07


このあいだ、スーパーのトイレで泣きながら見た時とは違う自分の髪。ほんの少し今風に切ってもらって、色は真っ黒から焦げ茶色へ。少し染めただけで印象はずいぶん変わって見えた。

信ちゃんにはこの姿を見せてビックリさせてやろうと思ってたのに、逆にこっちがビックリさせられてしまった。「なかなか似合ってる」なんて褒め言葉を言われるとは思わなくて、どう反応すればいいか分からなかったじゃんか。その後は駅の階段を上って電車に乗ったのをきっかけに、全然違う話題に変わったけれど。
電車内で何を話したのかは覚えていない。信ちゃんには彼女が居なかった事と、私に「似合ってる」って言った事が、ずうっと頭の中に残っていたのだ。


「最近、シンチャンさんとはどうなん?」


ある日の事、教室に入るとクラスメートが言った。私が信ちゃんと呼ぶもんだから、「シンチャンさん」という変な呼称になっている。


「どうもないけど」
「そうなん?練習試合チョイチョイ出てたで、動画見る?」
「んー…」


ゴールデンウィークに意地を張って見に行かなかったお陰で、私は信ちゃんの勇姿を見れていない。「見る!」とすぐに身を乗り出しそうになったけど、何やら変な感情が芽生えて思い止まった。


「…見んとく。あんま見られたくないやろし」
「そう?何、なんか喧嘩でもしてんの」
「そんなんちゃうけど…」


喧嘩なんかしてないし、なんなら先日一緒に登校した時にはいつもより優しかった気がする。けれど、それは佐々木先輩との事を騙していたのを謝られたから。
勿論私は安心したし、なんだぁ、と胸をなで下ろした。でも気付いてしまったのだ。今回はたまたま嘘だったけど、もし今後本当に信ちゃんに彼女が出来てしまったら?その時はまた、私は信ちゃんと距離を置かなければならない。信ちゃんに彼女が居ようが居まいが、私たちはただの幼馴染なのだから。


「幼馴染離れしよかなぁ、と」


ポツリと言うと、友達はぽかんと口を開けた。そんなに変な事言ったっけな、私。


「わざわざ離れんでもよくない?どうせ家近いやん。バッタリ会うてまうやん」
「そういう意味ちゃうねんて」
「へー」


どうも彼女には理解し難いようだったが、私だってどうしてこんなに信ちゃんの事で悩まなければならないのか、理由なんて分からない。今までこんな事無かったのに。
信ちゃんが女の子と仲良くしてるだけでモヤモヤするとか初めてだ。
佐々木先輩は信ちゃんの彼女じゃないとは言え、それはあくまで現段階での話。もしかしたら今後付き合う事になるかも知れない。そしたら私、やっぱり邪魔者だ。
って、今そんな事を心配したって意味が無いのに何でこんな事ばっかり考えちゃうんだろ?


「ちょいちょい」


と、そこへ同じクラスの男の子が近寄ってきた。私と友達の反応を待たずに近くの椅子を引いて、そこに腰を下ろしている。


「ななな、白石さんてマネージャー興味あんの?」


そして、座りきる前にどうしても言いたかったのか、めちゃくちゃ前のめりで聞いてきた。


「……マネージャー?」
「いつやったか忘れたけど、バレー部のマネージャーやりたい言うてたやん」


そう言えば入学したての頃は、そんな事を話していた気がする。バレー部がマネージャーを募集していないなんて知らなかったから。


「ああ…うん。やりたかってんけどさあ。バレー部は募集してなかってん」
「ほんならサッカー部来おへん?」
「へ」


全く候補にあがった事のない話だったので、間抜けな声が出た。
なぜサッカー部?でもそう言えばこの人、確か小野くんだったかな、小野くんはサッカー部だ。そして彼が言うには、サッカー部にはマネージャーが足りていないらしい。そう言われましても。


「…や、べつにどの部活でも良いわけちゃうねんけど」
「えー何で、絶対おもろいと思うけどな」
「そお?私あんましサッカー知らんよ」
「だいじょぶだいじょぶ」


何を根拠に「大丈夫」なんだろう。絶対にルールとかの知識がある子を誘う方がいいと思うんだけど。もしかしてバレー部のマネージャーを志望していた私なら、少々こき使っても根性があるだろうと思われてたりして?


