恋にスピードは関係ない.中「王様そんな顔してどうしたの?」
昨日と全く同じ顔で、同じ台詞を月島が言った。
今この顔はさぞかし体調の悪そうな、機嫌の悪そうに見えるだろう。実際昨夜、課題を終えたは良いもののよく眠れなくて、布団の中でごろごろしていたら外が明るくなり始めていた。
「課題終わんなかったとか?」
「…いや」
そう、昨夜、課題は終わらせたのだ。白石の家で彼女の手を借りて無事に終わった。そのあとが問題だ。
何かの拍子に告白されて、答えも出さぬまま無言で別れたなんて格好悪い事を知られるわけには行かない。
もしも俺が白石の友人の立場なら、断るにしても保留するにしてもその場でちゃんと言えないような、そんな根性無しなんかやめておけと止めに入るに違いない。
「へえー終わったんだ!月島手伝ってやったの?」
「まさか」
「じゃ一人でやったの?スゲーなお前」
何も知らない日向は何の他意も無く尊敬の眼差しをこちらに向けた。その視線が痛い。何と答えようか?無視しても良いかもしれない。
そう考えていると白石が丁度着替えを終えて体育館に入ってきた。最悪のタイミングだどうしよう。
「…じゃアップするから」
「顔色悪いね。無理しないで」
すれ違いざまに、清水先輩に言われた。
会釈をして、その横にいる白石には視線を向けないようにして、とりあえず朝練に取り掛かる。
うん、誰がどう考えてもひどい対応だ。
でもバレー漬けだった俺の人生において、こんな時にどうするべきなのか助言してくれる経験は何も無い。
◇
本当に本当に正直なところ、今まで白石を女子として…と言うか恋愛対象として見た事なんか一度もない。ついでに言うなら谷地さんや清水先輩を恋愛対象とした事もない。
つまり彼女たちはバレー部のマネージャーで、俺の中ではそれ以上でも以下でもない存在なのだ。
部員がバレーに気持ちよく取り組めるように助けてくれる人たち。それだけだ。
だから家に呼ばれたって多少驚いたけど何の気持ちも無かったし、ただ勉強を手伝ってもらって終わるつもりだったのに、まさか相手は俺の事が好きだった。いや、好きだから家に呼んだのか。
でも元はと言えば教科書を貸して欲しいと連絡したのは俺だ。勉強の得意な白石が「どうせなら家でやる?」と言うのは不自然ではないはず。
…と、いろいろ考えを巡らせているとどうしても目に入ってしまう白石の姿。
今まで注視していなかったぶん新鮮だ。
朝早いのに各部員の事を見て回り、水分補給を促し、ボトルからドリンクが切れていれば補充するしタオルを渡す、または洗いに行く、ボールも拾う。
その働きぶりに驚いた。こんなに色々やってるのか、と。他を見ればやはり清水先輩も谷地さんも色々と動き回っている。
けれど最終的に俺の視線は白石へと戻る。部員のフォローに回り、女子なら嫌だろうに朝早くから汗をかき、それを腕で拭う、空調の効いていない体育館の中で。
昨日の事なんか何も無かったかのようにいつも通りに動いていた。その堂々とした様子になぜか少し、どきっとした。
「影山あぁぁぁ!」
「うわ」
「うわ!じゃねえ!無視すんな!」
「あ?」
振り返るとそこには鬼の形相で日向が立っていた。どうやら俺に話しかけていたらしい。
「何か用か」
「だから!英語の!教科書!貸してくんねーかって!」
「………は?」
「家に忘れて来たんだよおおおぉぉ」
その顔は鬼の形相からすぐに嘆きの表情に変わり、両手を合わせて俺に向かって懇願している。
英語の教科書。
その在り処なら知っている。教室の机の中に置きっぱなしだ。そのおかげで昨日、あんな事が起きたのだ。…と言うかコイツちゃんと教科書持って帰ってんのかよ。負けた気分。
「…何限目」
「2限目!」
「あ!?俺も2限目だッつーの」
「マジかよぉ!」
続いて日向は膝から崩れ落ちた。
教科書を忘れたくらいでここまで凹むような真面目な奴だとは驚きだ。ああそう言えばテストが近いからかも知れない。
「残念だったな」
「くそおォ…あ!白石さん頼みがあるんだけど!」
「ッ!」
この野郎こんなタイミングで白石を呼びやがった、その大きな声に反応して彼女は当然「なに?」と返事をしながら近づいてくる。
「あのさ、英語の教科書…」
「え」
今日ずっと平静を保っていた白石の顔が強張った。英語の教科書。これまで何も無かった俺たち二人をつい昨日、繋いだものだ。
「貸してくんね?忘れてきちゃった」
