02


時間と言うのは恐ろしい。同じ地域に生まれ、同じ環境に育ち、遊ぶ場所・通う幼稚園・小学校・中学校すべてが同じだったのに、知らないうちに全く違う人間へと成長してしまうのだ。しかもそれが男と女なら更に大きな差が広がる。性格は勿論のこと、見た目も声も色々と。
身体の成長から心が置いていかれた側は大変だ。自分の知る幼馴染が、まったくの別人みたいに思えてしまうのだから。


「……お前なあ…」


時刻は朝の六時過ぎ、場所は北家の玄関前。信ちゃんがバレー部の朝練に行く時間を見計らって、私も早起きをして待ち伏せしてやったのだ。


「おはよう信ちゃん!一緒いこ」


入学式の日はしっかり膝丈にしていたスカートも、五センチくらい短くしてやった。ブラウスの第一ボタンも開けてるし、リボンの長さもちょっと緩めにして、どこからどう見ても小慣れた稲荷崎の女子高生。ぴっかぴかの一年生と歩くなんて恥ずかしいだろうと思って頑張ってみたのに、信ちゃんは私の誘いに顔をしかめた。


「嫌や。こんな早くに行って何すんねん」
「そらあバレー部の見学とか」
「す・ん・な・て言うやるやろ」
「なんで?やって今後私がマネージャーなった時の為に」
「い・ら・ん・て言うてるやろ」
「もおおぉ!ええわ勝手についてくし」


と、信ちゃんは拒否を続けながらも私が勝手に隣を歩く事については何も言わなかった。長年連れ添った幼馴染をそうも簡単に追い返せんやろ、そうやろ?信ちゃん昔は私に優しかったもんな!今はそうでもないけど。


「なあなあ、これ見て?結構いけてると思わへん?」


駅のホームで電車を待ちながら、また信ちゃんの横でくるりと回ってみた。入学式の日よりも短くしたスカートはひらりと揺れて、女子高生の生脚が丸見え。いくら幼馴染の私の脚でも女の子の脚だから、きっと目がいくに違いない!ほら、信ちゃんがじっと脚を見ている。


「…ヒザ、かっさかさやん」
「な!」


ところが信ちゃんの口からは褒め言葉など一切無く、お肌へのダメ出しだった。


「乾燥しとんねんやから肌出すなや」
「か、かわええなぁとかサマになってるなぁとかそういう感想は無いの!」
「まだ朝早いねんから静かにせえ」


そう言われてはっとした。
よく見れば周りには、私たちと同じように早起きした学生やサラリーマンの人が電車待ちをしている。近くで高校生がキャッキャ騒いでいたら迷惑だろうと思えた。それを信ちゃんに注意されたのが悔しいけれど。


「……わかっとうし」
「ほんまかいな」


信ちゃんはどうやら呆れていた。小さい頃は一緒に騒いで怒られた事だってあるくせに、勝手に成長してしまったようだ。なんだか置いてけぼりにされてる気がして悔しい。信ちゃんが大人になったように、私だって高校生に成長しているのに。

やがて電車が到着したので乗り込むと、思ったよりも人が少ない。信ちゃんについて行くと運良く端っこが空いていて、そこに二人で座ることにした。


「この時間の電車、すいてるなあ」
「おお」


いつも信ちゃんはこの電車に乗っているのか。座れるのはラッキーだけど、今日の早起きだって私にとってはギリギリだった。
これを毎日続けて、しかも学校に着いたら練習なんて大変そう。一緒に勉強でも教えてくれるなら良いんだけどな、ってそれじゃあ恋人同士みたいだ。と言うか、今もそんな感じに見えるのでは!?


「なあなあ、うちらカップルみたいって思われるかな?」
「無いやろ」
「どっからどう見てもカップルやん、おんなじ制服やし隣に座ってるし」
「絶対嫌やねんけど」
「つれへんわぁ〜」
「黙っといてくれるか?」
「……」


隣に座っても文句は言わないくせに、こういう事を言われるのは嫌なのだそうだ。
周りにはチラホラと乗客も居るので口を閉じておくように言われ、私は大人しく座っておく事にした。アンタに言われんでも人が増えたら静かにするつもりやったもん、って思いながら。

数駅しか離れていないので電車はすぐに到着し、私たちはそれまで何も会話をしなかった。信ちゃんは鞄から参考書みたいなのを出して勉強していたし、邪魔したら悪そうな雰囲気だったから。
朝から晩まで練習していつ勉強してるのかなと思っていたけど、まさか移動中のわずかな時間まで参考書を開くとは。私、ものすごく邪魔じゃん。


「ほんなら行くわ。見にくんなよ」


学校に着くと信ちゃんは部室棟のほうへ向かうため、別々の方向へ進まなければならない。私が黙って練習を覗きに行くと思っていたらしく、別れ際に釘を刺された。ちくしょう、バレてたか。


「おい」
「……何。」
「返事は?」
「…ハイハイ。行きませーん!わかってますーだっ」


あっかんべーと古典的な顔を向けてから、私はぷいっと校舎の方へ歩き出した。何やねん。せっかく朝起きてここまで一緒に来たのに、練習くらい見せてくれたってええやんか?ドケチ野郎め。



信ちゃんとはすれ違うこともなくあっという間に放課後を迎えた。
今朝は一緒に登校してしまったから存在がバレていたけれど、午後の部活を予告無く勝手に見に行けば見つかる可能性は低そうだ。私はちょっとやそっとじゃ諦めない女なのである。信ちゃんがどんな感じで部活をしているのか、部長と言うからには偉そうにしているのか、しかと観察させて貰わなくては。


「……すみれ。」
「わっ!」


ところが体育館に行く途中の段階で、あっけなく見つかってしまった。
物凄〜く怖い声に呼ばれて振り返ると、信ちゃんが呆れたような怒ったような顔で私を睨み付けているではないか!


