03


家の引出しから黒縁の伊達眼鏡を引っ張り出して、鏡の前でチェックしてみた。頭が良さそうでデキる女子高生っぽい!
でも勉強できる云々ではなくて、これは変装の為である。学校でこっそり信ちゃんを観察するには、私の存在がバレないようにしなきゃならないからだ。
今日から私は名探偵の白石すみれ。北信介の動向を入念にチェックし、昨日のあの人は彼女なのかを確認すべし。


「ガッツリ調べたんねんから…」


まずは朝練だ。バレー部の人たちは朝七時から朝練を行っている。…と聞いていたのに信ちゃんは、六時過ぎには部室に到着しているではないか!部室の鍵を開けている、という事は信ちゃんが一番乗りだ。


「北さん、おはようございます」
「おはよう」
「いつも早いですね」


と、だんだん部員の皆さんが集まり始めた。
私は部室棟の近くにある木の陰から顔を覗かせて、こっそりと部室をチェックしていた。立ちっぱなしだし、朝は早いし、すごく眠いのを堪えながら。
部室棟から信ちゃんが出てくるのをひたすら待っているのは退屈で、だんだん瞼が重くなってきた。やばい寝そう。


「何してんの」
「!!」


落ちかけていた意識が一瞬にして戻ってきた。後ろから声をかけられ振り返ると、そこには男の先輩が二人で立っていたのだ。それも超有名人!


「み!みっ、み」
「宮です」
「宮です」
「み…や兄弟さん!」
「自分めっちゃ怪しいで、何してんの?」


この双子は下級生の私でも知っている。信ちゃんの試合を見に行った時に見た事があるし、地元のニュースでも紹介されていた。クラスの女の子も「二年の双子の先輩がイケメンやねん」と騒いでたっけ。
今は影からこっそり覗いている私の姿が、遠くから見えていたらしい。


「何って別に何もです!暇を潰しております」
「ココで?変態やん」
「へっ!?」
「ストーカーかと思ったわ」


金髪のほうは確か宮侑だったろうか、にやにや笑いながら言った。ストーカーなんて失礼な。今の私は探偵である。


「誰か目当ての人でも居てるん」


と、宮治のほうが言った。覗き魔の私を気味悪がらないという事は、女の子がこうして覗きにくるのは珍しい事じゃ無いのかも。だってバレー部の男子と来たら、入学してから驚いたけど、物凄い人気なのだ。
でも私は、誰かを狙っているからここに居るわけじゃない。


「…いいえ。」
「居てないのにココで張ってるん?マジもんの変態やん」
「ちゃちゃちゃちゃいますってば!私、幼馴染なんです!北信介のっ」
「北さん?」


その名前を聞くと、双子はニヤニヤをやめて真顔になった。


「なんや。呼んできたろか」
「駄目です駄目です内緒なんですから」
「内緒?」
「ますます変態やな」
「やめてください」


これ以上ここで三人団子になっていては目立って仕方ない。
一人ならなんとか隠れられるし、信ちゃんに見つからずに後をつける事が出来るだろう。根拠は無いけど。
だから宮兄弟には早く部室に行ってもらいたいのだが、腕組みをした宮侑さんがウーンと唸りながら言った。


「けど、ここで見張ってても北さんしばらく出て来んと思うで」
「え…?」


それってどういう事だろう。宮治さんも静かに頷いている。ここに居ても信ちゃんが出てこないって、どうして?体育科で練習しなきゃいけないんじゃないの?
不思議そうにする私の顔がおかしかったのか、宮兄弟はさっきよりも顔のニヤニヤが増した。


「体育館にはアッチ側の渡り廊下から行けるねん。残念やったなあ」


…この人達、私がこっそり覗いてたことを信ちゃんにバラしそうで恐ろしい。



宮兄弟に言われた通り、信ちゃんのみならずバレー部の誰一人部室棟から出てくる事は無かった。裏側から渡り廊下が繋がっているのは本当らしい。
そうなればそのまま待機する意味も無くなってしまったので、私はまたこっそりと体育館に近づいてみる事にした。


「男の人ばっかりやな…」


昨日と同じく部活関係者以外は近くに居ない。女子マネージャーの姿もやっぱり見えない。

信ちゃんは私がこんな時間から付いてきている事を知らないので、外を警戒している様子は無いようだ。ふふ、その油断が隙を産むんやで信ちゃん。もう少し近付いて中が見える位置に移動しようかと思った時、別の人影が体育館に近づいた。


「北くーん」


その声と姿に驚いて、私は足を止めた。咄嗟に近くの木に隠れて顔を出すと、すらりと長い脚の綺麗な女の人が手を振りながら走ってる!


