20180808


今年の夏は猛暑らしい。「らしい」と言うか、今まさに猛暑のおかげで午後の練習はしばらく休み。すべての運動部は部活の時間を制限される事になり、バレー部も例に漏れず午前十一時で練習が切り上げられた。ほとんどが体力のある連中だから大丈夫だと思うのだが、どうもそういう問題では無いようだ。

「これだから夏は嫌い」と誰かが言うのを聞いたけど、俺は全然嫌いじゃない。むしろ好きな季節であった。それは自分が夏産まれだからと言うわけじゃ無く、二年前のこの季節に、恋に落ちた女の子も夏が好きだと言っていたから。


「こんな時間からフリータイム与えられてもね」


部室で着替えながら黒尾が言った。
仮にも全国を目指す部活だから、夏休みといえど遊びの予定ばかり入れているわけじゃない。ずっと練習のつもりで予定を空けていたのに、ぽっかり空いた時間の使い方に悩むのは皆同じなのだった。


「飯食ってく人〜?」
「帰る」
「待っ!こら!ゲームする気だろ」
「分かってんなら止めないで」
「三次元の交流も大事にしなさい」


研磨は真っ先に帰ろうとしていたが、帰る目的を知られているので黒尾に止められていた。このやりとりも最初は可哀想だなって思っていたけど、部活の時間以外は睡眠かゲームしか無いというのも良くない気がして、俺はもう何も言わない事にした。
それより俺は、今日は彼らと一緒にファミレスに行ったりするつもりは無い。


「俺は帰る」
「ええ!なんでですか」
「なんでも」


理由なんて野暮なことを言うのは嫌なので、詳細は告げずに鞄を担ぐ。
リエーフや山本はちょっと憤慨していたけど、黒尾と海は「行ってらっしゃい」と送ってくれた。
誕生日だから気を遣ってくれたわけじゃない。俺には行かなければならい場所があるのを黒尾と海だけは知っている。行ってきます、と告げて俺は部室を出た。
行って来よう。今日はあの子の命日なのだから。





俺が産まれたのと同じ八月八日に、白石さんは亡くなった。交通事故であった。出会ったのは高一の春、同じクラスになったのがきっかけで仲良くなった。

白石さんはそのへんに良く居る感じの女の子だったけど、席が近かったり話が合ったりする事もあり、俺はだんだん彼女に惹かれた。もしかしたら白石さんも俺に惹かれていたと思う。今となっては分からないけど、きっとそうだと思えた。
何故なら去年、白石さんが亡くなった日、彼女は部活帰りの俺に会うために学校に来る途中だったのだ。俺の誕生日を直接祝ってくれると言って。


「わざわざ来なくていいのに」
「行くよ!祝ってくれる女の子が居るならやめとくけど」
「居ないけどさ…」


居ない、と言うと白石さんは「そうなの?」と嬉しそうであった。
そんな顔されたら俺は、そういう事なんじゃないかなあと思ってしまった。でも誕生日に会いに来てくれるのなら、その時に伝えるのがなんとなくムードがあって良いだろうなと考えた。
けれど結局、会いに来る途中で事故に遭った彼女に、それを伝えるチャンスは来なかったのである。

当日になってなかなか来ない白石さんに、何度も電話をしたけど繋がる事は無く。やっと繋がったと思えば電話口に居たのは知らない女性で、その人は白石さんの母親だと名乗り、そこで俺はすべてを知った。

その日の事は正直あまり覚えていない。俺のせいで死んだんだって思ったら、何も考えられなくなったのだ。
でも我が子を失った白石さんの両親に向かって「白石さんは俺に会いに来るために死んでしまった」だなんて、彼氏でもないのに言えなかった。

「誕生日、会いに行くよ」と言われた時に気持ちを伝える事が出来たなら、白石さんが俺と同じ気持ちであったなら、俺は彼氏としてハッキリと「俺が死なせました」と言えたのだろうか。…例えそうだとしても、白石さんが死んでしまった事実は二度と変わらないのだが。


「白石さーん」


真夏の真昼間、こんな暑い時間に墓地に来ている人は少ない。俺だって白石さんの命日でなければ来ないだろう。白石さんの墓石の前にはみずみずしい花が供えられていて、今朝のうちに彼女の家族がやって来たのだろうと思えた。


「夜久だけど。覚えてる?」


返事の無い墓石の前に突っ立って、俺は他愛もない質問をした。姿も見えず声も聞こえないけれど、きっと彼女はこう言うだろう「覚えてるに決まってんじゃん!」と。


「今年すっげえ暑くてさ…もう練習終わったんだよ。早くね?三時間くらいしかできなかった」


担いでいたスポーツバッグを地面に置く。ファスナーを開けて乾いたタオルを取り出すと、俺はそれを首にかけた。歩いている時はそうでも無かったのに、立ち止まった途端に汗が噴き出してくるのだ。


