26


世界で一番わたしが不幸なんだ。…と、思わされるような日が何日間か続いた。
先生との待ち合わせをした時にはあんなに浮かれていたのに、先生の元カノさんに会った瞬間からすべてが急降下して行った。いや、「先生にキスをされた瞬間から」が正しいのかもしれない。それともわたしが先生にプライベートで会いたい素振りを見せたから?先生の事を好きになってしまったから?もう駄目だ。こんな気持ちで受験が終わるまで、どうやって先生と顔を合わせたらいいんだろう。


『すみれ、明日何時にする?』


その時、机の上に置いていた携帯が鳴った。メッセージはユリコからのもので、国見先生とは一切関係の無い内容。と言うか、何のことか分からなかった。


『明日?何かあったっけ』
『え。オープンキャンパス行くって約束してたじゃん』


返信を見てやっと思い出した。そういえば明日、ユリコと一緒に大学のオープンキャンパスに行く約束をしていたのだ。
けれど不運な事に、その大学とは国見先生の居る大学。もしかしたら先生に会ってしまうかもしれない。行くのをやめる方が良いのではないか?


『何言ってんの。むしろ会った方が話が早い!』


しかしユリコは上記のとおり、「行かない」という選択肢は持ち合わせていないようだった。
果たして国見先生と偶然に会えたとしても、わたしたちは会話をする事が出来るだろうか。例えわたしが先生に話しかける事に成功しても、先生は話を聞いてくれる?そもそも県内でも大きな大学なのに、偶然会う事なんてあるだろうか。

それらをユリコに相談してみたけど、ユリコはやっぱり「良くも悪くも会えば変わる」としか言わなかった。そりゃあそうなんだろうけどさ。



翌日、わたしたちは二人でオープンキャンパスにやってきた。周りが大学生ばかりだから制服だと目立つかなと思い、だからと言って派手な服では悪目立ちするので出来るだけ地味な服で。こういう時どんな格好をするのが正解なのかは、ネットで調べたけど分からないままだった。


「広いね」
「だね…」
「先生どこにいるかな?」
「いや先生を探しに来たわけじゃないから」
「探しに来たんでしょ!少なくともすみれは!」


物凄い剣幕だ。一応今日はちゃんと大学を見に来るつもりだったのに、ユリコの中ではわたしが国見先生に会いに来た事になっているらしい。
そりゃあ会えれば嬉しいけれど、何を話せばいいものか。なんたってまだ頭の整理が出来ていないのだ。


「体育館おっきーい!てかココ第一体育館だって。何個あるんだろうね」
「さあ…」
「わたしさー大学入ったらダンスやりたいなあ」


ユリコはバドミントンを続けるつもりでは無いらしく、このような事を言っていた。
ダンスも確かに華やかでいいな、わたしにリズム感があるとは思えないけど。それに大学のダンスサークルって結構色っぽい服で踊ったり、チアみたいに短いスカートだったりするのでは?国見先生にそんなとこ見られたらどうしよう?
いやいや、まず国見先生との関係がこのまま変な感じになってしまったら何も出来ない。ああ、オープンキャンパスなんて集中出来ない。


「あ。あっち食堂!」


わたしが悶々と考えているのをそっちのけで(あるいは気付かない振りをして)、ユリコは大学の食堂を指さした。
お昼時とは少し時間がずれているのに賑わっていて、学生数の多さを物語っている。それにしても広いので、席はちらほら空いているから座れそうだ。


「なにか食べる?」
「うーん…うん。ちょっとお腹空いた」
「だよねだよね。なんか高校の食堂と違ってスケール大きいね」


思わずわたしもそうだね、とウキウキしてしまった。メニューはうちの高校よりも豊富で、学校の食堂とは思えないようなお洒落なものも。そしてそれが普通の喫茶店やレストランよりも安いのだから、ここの学生になったら毎日通ってしまいそうだ。


