06


なんとなく大人びて見える、ような気がする。
そんな事を考えたのは月曜日の朝、出発前に鏡を見ている時だった。親の反対を押し切った私は昨日、近くの美容室で初めて髪を染めてきたのだ。

稲荷崎高校は服装・頭髪の規定がガチガチに厳しいわけではないので、皆自由に染めている。バレー部なんか金髪の人おったし。ミヤ兄弟のどっちか。
ちなみに信ちゃんは元々色素が薄いので、自ら染めているわけではないのだ。昔から信ちゃんの髪はあの色で、なんでやろなあっておばあちゃんが不思議がっていた。


「すみれ、見惚れてんとはよ行きや」
「わ、わかっとうし!」


鏡の前を占拠する私にお母さんが声をかけてきた。そういえばそろそろ家を出る時間だ。
この髪を見て皆どんな反応を見せるかな?クラス内には早くも垢抜けてきた生徒がちらほら居るので、私の髪が焦げ茶になったからって珍しくもなんとも無いんだけど。
本当なら信ちゃんに「ドヤ」って見せてやりたいのにな、と思いながらドアノブを回した。


「おう。おはよう」


玄関を開けると突然挨拶をされた。誰にって、玄関の前に立っていた人に。
その人の足元から顏までをゆっくり見上げて行くと、そこに立っていたのは幼馴染であった。


「………信ちゃん!?」
「丁度よかったな。行こか」
「ど、どこに」
「学校に決まってるやろ」
「えっ」


どういう風の吹き回しだろう、信ちゃんが一緒に学校へ行こうとわざわざ迎えに来たなんて。何か裏があるんじゃないかと思ったけれどその様子は無く、「行くで」と肩越しに言う信ちゃんにひとまずついて行く事にした。


「部活は?」
「今日は朝練休みやねん」
「…やからってわざわざ迎えに来る事なんて、今まで無かったやんか」
「そうやなあ。たまには一緒に行くかと思って。嫌やった?」


何だこれは。最近ずっと冷たくあしらってきたくせに、いきなり優しくなってないか?一緒に行こうとするのも断られるし、部活の見学も駄目と言われるし。
それらは正直悲しかったので、今、突然迎えに来られたのは驚いたけれど嫌なわけじゃない。


「……べつに嫌ちゃうけど」
「そか」


素直に嬉しいと言えない私だったけど、信ちゃんは気にしていないようだった。悔しいけれど私の事は昔からお見通しだったのだ。それよりも今は、信ちゃんは別の事が気になっているみたいで。


「…ちゅうか今気づいてんけど、それどうしたん」


そう言いながら私の頭をじっと見ていた。私は信ちゃんが急に現れた事にビックリし過ぎて、さっきまで髪の事を「信ちゃんにドヤりたい」と思っていたのを忘れていた。


「どれ?」
「髪」
「…ああ。染めた」
「見りゃ分かるわ。何でそんなんしてんって聞いてるねん」
「なんでって…」


ほらその言い方、せっかく迎えに来てくれて嬉しかったのにカチンと来た。元はと言えば信ちゃんが私の事、昔みたいに接してくれなくなったのが原因じゃんか。


「…別にいいやん。高校デビューってやつ」
「なに言うとんねん」
「うっさいな!こうしたらちょっとは大人っぽく見えるかなって思ったんやもん」
「大人っぽく?」


信ちゃんが私の言葉を繰り返した。どうやら彼にとっては予想外だったらしく、元々大きめな目をもっと開いて私を凝視している。その目と視線が合わさった瞬間に、言わなきゃ良かったと思った。


「…お前、大人っぽくなりたいん?」


かあっと顔が赤くなるのが自分でも分かった。思わず口走ってしまったけれど、信ちゃんの前で言いたくなかったから。知らないうちに大人びた私の姿を見せつけて、どうや昔のすみれと違うやろって言ってやりたかったのに。
恥ずかしくなって反対側を向きながら、必死にはぐらかした。


「わ……分からんけど。イメチェンしよ思っただけやし」
「イメチェンなあ」
「そしたら私やって少しはモテるかも知れんからな!」


何度も言うけど私だってもう高校生だ。信ちゃんの言うように、そろそろ彼氏が出来てもまぁおかしくはないお年頃。
稲荷崎では出来ればバレー部のマネージャーをして信ちゃんと一緒に居たかったけど、あんなに綺麗な彼女が居るなら出る幕はない。私の事を邪魔者とも言わず、笑顔で話しかけてくれるような人。裏ではどう思われてるか分からないけど、少なくとも堂々とストーカーしようとした私なんかよりはずっと素敵な人だ。

だからもう信ちゃんに付きまとうのはやめる事にした、のに。
避けて避けて避けまくろうとしてたのに、信ちゃんが朝から家まで迎えに来るし。なんか、黙りこくったまま歩いてるし。


「…なんなん。何か喋りや」


沈黙が気まずくなって、信ちゃんを肘で小突いてみた。そしたら「ああ」と低く唸って、その声が私の知る信ちゃんのよりも男っぽくてびっくりした。


「俺、すみれに謝らなあかん事あるわ」


けれどもっと驚いたのは、信ちゃんがこんな事を言ったから。


「……ハイ?何?」
「佐々木さんと話したんやろ?」


今度は私が目を見開く番。先週末に卵を買いに行った時、偶然佐々木先輩に会ったのを知られていた。あの人が信ちゃんに話したのだろうか。しかしそれが何故、私に謝らなければならない事に繋がるのか。


