08


先週、一度だけサッカー部の練習を見学に行った。マネージャーをやらないかと誘われたから。小野くんは「是非」と言ってくれたけど、ルールも良く分からないし知らない人ばかりなので、上手くやっていけるか不安だった。それに何より、私がまだ「やりたい」と思えなかったから。


「白石さん、明日って」
「い…行かんで!」
「まだ何も言うてないやん」


小野くんとはこんなやりとりを何度かした。誘ってもらえるのは有り難いけど、断り続けるのも辛いのでそろそろ放っておいてほしいのだが。
けれど今回は見学の誘いでは無いようで、笑いながら小野くんが言った。


「明日は練習休みやねん。やから別の用事」
「べつ…?」
「どっか遊び行かん?」


と、絵に描いたようなニコニコした顔で。どっかってドコだろう。何故誘われているのだろうという疑問も浮かぶ。しかも「遊びに」って具体的に何なのだ。


「……アソビ?」
「そー、なんでもええけど。白石さんと喋っとったらおもろいねんもん」
「おもろい?」
「うん、自分めっちゃ好き」


私も、私の近くにいる友達も思わず目玉が飛び出そうになる。小野くんは自分が何を言ったのか深く考えていない・それが私にどういう影響を与えるのか理解していないらしく、普段と同じようにニコニコしているが。
そう言えば彼はいつも明るい人であった。が、そのぶん心の内が読めなくて戸惑ってしまった。


「……ふうううん?」
「めっちゃ警戒してるやん」
「別に警戒とかちゃうけど…なんかコワイわ」
「怖くないって。嫌やったらええねんで。単に仲良うなりたいなって思てるだけやから」


小野くんが私とどういうつもりで仲良くなりたいのかは謎だ。サッカー部に誘う気なのか、本当に私と気が合いそうだと思ってくれているのか。もしかしたら友達の言うように、私に恋愛的な好意があっての事なのか。
だとしたらどうしよう、信ちゃんにどう思われるだろう?

と、無意識のうちに幼馴染の顔を浮かべたと同時に思い出した。「そろそろ彼氏でも作った方がいいんちゃう」と言われた事を。
つまり私に彼氏が出来ようが出来まいが信ちゃんの顔色を伺う必要は無い。それどころか彼氏が出来れば、今私の目指している「幼馴染離れ」に繋がるのでは。幸い小野くんの事は全く嫌いじゃない。むしろ、良く考えたらサッカー部で爽やかで笑顔を絶やさない、今のところは性格だって良い人だ。


「…や。行くわ」
「うっそマジで?」
「うん」
「ッシャ!分かった明日やで、絶対やで」
「うん」


私は小野くんの誘いに乗った。もしも明日が楽しければ、私は小野くんのことを好きになるかも知れない。そしたら付き合う事になったりして、信ちゃんに「やっとお前も彼氏が出来たか」なんて祝福されるかも。
信ちゃんに彼女が出来ても、恋人が居る幼馴染の私がちょっかいを出しに行くことは無い。全てが上手くいくかも知れないのだ。


「おデートですかあ?」
「うわあ」


ずっと私たちの会話を聞いていた友達が身を乗り出してきた。小野くんが私に気があるんじゃないかと勘ぐっていた子。


「そんなんちゃうよ…」


デートだなんてとんでもない。ただ二人で遊びに行くだけだ。…もしかしたら、傍から見ればデートにしか見えないかも知れないが。
何をするかは小野くん任せだけど、これは幼馴染から離れるための第一歩。私と信ちゃんがこれまでの関係から先に進むための、素晴らしい一歩になるはず。



その日、家に帰ると玄関には段ボールが二箱置いてあった。側面には桃の絵が描かれており、こっそり開けてみると中にはやっぱり大量の桃が。あの桃どうしたん、と言いながら台所に行ってみると、お母さんが会社の人から貰ってきたのだという。