「信ちゃん」
「何しとんねん」
「なにって…」
「来んなて言うてるやろが」


どうして頑なに拒まれるのか全く理由が分からない。て言うか、別に練習の邪魔をしたいわけじゃないのに。女子が居ったら気が散る言うけど、本当は美人のマネージャーとか居てんと違うの?


「…なんやねん。応援するだけやんか」


今回は私もちょっぴり強気に言い返した。応援されて気分が悪いはずが無い。私が信ちゃんの部活を応援してるのは本当だし、活躍するところを近くで見たいし。
それなのに信ちゃんは一切表情を和らげることなく首を振った。


「頼むから帰れ。こっから先立ち入り禁止」


そして、「こっから」と言いながら私との間に線を引きやがった!
境界線を引かれてまで見られたくないなんて事、ある?
信ちゃんはさっさと部室のほうへ歩いて行ってしまったけど、私はそこを動く事が出来なかった。だって、駄目だと言われると余計に気になってしまうもん。


「…ふん。こっそり見に行ったんねん」


信ちゃんの姿が見えなくなってから、私はUターンして別のルートから体育館へ向かう事にした。稲荷崎のバレー部といえば女子にも人気で、うちのクラスにも「イケメンの先輩おるねんて」と浮かれている女の子が居た。他にも少しくらい見学してる女の子が居るはずだ。

…と、思って体育館まで来たものの。


「ほんまに誰もおらんな…」


体育館の周りには、人っ子一人居なかった。もちろんバレー部員と思われる人は何人も居たけど、部外者は誰も。


「…近寄られへんやん」


沢山いるギャラリーの中に紛れ込んだらどうにかなると思っていたけど、私一人がポツンと居たら目立って仕方が無い。今度こそ信ちゃんにめっちゃ怒られる。本気で怒った信ちゃんは怖いのだ。

諦めた私は体育館を去る事にして、それでも真っ直ぐ帰る気にはなれなかったので自習室にこもる事にした。
ふふふ、自習室からは体育館が少〜しだけ見えるのだ。この前校舎を探検した時に知ったのである。


「…あれ?」


ちょうど自習室に到着し、勉強しながら観察しようかと思っていた時。体育館に近づいていく人影を発見した。
監督?コーチ?部員?ううん、違う。だってその人影は、稲荷崎高校の制服を着た女の子だったのだ。なんと女の子が体育館に近づいて行ってる!


「誰や…」


しばらく硬直してしまったけどすぐに我に返って、たった今広げたばかりの勉強道具を鞄に戻した。ノートがぐしゃっと言う音が聞こえたけれど気にしない。自習している生徒さんに極力迷惑をかけないよう足早に教室を出て、私は体育館への逆戻りした。自分でも何やってんだろうと思うけど。

こういう時の私のダッシュ力は結構すごくて、すぐに体育館へと辿り着いた。
もう「信ちゃんに見つかるかも」なんてなりふり構っていられなかったけど、ひとまず気配を消しながら近づいていく。開け放された体育館の入口を覗いている女の子は、どうやら上級生のようだ。何年生だろう?バレー部の誰かに用事があるのだろうか?もしかしてマネージャー志望?マネージャーは募集してませんけど!?


「あ。北くーん!お疲れー」


ところが、ガツンと頭に岩が降ってきたような感覚。
その人はなんと信ちゃんの苗字を呼びながら、体育館の中に向かって手を振り始めたのだ。いやいや信ちゃん以外に「北」の姓を持つ人が居るのかもしれない、信ちゃんの事を呼んだわけじゃない。だって信ちゃんは私ですら体育館に寄せ付けてくれないんだから…、


「ごめん、お待たせ」


…と、思っていたのに。現れたのは涼しい顔した北信介そのものだった。また私は頭がくらくらしてきてフラついたけど、必死に腹筋に力を入れた。「お待たせ」って何だ。信ちゃんが女の子と待ち合わせ!?


「ええよ全然。どこ行く?」
「せやなあ…あ、待って佐々木さん、それ持つわ」
「え?ええよそんなん」
「貸して」


そう言うと信ちゃんは、「佐々木さん」と言う先輩の持っていた袋を優しく奪っていった。それが何だかとても紳士的で、私の知ってる信ちゃんじゃないみたいで。


「ありがと」


はにかんだ笑顔でそのように返す「佐々木さん」も、私と同じ人種じゃないみたいに可愛くて。なんか、二人の間に流れる空気が私の知らないオーラで覆われている。キラキラしてる。嘘だ。これってもしかして。


「……彼女…できた…?」


まさか信ちゃんに限ってそんな事があるだろうか。私に知られずして彼女を作るなんて不可能だ。だって私が一番信ちゃんの事をよく知ってるはずなんだから!

けれど、よくよく考えたら信ちゃんが稲荷崎に入ってからの二年間、学校での様子を見たことが無い。私の記憶の中にいる信ちゃんは、中学を卒業した時の信ちゃんなのだ。
という事は、という事は、彼女を作る暇なんか十分にあったわけだ。幼馴染の私には「体育館に近づくな」と言うくせに、彼女とは待ち合わせをして体育館の入口まで迎えに来させるんだ。
うわっ、何それ。
信ちゃんなんか大っ嫌いや!

カッサカサの膝