた。それからやっと頷いて、やっと聞こえるくらいの声で一言。


「…がんばりましょう。」
「頑張りましょう!」
「が、頑張りましょう」


普通、発声練習の先導をしてくれるのはお前の方じゃないのか。と言いそうになったけど、モチベーションを下げられたらたまらないのでそれは言わない事にした。



「…マジでこんなに台詞あんの」


しかし、精神論だけではやって行けそうもない。クラスの実行委員から渡された台本には沢山の文字が書かれており、その大半が俺と白石のもの。正直暗記は得意じゃないので、ちょっと気が遠くなった。


「覚えられるのか?」
「びみょ…」
「隼人クンたち劇すんの!?何の役?」


面白そうな話には必ず食いつく天童覚がやって来て、台本と俺との間に無理やり顔を突っ込んだので、思わず仰け反りながら「野獣」と答えた。


「野獣!?悪役?」
「美女と野獣の野獣だよ」


天童は暫く考えていた。思い出しているのかもしれない。美女と野獣というのがどういう話で、その中の野獣と言う役がどんな位置付けであるのかを。そしてピンと来たのか目玉をひん剥きながら叫んだ。


「…主役じゃん!!」
「天童うるせー」
「で、で?野獣から人間に戻った時は誰がやるの?」
「人間に戻った姿も俺がやんだよ悪いか」
「うへえー」


天童は「悪い」とも「悪くない」とも答えなかった、全く卑怯なやつだと思う。またすぐに別の事が気になり始めたみたいで、台本を覗き込みながら言った。


「肝心の美女は誰?」


俺は即答できなかった。「名前を言っても知らないだろう」と思ったからではなく、天童にクラスの連中と同じ反応を返されるのが嫌だったから。
しかし答えずに居ると変な怪しまれ方をするかも知れず、それも避けたい。仕方なく美女役の名前を伝える事にした。


「…白石すみれ。」
「誰それ?」


幸い天童は白石の事を知らなかった。ホッとする反面、誰だと聞かれてどのように説明すればいいのか困ってしまう。白石にはあまり特徴が無い。


「なんかこう…地味めの」
「地味〜?」
「静かな感じの」
「あ!存在感が薄い?」
「薄いな」


最後に答えたのは牛島若利だった。正直過ぎだよ。確かに白石の存在感はかなり薄いほうだけれども。



周りからは色々言われつつも学園祭は待ってくれないので、早速練習がスタートした。
まずは台詞を覚えないと話にならないと言うことで、何度も何度も台本を読み込んでいく。が、全てが頭に入るには時間がかかりそうだ。

そんな中、白石は無言で台本を読み返していた。そして、時々ひとつのシーンだけ読み合わせをしてみると、毎度台本を裏にして机に置いている。という事は白石は既に覚えているのだ。美女の台詞を。


「…台詞覚えるコツってあんの?」
「え」


まだ半分も覚え切れていない俺は少々焦っていたので、覚えの早い白石に聞いてみた。すると白石は首を傾げ、台本をペラペラとめくりながら言った。


「どうだろ…何回も頭の中で復唱したりとか…そのシーンを思い浮かべたりとか…」
「へー。って事は白石は一応、劇に出たことはあるんだ」


過去に台詞を覚えた経験がある、という事は覚えた台詞を披露する機会があったという事。だから聞いてみたのだが、白石は苦笑いであった。


「……小学校のときだけど」
「小学校?」
「一年生のとき」
「すげえ昔じゃん」


十年前に劇に出たのが最後だというのに未だに演劇部を続けているなんて、引いて良いのか絶賛すべきなのか分からない。でも白石がどういうつもりなのかが不明なので、ちょっと引いた事は隠しておいた。


「…それからは全然でてないけど、台詞はぜんぶ覚えちゃうの」
「全部?」
「うん。ぜんぶ」


その「全部」の定義が分からない。ひとつの役どころについてなのか、ひとつの演目についてなのか。


「…全員の台詞ってこと?」


そのように聞くと、白石はコクリと頷いた。
俺はまた引いた。自分が出演しない劇の台詞を全員分覚えるなんてどんな神業だ。と言うか、覚えてどうするんだ。


「ヤベーなそれ」
「そうかな」
「すげえじゃん。そんなに台詞覚えが良いなら、あとは声出すだけだろ?」


白石の持つ課題は声が小さい事、それだけだ。それさえ克服すれば立派にやれるはずだ。台詞が既に頭に入ってるんだから。それって凄い事じゃないか?
しかし白石は自身の声量の話になった途端、表情が一変してしまった。


「……そ、そうだね」
「途端に声ちっちぇえなあ」
「ごめん…」
「まあ俺も、覚えられるか分かんねえけど…」


俺の場合は声が出ても台詞が出なきゃ話にならないので、あまり偉そうな事は言えない。
再び台本に目を落とすと小さな字が沢山書かれていて、そのうち自分の台詞に入れたマーカーが緑色に主張していた。うーん、多いな。


「…山形くん」
「ん?」
「大丈夫?」


顔を上げると白石は言葉のとおり心配そうに俺を見ていた。
俺はお前の声のほうが心配なんですけどと思いつつ、何の事を言っているのか予測する。表情から察するに二つの心配が見受けられた。ひとつは俺に台詞を覚えることが出来るのかどうか。もうひとつは、自分のせいで野獣という大役をやらせてしまう事についての罪悪感から来るもの。
いやいや今更なんだけど、というか推薦したのも立候補したのも俺だから。


「大丈夫」
「えっ…ほ、ほんと?」
「大丈夫っつーか。やると言ったからにはやるしかねーだろ!」


その「やると言ったからにはやる」が難しい事なのだとは分かっている。でも、何度も言うけどどうせ誰もやりたがらないだろうし、白石には一欠片でも「やりたい」という気持ちがあるんだろうし、俺も未経験の事にチャレンジするのは嫌いじゃない。高校生活最後の学園祭だし、クラスが一つになるのってなかなか気持ちいいと思う。
だから頑張ってみよう、と声を掛けると白石はウンと頷いた。声はめちゃくちゃ小さかったけど。