「去年の今日はわりと涼しかったっけなあ」


首筋の汗を拭きながら、一年前の事を思い出す。その日だけ少し涼しかったのだ。とは言え気温は三十度を超えていたと思う。
俺は元々あまり夏が好きではなかった。それを一昨年白石さんに話したら、彼女は意外そうに驚いていたっけ。夏が誕生日なのに?と言いながら。そしてこうも言った、「私は夏が一番好き」だと。


「…白石さん、どうして夏が好きなの?俺、あんま好きじゃ無かったんだよね。暑いしさあ、時々練習だって削られるし」


誕生日だって、家族が祝ってくれるのは勿論嬉しいけど。部活の連中なんて祝ってくれないし、というか自分から誕生日だと言うのもプライドが許さない。
夏休みだからクラスの誰からもおめでとうを言われない。「今日誕生日だよね、おめでとう」とクラスの誰かが言われているのが少し羨ましかった。
でも白石さんは俺がそれをボヤいた高一の時に、自分は夏が好きだと言ったのだ。


「白石さんが夏が好きだっていうから、俺も好きになっちゃったんだけど」


理由を聞いておけばよかった。何故夏が好きなのか。俺への気休めで言っただけなのか、それとも本心だったのか。
でも夏が好きだと彼女の声で言われたら、自然と俺も「夏って意外といいかもな」なんて思ってしまって、次の夏が来るのを待つようになったのだ。


「…だから、楽しみにしてたんだけど…」


白石さんが夏休み、学校まで会いに来てくれるのを。俺の誕生日を祝ってくれるのを。どうして夏が好きなの?と聞くのを、そして、気持ちを伝えるのを。


「………」


けれど、それは叶わなかった。白石さんはトラックに轢かれて生死の境をさ迷い、俺が病院に着いた頃にはもう駄目だった。本当に死んでしまったのか信じられなくて一目見ようと進んだけれど、彼女の親に断られた。きっと見るに堪えない姿だったのだ。
ただのクラスメートでしかない俺はろくな挨拶もせず病院を飛び出して、その後はよく覚えていないけど、翌朝は声が枯れていた。

白石さん、俺の誕生日が今日でなければ、きみは死ぬ事は無かったのに。
何度それを考えて、何度夏を嫌いになろうとしたか分からない。でも一度好きになったものを嫌いになんてなれやしない。一度好きになった人を忘れるなんて、出来やしないのだった。


「今日は、あの日言おうとした事を言いにきたんだ。どうせ勘付いてんだろうけどさ」


俺は白石さんの墓石に手を伸ばした。勝手に触るなって怒られるかも知れないな、女の子だから。でも、本当ならあの日俺は彼女を抱きしめるつもりだったから。


「白石さんの事、一年の時から好きだよ」


返事はない。きっと笑っているのかもしれない。今更何言ってんの、いい加減に私の事なんか忘れなよと。


「好きだよ」


二度目の告白、 白石さんはたぶん怒っただろう。「いい加減にしてよ、もう私の事なんか忘れて前に進め!」白石さんが生きていたら俺を叱るだろう。俺のせいで死んだんだ、と塞ぎ込む俺を格好悪いと罵るだろう。
だから俺は、それでも立ち直ったのは半年以上経った頃だったが、白石さんのぶんまで生きようと決めた。そして次の誕生日、言えなかった事を言おうと決めた。


「…好き。」


右の手のひらを墓石にべったり付けているのに、何も感じない。返事があるまで触っておきたいのに、気温のせいで墓石が熱い。やっぱり俺には気安く触って欲しくない?なんて考えると少し寂しい。

でも、言えた。言いたいことはすべて言った。一年ぶんの気持ちは伝えたはずだ。それなのに、


「……なんでかなあ?スッキリすると思ったんだけど」


気持ちは全く晴れなくて、むしろ去年のことを思い出して、白石さんの前じゃ泣かないぞって決めていたのに目頭が熱くなってきた。男の子が泣くもんじゃないと言われた事があったっけ、高一の春高予選で負けてしまった時に。


「怒ってる?」


今も墓の前で泣きそうになる俺を、白石さんは怒っている事だろう。自分の事で泣かないでほしいと思っているだろう。
でも、じゃあどうしたらいいんだろう。白石さんは知らないだろうけど、好きな女の子が急に死んじゃうのって、泣かなきゃやってやれないんだよ。


「悪いけど気の済むまで好きで居るから」


まるで宣戦布告みたいだけど。俺の事、怒れるもんなら怒って欲しい。俺だって諦められるもんなら諦めているんだから。


「もし、どうしても俺のこと怒りたいんだったら…お盆に化けて、出てくれてもいいよ」


俺の枕元に。朝起きて突然白石さんが現れたらどうなるんだろう。びっくりして腰を抜かすかな。おどかすなよって怒鳴ってしまうかも。


「その時は…」


そこまで言って、俺は口を閉じた。ここから先はただの願い事でしか無かったから。

白石さんがもし俺のところに化けて現れてくれたなら、俺は二度と離れたくなくなるだろう。今度こそ俺は前に進めなくなるかも知れない。
それを彼女は分かっているだろうから、たぶん出てきてはくれないな。

Happy Birthday 0808
実際にはお墓に手を触れるのは好ましくないので、気をつけましょう