02
ちょっとそこまで心中


あっという間に二学期。夏休みから二学期にかけて特筆すべき事は無い。インターハイ優勝などという華々しい結果があれば自慢したいところであったが、生憎いい結果を残す事が出来なかった。

新しい学期が始まると、生徒たちは浮足立つのが常である。これから卒業までの運命を決める席替えが行われるのだ。本来なら三学期になるともう一度席替えがあるのだが、あいにく今年の三学期は殆どが自主登校になるから。


「うわ、ラッキー」


俺は教卓の真ん前じゃ無ければどこでもイイやと思っていたら、なんと一番後ろの席になった。隣に座るのも別に誰だっていいし、欲を持っていないおかげで良い席になれたのかも。しかし同じクラスの牛島若利が一番前になっていたのでちょっと笑えた。
そのとき机を引っ提げて、ひとりの女子生徒が現れた。これから約半年のあいだ、隣で過ごす事になる子だ。


「お。席ココ?」
「あ…うん。よろしく」


白石すみれが相変わらずの小さな声で挨拶をしてきた。
夏休みにバテている現場に遭遇してから白石の事を思い出してみたが、どうも記憶は薄かった。白石はとても控えめで、まさか演劇部に所属しているなんて思わなかったし。自発的に発表するような性格でも無い、いわゆる俺とは正反対の女の子であった。


「演劇部どうよ」


それでもせっかく隣の席になれた事だし、演劇部であるという情報も手に入ったし話題を振ってみた。が、白石は浮かない顔で首を振ったのだった。


「学園祭で若草物語をやる事になったんだけど」
「うん?」
「わたしは、裏方…です」


若草物語というのが何なのかよく分からないが、とにかくその演目に白石が出演する事は無いようだ。
今まで一度だって壇上に上がる姿を見た事も無い。だから今回も白石にとってどれくらいのダメージなのか不明だが、三年間演劇部に居て毎度裏方と言うのは屈辱なのではないか?


「それ、まあ…白石が良いなら良いと思うけど」
「はは…」
「はは、じゃなくて」


白石はそれを受け入れているようではあったけど、諦めているようにも見えた。


「いいのか?最後だろ」
「仕方ないよ。みんなの作品をわたしのせいで台無しにできないから…」


自分が出る事で作品が「台無し」になると認識しているなんて、どういう事だ。よっぽど過去に大きな失敗でもしたのだろうか。
気になったけど話を聞くだけで俺までいたたまれない気分になってきて、それ以上を聞く事は出来なかった。


「…っていうやつがクラスに居るんだけど、若利覚えてるか?」


放課後になるとバレー部は真っ直ぐ部室に向かう。同じクラスの牛島若利と俺はいつもその道のりを一緒に歩いていたが、白石の話を出すのは初めての事だ。
バレーボール以外には興味が無さそうな男なので、白石という影の薄い女子の事を知っているかどうかすら怪しい。けれど幸い記憶の片隅には残っているらしかった。


「……名前と顔は一応。」
「まあその程度だわな」
「その白石がどうかしたのか?」


意外にも若利のほうから質問が返ってきたので、少なからず聞く気はあるらしい。
俺は今日の事をありのままに話した。白石がこの件について悩んでいるとかいないとか、この時の俺は白石の事情を全く知らなかったのだ。


「演劇部なんだってよ」
「演劇部…」
「けどアイツ声出ねえじゃん?つか小せえじゃん?だから舞台に立たせてもらいないらしい」


俺としてはいつかも伝えたとおり、出ない声は出すしかないと思うんだけど。聞いてる感じだと喉の調子が悪いわけでも無い。若利も白石の状況にあまり共感できないようであった。


「…演劇部で声が出ないのは致命的だと思うんだが」
「それ本人に言えるか?」
「山形が言えないなら言う」
「いやいや言わなくていい」


そこまでお節介を焼こうとは思わないし、さすがにそれは失礼だ。俺の知らない何かがあるかもしれないし。
でも、このまま白石は高校の三年間を演劇部の裏方として過ごすのみで良いのだろうか。それで割り切っているのなら、あんな暑い夏の日に、倒れそうになるまで外を走る必要なんか無いはずだ。


「けどなんか…」


本人は諦めてない気がするんだよな、と言おうとした時、前方に部員の姿を発見した。この話、他の誰かに聞かれてしまうのは良くない気がする。


「なんか…何だ」
「やっぱ何でもねーや」


俺がそう言うと若利はそれ以上を突っ込んでくる事は無かった。空気を読んでくれているのか、本当に興味が無いのかは分からないが。



それからは白石の事を多少気にしつつも、演劇部の話をしないまま数日間が経過した。二学期になり、クラス内が受験だのなんだので慌ただしかったせいもある。
そんな時、毎週木曜日に行われるロングホームルームではあるひとつの議題が挙がっていた。


「高校最後の学園祭はー…演劇でっす!」


黒板の前に立つのは学級委員と、学園祭の実行委員になったらしい女子。もちろん白石では無い。白石は俺の隣で一言も発さずに座っている。が、出し物として演劇をするという発表を聞いた時、白石は少しだけ顔を上げたような気がした。