「あの人っ」


昨日見かけた先輩だ。信ちゃんの彼女と思わしき人物!朝日のおかげなのか、サラッサラのツヤツヤな髪が光ってなびいてる。私の髪とは大違い。
何の躊躇いもなく体育館の入口まで辿り着いたその人は中を覗き、すぐに信ちゃんが現れた。


「佐々木さん。早くからごめんな」
「大丈夫。どうせ勉強しに来る予定やったから」


そんな感じの会話をしているけれど、風の音や中から聞こえるボールの音で全ては聞き取れない。まだ何かを喋っているので朝の挨拶だけではなさそうだ。


「……聞こえへんな…」


もう少し近付かなければ話の内容までは分からない。信ちゃんは「佐々木さん」に顔を向けているし、音を立てずに移動すれば気付かれないだろうか?そろそろと足を踏み出して、私はだんだんと体育館に近づいて行った。


「…で、その日なんやけど…どんな服着て行ったらええかなあ」
「どうやろ。俺なんも考えてへんかった」
「そうなん?珍しい」
「佐々木さんはどうすんの?」
「せやなあ…」


何やら服装の話をしている。着ていく服の打ち合わせをするって事は、制服以外を着てどこかに行くという事。それってもしかしてデート?やっぱり二人は付き合っているのだろうか。
一体どこに行くんだろう、会話の中から更なる情報が出てくるかも知れない。
そう思ってもう少し観察しようと顔を出したのだが、ちょうど信ちゃんと目が合ってしまった。


「ゲッ」


やばい危ない見つかった。ギッタギタに怒られる!
…と思ったけど信ちゃんは私の存在に気付かなかったのか、佐々木さんと二言三言会話をして体育館に戻って行った。


「あかんあかん…」


危ない危ない、練習を見に来るな・近寄るなと言われているのにこんな場所に居るのが知られたら怒られるに決まってる。

でも女の子に全く興味が無さそうなまま育ってきた信ちゃんが、女の人とデートに着ていく服の打ち合わせまでするとは。しかもあんな綺麗な先輩と!私とは「忙しい」ばかりで全然出掛けてくれなくなったのに。全然相手をしてくれないと思ったら、女の子とデレデレ仲良くなっていたなんて。



高校に入ってから特に信ちゃんは忙しそうで、帰ってくるのも遅くなった。家に居てもおばあちゃんの手伝いか勉強で、私とゆっくり話してくれる時間も無い。
信ちゃんが相手をしてくれないのに家まで行くのも虚しくて(その都度おばあちゃんがお茶を出してくれるのも申し訳ないし)、前ほどお邪魔する事は無くなった。だから信ちゃんの姿を見たり話したりできる場所と言えば、学校の休憩時間くらいしか見つからない。

というわけで昼休み、チャイムが鳴った瞬間に席を立ってやって来たのは三年生のクラスが並ぶ廊下である。もちろん伊達眼鏡も忘れずに装着して、だ。
信ちゃんと「佐々木さん」が本当に恋人同士なのかどうか、学校生活の中でそれらしき場面を見なければまだ断定出来ない。


「えーと…うわ、信ちゃん何組なんか知らんわ」


しかし私とした事が、信ちゃんのクラスがどこなのかを調べていなかった。
稲荷崎はそこそこ大きな学校なので、当てもなく探して回るのは至難の技。それでもここまで来たんだから教室をひとつずつ覗いて帰ってやろう、どこかに信ちゃんが居るかも知れない。