「信ちゃんとこにも持ってってあげ」


と、お母さんが一箱を信ちゃんの家にあげるよう指示した。
それはもちろん賛成だけど、今日この時に信ちゃんの家に行かなければならないなんてタイミングが悪い。いや、信ちゃんはまだ帰宅していないはず。帰ってくる前に持っていけば会わずに済むだろうと、私は了承した。

けれど信ちゃんの家に行くという事は信ちゃんのおばあちゃんが居て、おばあちゃんはお話をするのが大好きだ。私も小さい時からおばあちゃんと話をしていたので、全く苦ではないのだが。
「桃ありがとうなあ」という言葉を皮切りに、おばあちゃんの「これ食べてく?」「最近どんな?」というお喋り好きが火を噴いた。
そうなればそれを遮って無理やり帰るわけにも行かず(おばあちゃんと話すのは私も好きだから)、結局長居してしまったのだった。


「あ」


やがて夕食の時間が近づいたおかげで、やっと北家を去る事ができるようになった。けれど家から出るために門をくぐった時、ちょうど信ちゃんが帰ってきてしまったのだ。


「あ、お…おかえり」
「ただいま」


私が信ちゃんの家に出入りするのは珍しい事ではないので、信ちゃんは特に怪しがっていなかった。それなのに私は後ろめたい気持ちになり、何故ここに居るのかをペラペラと話し始めた。


「今、信ちゃんちに桃置いてきてん。お母さんがいっぱいもろてきたらしいから」
「桃?もろてええの?」
「めっちゃイッパイあんねん。うちじゃ全部食べきれんから」
「そうか。ありがとう」


よかった、普通だ。いや信ちゃんはいつも普通なんだけど、私のことを特に探っている様子はない。明日私が男の子と出掛ける事なんてひとつもバレていないはず。どう頑張ってもバレるわけが無いんだから。堂々と信ちゃんに挨拶をして帰ればいい。


「……なあ、すみれ」


…けど、信ちゃんが自宅に帰ろうとする私を呼び止めた。びくりと立ち止まる私。え、うそ、誰かに聞いた?


「…なに?」
「明日、暇か?」
「……明日…?」


ピンポイントで明日の話。悪い事なんて何もしていないのに、額から冷や汗が流れるのを感じた。
けれど信ちゃんは私の様子がおかしい事には気付いていないみたいで、そのまま話を続けた。


「俺らの練習休みやから。そういや入学してからお前の話あんま聞いとらんなあと思って」
「…私の話?」
「入学して不便な事無いかとか」
「………」


今までずっと、入学してから、私に近寄って欲しくなさそうだったのに。新しい制服を着てみせたって何も言わなかったくせに。彼氏作れって言ってたくせに。何で今、そんな事言うんだ。私が幼馴染離れしようと決意した途端に。


「…明日は…ごめん、予定あんねん」


予定があるのは本当だ。小野くんと出掛けるのが先約だった。だから謝る事なんかひとつも無いのに、すごく悪い事をしている気分になってしまった。


「わかった。ほんならまたな」


信ちゃんはそう言うと、自分の家の中に入って行った。
明日は駄目だ。これからもきっと駄目。私は信ちゃんから離れなくてはならない。その理由はもう曖昧になってきたけれど、自分の意地とか当てつけとか色々あるかもしれないけれど、とにかく大人にならなきゃならないのだ。信ちゃんも私も昔とは違うのだから。



翌日、帰りのホームルームが終わると、予定どおり部活が休みだった小野くんが席まで迎えに来てくれた。
と言っても二人きりでデートに行くような雰囲気じゃなくて、彼の持つ特有の空気は、男女のいやらしい感じがひとつも無い。だから誘いに乗る事が出来たって言うのもある。