「あ、あそこ期間限定メニューだって」


と、ユリコが窓口の上に飾られているポップを指した。確かに可愛らしい字で「夏限定!」と書かれており、かき氷などの夏らしいメニューがある様子。気になってそのポップを見ようと首を伸ばしてみた、のだが。


「……」


目の前に背の高い男の人が立っていて、なかなかしっかりと見えなかった。ユリコも身体を左右に揺らしてなんとか見ようとしてるけど、その人は元々肩幅も広いみたいでなかなか視界が広がらない。
次にユリコが少し背伸びをしてみたところで、前に並んでいた人がこちらに気付いて振り向いた。


「あっ、スンマセン見えますか?」
「え!あ、はい」


ユリコはこくりと頷いた。わたしもお礼を言おうとその人を見上げたところ、その顔にはなんだか見覚えが。


「あ……」


この人、国見先生の友だちだ!
わたしは慌てて顔を下げてしまったが、その人もすぐに前を向いたのでわたしの怪しい動作には気付かれていないみたい。けれど隣に居たユリコは気付いた。


「すみれ、どしたの?」
「しっ」
「へ?」
「ちょちょ、シーッ」


必死にユリコに顔を寄せて、口元に人差し指を押し当てる。静かにしろという意味を察したユリコは両手で口を塞いでうんうん頷いてくれたので、わたしは先生の友だちに聞こえないよう呟いた。


「たぶん国見先生の友だち」
「えっ」
「初めて会った時、先生と一緒に泥棒捕まえてくれた人」
「ええぇ」


だからわたしはこの人の顔を覚えていたのだ。あの日は少しの間だけ駅長室みたいなところで一緒に話をしていたし。
ただ、この人がわたしの顔を覚えていないのはラッキーだった。もしも覚えられていて国見先生の話でもされたら、何と答えたらいいか分からないから。それなのに、ユリコは隣で何やら騒ぎ始めた。


「ちょっ、すみれ」
「なに、静かにしてってば」
「違う違う、ちょっと!あれ」


どれだよ!と小声で突っ込もうとしたけれど、それには及ばなかった。ユリコの言う「あれ」が何なのかすぐに分かってしまったのだ。


「あの人って」


彼女の指さす先には紛れもないわたしの好きな人、今やわたしの悩みの種であるその人が。背が高く顔の小さい、気だるげな表情の男の人が食堂内をキョロキョロしているではないか。


「……クニミセンセイ…ッ」


全身に鳥肌が立ちそうだった。驚きと、その後に何が起きるのかを想像したおかげで。


「おお国見やっと来た。席取ってんぞー」
「!!」


そしてその予想は的中した。目の前に立っていた人が国見先生を呼びながら、長い腕をぶんぶん振り回し始めたのだ。
これだけ背の高い人だからきっと目立ってしまう。早くここから離れなきゃ!と思ったのに、人が多くてなかなか列から逃げ出すことが出来ず。


「……金田一…」


国見先生がついに目の前までやって来て言った。
金田一と呼ばれたその人は「ん?」と不思議そうに返事をした。きっと国見先生が顔をしかめていたからだ。そして、その国見先生が金田一さんではなく、金田一さんのすぐそばに居るわたしを見ながら言ったからだろう。


「何でその子と一緒なわけ」
「え?」


金田一さんは国見先生とわたしたちとを交互に見て、状況を把握出来ていない様子。
わたしとユリコは言葉も出ない。だってわたしは先生にキスされたり、好きですって告白したのに「その話はするな」と言われたりでドン底なのだ。更にユリコもそれらの事を知っているのだから、先生の前でわたしたちが話せるマトモな言葉なんてひとつも無い。


「…国見の知り合い?」


やっと言葉を発してくれたのは金田一さんで、わたしは無言で頷く…ような首を振るような素振りで返した。けれど頭の上から国見先生の溜息が聞こえてきたので、もうこれは肯定されてしまったのだと諦めた。