「…あー、いいよ。何限目?」
「2限目!」
「じゃあ私午後だから、昼休みに返して〜」
「さんきゅー!」
そう言うと、教科書を受け取った日向は一足先に教室へと走って行った。
残されたのは二人だけ。
俺から話しかけなければ。昨日の事を。
「あの」
「忘れて!ごめん」
いきなり鋭く言い放った白石にびくりとして、思わず口をつぐんだ。
忘れてと言われても、忘れる事なんか出来ない。顔を見るたびに思い出すし、これからも英語の授業を受けるたびに頭の片隅であの言葉がちらつくだろう。
それに対してちゃんと答えていない自分。駄目だ。
「白石」
「な、なに?」
「…放課後ちゃんと話す」
放課後までに、心を決めよう。
いくら恋愛経験のない俺だって、告白した相手からの答えを聞かされずに時間が経つことの恐ろしさくらいは想像できる。
それに、昨夜から朝にかけてはただ混乱するだけだったけれども、ほぼほぼ気持ちが傾いていた。
たった一度の朝練で白石の事を注意して見ただけで何を分かった気になっているのかと思われるだろうが、素直に凄いし尊敬できると感じたからだ。
もしも俺がマネージャーだったならあそこまで動けるだろうか?プレイヤーとしての経験しか無い自分には無理だ。
更にその姿を目で追った時、頬をつたう汗をなりふり構わず拭うその姿に、何とも言えない魅力を感じた。…なに考えてんだ俺。
◇
そしてあっという間に放課後だった。
台詞もなにも浮かんでいないがとにかく前向きな答えを出そうと決めていた。
自分で言うのもなんだけど、俺は一度気になりだすと、とことん気になる性格だ。白石の事が気になって気になって仕方がない。
女子に対してこうなるのは初めてだがこれはもう、そういう事だろうと思った。
恋してるんだ。この一晩で、あの一瞬で。
「何か落ち着いてんね」
「…俺が?ですか?」
「ウン、調子良さそう。朝は眠そうだったけど…さては授業中寝た?」
「ね…て…ますぇ…した」
「ぶははッ」
菅原さんは俺の背中をばんばん叩いて爆笑していた。
そうだ。答えを決めた瞬間に気の抜けた俺は授業中、爆睡してやったのだ!そうしないと練習に差し支えるから。
「あ」
「ん」
あ、という小さな声のほうを振り返ると白石がストップウォッチを持って立っていた。魚みたいに口をぱくぱくさせている。何か言いたいらしい。
「お疲れ」
「おっす」
「……えーっと…」
「終わったら西郵便局」
「!」
「…終わったら、西郵便局」
「お、おっけ、です」
白石は頷いて、自分の仕事に戻って行った。
相変わらずその姿を目で追っていると、今日一日の授業をちゃんと起きていたにも関わらず元気に動いていた。寝てるのなんて、俺と日向くらいかも知れないけど。
俺自身は朝とは違い、さっぱりした気持ちで午後の練習を終えた。
◇
夜7時半、西郵便局。
着いたけれども誰も居ない。時間外の郵便窓口に荷物を受け取りに来る人、投函しにくる人がちらほら居るだけだった。
10分待てども、白石が来ない。
LINEしてみた。
『着いた』
三文字だけを送信。
すると、なんだ、既読はやっぱりすぐに付いた。それなのに返事がこない。
何度かLINEを閉じたり開いたり、機内モードをONにしたりOFFにしたり、どこかで電波がおかしくなってるのか?と思っていた、が違った。
「お待たせ」
白石が制服のまま現れた。昨日とは打って変わってゆっくりゆっくり近づいてくる。
「………LINE」
「ごめん…」
「いいけど」
「て言うか、こんなにちゃんと会ってくれなくても良かったのに」
「…なんで?」
俺が聞くと、白石のほうが驚いていた。
こんな反応を見せられるとは思っていなかったと言うような。少し目を泳がせて言葉を探してから、白石が続けた。
「だって…こんなの気まずい、よね?」
「先に言ったのはお前だ」
「うッ」
「…で、昨日の話だけど」
「待ってやっぱりいい!LINEでいいから!泣くかもだから!」
待て待てこんな道端で泣かれるのは困る。
「泣くのはやめてくれ」
「ゴメンナサイ!本当にゴメンナサイ私言うつもりなかったのに、つい嬉しくて緊張して好きッて口走って」
「や、」
「でもホント大丈夫だから、無かったことに出来るから気にしないでって言うか全然フッてくれてバッチコーイみたいな」
…この焦りよう、到着した旨のLINEを読んでもなかなか来なかったところを見ると、もしかして失恋すると思っているのか?