この人の事なら、もしかして好きになれるかも。そうすれば何かから救われるような、そんな気がしていた。


「白石さんて、なんでバレー部に行きたかったん?」


私たちの会話はこんなものだった。授業の事とか、中学の時は何をしていたとか。小野くんの話はとても面白くて、私にもちゃんと質問を返してくれたりして、会話のキャッチボールは途切れない。だからあっという間に時間が過ぎていった。


「んー、幼馴染がバレー部やから」
「あ!それ聞いた事ある。主将やろ」
「ウン…」
「なんでマネージャー要らんのやろな?部員めっちゃおんのに」


もう無くなりかけたジュースをずずずと吸いながら、小野くんは首を傾げていた。


「…なんか、練習中に女子がおったら邪魔になるからやねんて。気が散るって」


私は信ちゃんから言われた事をそのまま伝えた。納得できるようなできないような理由。小野くんもあまり同意はしていないようだ。


「へー?まあなんとなく分かるけど…俺やったら逆にやる気出まくるけどな」
「なにそれ、女好きみたいやん」
「ちゃうちゃうちゃう!語弊ある!好きやけど!」
「あははっ」


しかし今日は、思いのほかよく笑わせられた。信ちゃんを断った事への妙な罪悪感も一瞬忘れてしまうくらいに。もしかしたら本当に小野くんの事を好きになるんじゃないかな、とすら思えた。
今日は朝から小野くんを観察してみたけど、授業もちゃんと聞いていて、クラスの人と仲がいい。学級委員というわけじゃないけど皆の中心に居るような感じ。もしかして、幼馴染離れの良い傾向かもしれない。


「白石さん、家どっち方面?」
「御影やで」
「阪神?」
「んーん、阪急」
「そうなんや。駅いこか」


小野くんは真っ先に阪急電車の駅へ向かって歩き始めた。駅まで私を送ってくれるらしい。こういうところは男の子らしさを見せてくれるんだな、と感心した。
そんな小野くんの後ろをついて歩いていると、駅に入るところでピタリと足が止まる。


「……あ」


更に、なぜだろう、息も止まった。そこには信ちゃんが一人で歩いていたらしく、私の姿を見つけて目を丸くしているのだ。どうしよう、とたくさんの言い訳が頭の中を駆け巡る。言い訳する必要なんか無いのに。何も悪い事してないのに。


「…知り合い?」


私と信ちゃんの様子を見た小野くんが、またまた首を傾げた。


「幼馴染…」
「あ、この人が」


そして、コンニチハと頭を下げていた。信ちゃんも「こんにちは」と会釈を返している。が、顔は笑っていなかった。なんでそんなに怖い顔してるんだろう?偶然そう見えるだけ?

こんな場所で幼馴染とバッタリ会えば、普通は「何してんの〜!」と盛り上がるはずだろうに。黙りこくった私たちの間に立つ小野くんの気まずそうな顔。小野くんには本当に申し訳ないと感じたが、この空気を塗り替える方法は見つからなかった。
とうとう何かを察した小野くんはお尻のポケットに手を突っ込みながら、反対方向へと足を踏み出した。


「…えーと。俺、明石やから…」
「あっ、うん、ごめ…」
「また学校で」
「う、うん」


私は小野くんに手を振って、小野くんも私に手を振った。それから信ちゃんにも「失礼します」と挨拶をしていた。何の変哲もなく、何の罪もない普通の光景。それなのに私の心が傷むのはどうしてだ。


「………えと」


小野くんが去ってからも、信ちゃんは何も言わなかった。何も言わずに私を見ていた。
どうしてそんな目で見るの、彼氏を作れと言ったのは信ちゃんのほうなのに。もしかしたらあの人が彼氏になるかも知れないのに。けれどそれを聞く勇気は無い。


「帰ろか」


とても低い声で信ちゃんが言った。
そうだ、私たちは幼馴染で家がとても近いのだ。こんなに居づらくて変な空気をまとっているのに、残念な事に帰り道が全く一緒なのだった。

ブレッブレの気持ち