「演劇って何やるの」
「なんで演劇?」
「せっかく牛島くんが居るので目立ってもらおうかと」


教室の前のほうではそんな会話が繰り広げられていた。確かに若利を客寄せに使うのはアリかも知れないが、あいつ演技なんて出来るのか。案の定本人からも不服そうな声があがっていた。


「…俺はそういうのは無理だ」
「まあ主役は無理でも出てくれるだけで宣伝になるから…で、演目はあ」


実行委員の女子はくるりと後ろを向き、白いチョークを手に取った。
黒板の真ん中にでかでかと書かれていく文字にクラスの全員が注目する。俺も単純に気になったので、文字が書き終えられるのを見届けた。そこには恐らく誰もが知るタイトルが書かれていた。


「…美女と野獣?」
「定番かあ」
「定番をいかに良い出来にするかが大切じゃんか」


実にもっともらしい主張である。俺は一番後ろの席で、それらを半ば他人事のように聞いていた。若利が脇役で出る可能性はあるにしても、自分にその可能性があるとは思えなかったので。こう言っちゃなんだけど、バレー部のレギュラーはこういった行事から少し遠ざかっているのだ。


「誰が主役やんの?」
「うちのクラス、演劇部とか居たっけ」
「さあ…」


しかし、誰かがそれを聞いた時、俺は他人事では無いような気がした。
ざわざわする教室内。誰一人としてこの教室に演劇部が存在する事を知らない。俺は知っている。そしてもう一人。


「白石が演劇部だと聞いたが。」


一番前に座る牛島若利はきっと、何も考えずに言ったのだろうと思う。俺は言わない方がいいんじゃないかと思っていたが。その理由はきっとクラスの反応が良くないだろうと考えたから。そして、残念な事に俺の予想は当たっていた。


「白石さんかあ…」


誰かが口にした。おいおいそれは思ってても声に出すなよ、と感じた。案の定俺の横では白石が非常に居づらそうにしている。
しかし俺だって皆の気持ちはとても良く分かるのだ。普段から発言をせず、声の小さい女子が劇の主役を張ることなんか出来るのか。当たり前の疑問である。


「………」


このままだと白石にとって苦痛でしか無い。早く誰か「主役やりたい人?」とでも声を上げろよ。

…と、もしもあの夏の日、俺があの場所で白石を目撃していなければそう思っただろう。俺の意見は他の全員と同じだったかも知れない。白石が主役だなんて有り得ない。演劇部だなんて知らなかった。立候補しないなら他の誰かがやればいい。

けれどそうやって放っておく事は出来ない小さな正義感みたいなものが芽生えてしまって、このままホームルームを終わらせてはならないと、俺の中で何かが主張した。


「俺、主役は白石が良いと思うけど」


気付いたら俺は思ったまんまの事を口にしていた。途端に静まり返る教室、黒板の横で行く末を見守っていた担任ですらびっくりしている。暫く皆が絶句していたが、ようやく誰かが声に出した。


「……え!?」
「何で白石さん?」
「だって演劇部だし」
「そりゃあそうだけど…」


そうだけど、何だよ。と催促するのはやめておいた。俺だって皆の言いたい事は分かるから。でも一番何かを言いたいのは白石だろうから、と隣を見ると本人も面食らっていた。


「や、山形くん」
「やりたいよな?」
「……」


白石が美女と野獣の主役をやりたいのかどうかと聞かれれば、それは分からない。けど、舞台に立ちたいかどうかと聞かれればきっとイエスだ。こんな機会は二度と巡ってこないだろう、こいつが大学でも演劇を続けない限りは。
そして、俺だって適当に他人を推薦するわけじゃない。


「…って白石だけに押し付けんのも違うから、俺もやる。男だから野獣のほうか?」
「えええ!?」
「何で驚く」
「だってお前、演劇ってガラじゃないじゃん」
「うるせーな!他にやりたいやつが居るなら下がるけど」


もう一度クラス内は静かになった。これも幸か不幸か計算どおりの事だ。


「ほら見ろ。俺が主役だ」
「主役は美女ですけど」
「うるせえ」


正直言ってこんなの未経験だし全員が納得する出来栄えになるかどうかなんて分からない。けど、やってみなきゃ分からない。どうせ誰もやりたがらないならやってもいい。白石をこの環境の中でたったひとり生贄にするよりは。


「…山形くん」


しかし、白石は未だにおどおどしていた。俺がいきなり推薦、さらに立候補したもんだからクラスの連中以上に驚いているのだ。
でも俺は何も考えずに言ったわけじゃない、お前が夏休みに何をしていたのか知っているから推薦した。


「出たくないやつは、あんな暑い日にわざわざ走らねえだろ」


他の人間には聞こえないように白石だけに言うと、やっと白石はおろおろとした動きを止めた。本気?と彼女の目は訴えている。本気ですけど、と俺も白石の目をにらんで応えた。アイコンタクトでこんなやり取りをする日が来るとは思わなかったが。
最終的に俺の目が怖かったのか覚悟を決めたのかは不明だが、白石はそろそろと片手を挙げて「やります」と一言だけ言った。その声ももしかしたら届いてないんじゃないかと思ったけど、実行委員があんぐり口を開けたので、無事に前まで聞こえたようだ。