「オイ」
「ひいっ!」


廊下の真ん中で漫画みたいにビクッと飛び上がってしまった。背中から信ちゃんの声が聞こえただけでなく、いきなり肩を掴まれてしまったもんだから。


「し…信ちゃん!?何やもうビックリさせんとって」
「こっちの台詞やアホ。三年の校舎で何やっとんねん」
「な、何って…べつにィ」


まさか信ちゃんの素行を調査しに来たなんて言えやしない。目線だけをキョロキョロ泳がせて誤魔化そうとしてみたけれど信ちゃんはジッと私を見て、やがて頭をかきながら溜息をついた。


「……こっち来い」
「え」


そして、私の腕を乱暴に掴んでいきなり歩き出したのだ。
階段を降りる時も思い切り引っ張りながらだったので、危うく足を踏み外すところだ。信ちゃんはそんなのお構い無しで歩き続けて、とうとう一階の渡り廊下まで着いてしまった。


「いたたっ、痛いって!もぉ離して」
「うっさい」
「やーめーてっ」
「やからウッサイねんて」


そう言って信ちゃんはやっと手を離した、と言うよりは私を渡り廊下に放り出した。ここを歩いた先に二年・一年の校舎があるからだ。


「…お前昨日から何か嗅ぎ回っとんな?何を企んどんねん」


ぎくり。今日も練習を覗きに行ったのがバレている?今朝のあの時、やはり信ちゃんと目が合っていたのだ。


「……別に何も」
「嘘つくな」
「何も無いですー」
「お前なあ…」


信ちゃんは私の態度に苛々しているらしかった。でも、私だって苛々してる。ずっと一緒に育ってきた幼馴染の私には練習の見学を拒否するのに、他の女の子はやすやすと練習中の信ちゃんに近付けるなんて。


「…俺だけやったら別にええけど。他の子巻き込むんはやめてくれるか」


その言い方にもムカッと来た。あの人のことをを護るみたいな言い方に。


「他の子って?ササキさんて人?」
「そうや」
「べつに巻き込んでなんか」
「眼鏡の女の子にじっと見られてる気がする言うてたぞ。そのフザけた眼鏡取れ」
「あ」


逃げようとしたけど遅かった。信ちゃんが素早く手を伸ばし、私の伊達眼鏡を取り上げてしまったのだ。


「もー返してっ」
「お前が何を考えてんのか正直に話したら返したるわ」


信ちゃんのほうが身長は高い。手を伸ばしても届かない場所まで眼鏡を持っていかれてしまい、私は取り返すのを諦めた。


「別に何も無いもん。ただちょっと気になっただけで」
「何が?」
「…信ちゃん、彼女できたんかなぁて。ササキ先輩て人と付き合うてんのかなぁて」


昨日は仲良さそうに笑いあって練習を抜け出していたし、今朝なんかどこかに出掛ける話をしていたみたいだし。
これまで女っ気の無かった信ちゃんからは想像できない。悔しいけれど、どう考えても彼女が出来たとしか思えないのだ。

信ちゃんは黙って私を見ていた、あるいは睨んでいたが、私も同じように睨み返した。隠し事なんかされたくない。正直に言ってほしい。気になって気になって仕方が無いんだもん。


「彼女やけど。それが何?」


ところが、信ちゃんからのカミングアウトはあまりにもあっさりとしていた。

けれどその事実はちっともアッサリしてなくて、私にとってはとても重大。いや、よく考えたら私には無関係なんだけど。どうしてだろう、めちゃくちゃショックだった。信ちゃんに彼女が居た事も、それを事前に報告してもらえなかった事も。信ちゃんの口から「彼女」と肯定された事も。「それが何?」と、突き放すように言われた事も。


「……なんもない」
「何も無いなら帰れ。ちゃんと飯食ったんか?早よせな食堂売り切れんで」
「ご飯なんか要らんわアホ!」
「は…?」


今年二度目のあっかんべー、をする気にはなれなかった。彼女が居るくせに私を気遣うみたいな台詞言うなアホンダラ!勝手に彼女作んなアホンダラ!何でか分からないけど頭がぐちゃぐちゃで、結局その日は昼ご飯を食べる気にはなれなかった。

サラッサラの髪