「見学でもええからいっぺん来て!声かけてな」


机をバンバンと二度叩いてから、小野くんは椅子を戻してどこかに去って行った。

サッカー部か。バレー部以外でマネージャーをするなんて考えた事もなかった。まあバレー部のマネージャーすら未経験なんだけど。そんな私が何も知らないサッカー部で仕事をこなせるとは思えないんだけどなあ。


「…小野くんさあ、すみれに気ィあんのと違う」
「はっ!?」


友達は白々しく目を細めて言った。こっちもこっちで予想もしない内容だったので、思わずむせてしまいそうになる。


「何それ!ないやろ」
「やってさー、私も一緒に居ったのにすみれしか誘いよらんしさーマジ空気やでー凹むわー」
「そら私が前にマネージャーやりたいいう話しとったから」
「そおかなー?」


いやいや本気で意味が分からない、私がマネージャーという仕事に興味ありげだったから誘われただけじゃないのか?
でも確かにこの子の言う事も一理あるような気がする、が、自分で言うのもなんだけど私は異性の興味を引けるような女だとは思えない。


「ちょーどええやん、幼馴染離れ。サッカー部いってみいや」
「え………」


もやもや悩んでいたけれど、友達は先程の会話を引っ張り出した。
幼馴染離れ。バレー部をまとめる信ちゃんの邪魔にならないよう、気を散らせないよう、万が一彼女が出来ても邪魔にならないように離れておくべきだ。いつまでも信ちゃんにベッタリしているよりは、絶対そっちのほうがいい。信ちゃんだってそれを望んでいるはずだ、そろそろ彼氏作れって言われるくらいなんだから。


「…それもそやなあ」


と、納得してはみるものの、どうしてもモヤモヤしてしまうのだった。



そして昼休みの事、今日はお母さんが朝早くから用事があったらしいのでお弁当が無かった。食堂の購買でいくつかパンを買おうと並びに行くと、いつもお弁当を持参しているはずの信ちゃんが。


「あ、信ちゃん」
「おー」


私も信ちゃんも同時くらいにお互いに気付いて、ひらひらと手を振った。そして、特に信ちゃんに用事があるわけじゃ無かったのに、自然と私の足は信ちゃんのほうへ。


「ご飯?」
「飲みもんだけ買お思て」
「そっか」


じゃあ一緒に列に並ぶわけには行かないな。と何故かちょっぴり残念になった。
信ちゃんは三台ある自販機を眺めながら、何を飲むか悩んでいる様子。こんな所に居ないで早く購買に並ばなきゃ、人気のパンが無くなってしまう…のに、私は信ちゃんのそばを動かずに居た。


「な、サッカー部のマネージャーてどう思う」


そう、これを信ちゃんに聞きたかったから。
信ちゃんは財布から小銭を取り出す途中だったようで、動きを止めて私を見た。


「………やんのか?」
「さあ、まだ分からんけど」
「何でいきなりサッカーなん?」
「クラスの子に誘われて」
「へえ…」


それから再び視線を財布の中へ。
信ちゃんは果たしてどう思っているだろう。幼馴染でいつもそばに居た私が、別の部活のマネージャーをやると言い出したら。
止めてくれたりするのかな、または理由をしつこく問いただして来たりとか。だとすれば幼馴染離れ出来てないのは信ちゃんも同じで、無理にサッカー部のマネージャーなんかせずに信ちゃんの目の届く範囲に居た方が良いのだろうか。


「まあすみれがやりたいんやったら、やったらええんちゃう」


ところが信ちゃんの答えは、あまりにも私の理想とはかけ離れていた。冷静に考えればこれが当たり前の、普通の答えだというのに。
サッカー部のマネージャーをやろうがやるまいが私の勝手で、信ちゃんには何の関係も無いというのに。


「……うん。そうやんな」
「おお」
「別にやってもええでな」
「あかん理由無いやろ」
「…やんな」


信ちゃんはとうとう飲み物を決めた様子で、隣に居る私には目もくれずに自販機へ小銭を入れ始めた。なんだかとても寂しい気持ちになったのは言うまでもない。この前一緒に登校した時、いつもより優しいなと感じたのは気のせい?


「…今日の放課後、見学いこかな思てんねんけど」
「そうか。頑張りや」


ガコン、とジュースの落ちてくる音がした。それと同じタイミングで私の気持ちもガクンと下がった。私がほかの部活に行っても、信ちゃんにとってはどうでもいいんだ。そりゃバレー部はそもそもマネージャーが不要なんだから仕方ないけど、全然繋がりのないサッカー部に行くのに。


「………」


寂しくて虚しくて、信ちゃんに挨拶する前に私は食堂を後にした。
幼馴染離れしてやるぞって思ってたのに、全然ダメじゃん。やっぱり彼女が居ても居なくても、信ちゃんにとって私はもう特別じゃない。ただの幼馴染だ。その壁を超えられる事は無い。

でも私、幼馴染の壁を破って一体どうなりたいって言うんだろう?それも分からない。とにかく私の頭が信ちゃんの事ばかりを考えてしまう以上、信ちゃん以外の別の事で埋めるしかない。
サッカー部だ。見学に行こう。サッカー部のマネージャーになる事を、前向きに考えよう。

からっからの心