「話したゆうても、ちょっとだけやけど…」
「その後連絡きて、教えられてん。お前がこの世の終わりみたいな顏しとったって」
「ど、どんな顏」
「落ち込んだように見えたって」


ほんの少し話しただけなのに、バレていた。あの後トイレにこもって泣くほどのショックだった事を。
だって知らないうちに信ちゃんに彼女が居て、それが中身の出来た美人の先輩だなんて衝撃だったのだ。私はダメなのに佐々木先輩は近くで練習を見たりとか、一緒に出掛けたりとか、そういうのが羨ましくて悔しくて。
本当は練習試合も見に行きたかったのに、という後悔もあった。でも我慢していたのは、繰り返しになるけれど、信ちゃん達の関係を私のせいで崩すのは良くないって思ってたから。


「最近静かやと思ったら、自分俺らに気ィ遣ってたんやな」


未だに予想外って感じの声で言われるので、悲しいやら悔しいやら。私の事なんやと思とんねん。


「…そらそうやろ。いくらなんでもカップル様にちょっかい出す程コドモちゃうで」
「そうやねん。それやねん」
「どれやねん」
「俺はお前がそんな気を遣える奴やとは思わんかってん」


そう言うと、信ちゃんは横断歩道で立ち止まった。ちょうどそこで歩行者信号が赤になり、車道を走る車も止まり始めてほんの一瞬静かになる。そのタイミングを狙っていたのかどうなのか、信ちゃんが短く言った。


「ごめんな。全部嘘」


それが本気なのか冗談なのか区別がつかなくて、私は言葉を失った。


「……は?」


嘘って一体どこからどこまで、何から何までを指すのだろう。
彼の言う「全部」とは私の思う「全部」と同じなのだろうか。なんてわけの分からない事がぐるぐる回って、やっぱり私の口からは何も出なかった。信ちゃんは私が何も言わないのを横目で見て、またすぐに前を向いた。


「俺と佐々木さんの間にはなんも無いで」


より具体的に信ちゃんが言う。が、もっと分からなくなった。信ちゃんと佐々木先輩の間に、何も無いって?彼女なんじゃなかったの?まだ頭の整理がつかなくて、もう一度私は首を捻った。


「……はあ?」
「すみれが俺らを恋人同士やと勘違いしとったから、悪ノリしてもうた」
「な…」


なんと、二人が一緒にいるのを見て私が先走ってしまったらしいのだ。信ちゃんは私の間違いを正さないまま彼女だと言うので、完全に信じていた。

佐々木先輩にはその事を言っていなかったらしいけど、先輩はスーパーで会った時に私の様子を見て、何かおかしいと気付いたのだと言う。それを信ちゃんに訊ねたところ、私が勘違いしているのでそのまま放ってる、と信ちゃんは答えた。
そうしたら先輩に訂正を求められたのだそうだ。「幼馴染がこの世の終わりみたいな顔してた」という報告とともに。


「…ほんなら信ちゃん、彼女おらんの?」
「おらんわ。そんなもん作る暇無いっちゅーねん」
「でも…デートの約束…出かける約束…」
「職業体験先に何着ていくかって話してただけやで」
「し…職業体験…」


いつだったか、二人が仲良さげに「何着て行くか決めた?」などと話していたが。信ちゃんと佐々木先輩は、職業体験で近所の老人ホームに行く予定だったらしい。そこに何を着ていくべきか・何か持っていくべきかと話し合っていたのだそうだ。無事に職業体験が終わった後もレポートを書いたりするのに何かと二人で話をしていた、と。
私はそれを「二人はいつも一緒で仲が良い、つまり付き合っている」と思い込んでしまったのだ。そのうえ、信ちゃんに聞いたら肯定されたし。

って事は私がこの短い間ではあるけれど、一生懸命信ちゃんを避けていたのって一体。


「やから練習試合も来んかってんやろ?」


信ちゃんは私が二人の事を気にして練習試合に行くのを我慢していたのだと分かっているようだ。何か照れくさいし恥ずかしいから、頷きたくないけど。


「……それだけが理由やないもん。色々予定あったんやもん」
「はは、そうか」


でも嘘は見抜かれているらしく、信ちゃんはけらけらと笑った。


「お前が別人みたいに静かになるから心配してもたわ。悪かったなあ」


かと思えば素直に謝ってきた。信ちゃんとこんなふうに話をするのは久しぶりな気がして、口元がむずむずする。その場に並んで立っているのがくすぐったくなった時、やっと信号が青に変わった。


「べつに何も気にしてへんもん。行くで!」


信ちゃんの顔を見ないように、信ちゃんに顔を見られないように、私は真っ先に足を踏み出した。だってこの顏見られたら、また信ちゃんに笑われる気がするから。
信ちゃんに彼女が居なかったという事実を知り、安堵して気の抜けた顔。私が一人で色々気にして避けていたのを信ちゃんに気付かれて、恥ずかしくて仕方のない顏。
それらを隠しながら信ちゃんよりも何歩か先を歩いてようやく駅に着き、階段を登ろうとした時。


「そういやその色、なかなか似合てんな」


後ろから信ちゃんがそう言うのが聞こえて、思わず振り向いた。信ちゃんは自らの頭を指差している。色、って私の髪の色のこと?なにそれ、染めたの反対だったのかと思ってたのに。


「………あっそ」


別に嬉しないわ!って言うかどうかは迷ったけど、やめといた。実際はめちゃくちゃ嬉しかったし、信ちゃんにはもう私が嬉しくて顔を赤くするのが見えていただろうし。

ベッタベタの嘘