白石は急に黙って「覚悟を決めました」といったように深呼吸した。
「………どうぞ」
「あ、ああ…うん。俺も好き」
「分かったじゃあまた明日…」
「おう」
「…………嘘ッ!!!?」
「忙しいなオマエ」
白石はぎょっとして、泣くどころか怒っているのかと思うほど目を見開いた。あ、昨夜も感じた、大きい目だ。
「…私昨日、告白したんだよ…?」
「覚えてるよ」
「でも影山くんは凄い人だから…私なんか…」
「俺は、白石も凄いと思う」
「な!」
「だから好きだと思う」
「ぬぁっ」
こいつ本当に進学クラスの生徒なのか?
俺だってもっとまともに反応できると思うのだが、昨夜好きだと言われた時も冷静だったのは俺だった気がする。
「嘘、でも昨日は…なんか迷惑そうだった気がしたから信じられない」
「昨日は正直分からなかった。でも1日考えたら、好きになった」
「え!?」
「なんだよ」
「…急に好きになるの?1日で」
まあ普通に考えたらそうなんだろうな。
なんとも思ってない相手、好きでもない相手から突然告白されて返事を考えるのが1日だけ。しかもその結果OK。
でも一応真剣に考えたんだし今更答えは変わらない。
「知らねえけど、今日1日お前のこと見てたら好きになった」
「ちょッ、そんな面と向かって!」
「…嬉しくねえの」
「嬉しさより驚きが上回っています」
「フーン…」
白石はなおも驚きを隠せない様子で一人なにやら考え込んでいた。
その姿すら昼間のきびきびと働く白石とはちょっと違って面白いな、と眺めていたので困りはしなかった。
むしろ俺も、今日から彼氏彼女ってやつなんだな、と多少なりとも浮かれている。なのに白石が驚きの一言。
「…つ、付き合うの?」
「はッ?」
そういうつもりで告白してきたんじゃなかったのか?すごく恥ずかしいんだけど。
「…付き合わねえの?」
俺はこう返すしかなかった。
白石が何に悩んでいるのか分からなくて、まさか一昔前の罰ゲームみたいな感じで俺に告白してきたとか?誰かの差し金か?と勘ぐってしまう。
「私はずっと影山くんの事が好きだった」
「俺も好きだ」
「いや今日からでしょ」
「今日好きになった」
「…だからさ、急に付き合っても、影山くんはまたすぐ私の事好きじゃ無くなるかも知れないじゃん…?」
その発想には至らなかった。
好きなものは好きなんだから仕方ないんじゃないのか。だいたい自分から告白しておいて今更何を言ってるんだろう。
それとも、女子って皆んな、そういう不安がよぎるモンなのか。女心に触れた事がないので分からない。
「…そうは思わないけど」
「ほんとに?」
「俺はたぶん一度好きになったら、一生好きだ」
「へ…!」
「バレーだってそうだしな」
「……」
がくん、と白石が揺れた。
ああバレーと比べるべきでは無かったか。
でもバレーと恋人、家族って俺の中では同じくらい大切だ。ベクトルの方向が違うだけで。
それに、きっと俺は簡単に嫌いになったり飽きたりするものなら、最初から好きにはならない性格だ。
「で、付き合わねえの?」
「…つ……」
「つ?」
「…付き合ってクダサイ」
白石は腰をほぼ直角に曲げて頭を下げた。そして片手を差し出した。握手?とりあえず応じた。
「よろしく」
「! わっ…よ…よろ、よろ」
「…学校では普通なのに、何でそんなにキョドる?」
「それは…」
「ま、これから直してけばいいか」
「これから?」
「一緒に。直そ」
「!!!」
今日から恋人同士になったので、お互いのダメな部分とか足りないところは一緒に改善していくもんじゃないのか?
そう思って提案したところ、白石はとうとう真っ赤になって自宅のほうへ走り去ってしまった。
あれが今日から俺の彼女、白石すみれ。
こういうのって誰かに報告したほうがいいのかな?