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夏祭りに誘われた。「誘われた」という言い方が正しいのかどうか分からないけど、あれはたぶん誘っていたと思う。

今週の土曜日、このあたりで少し規模の大きい花火大会がある。それに伴いたくさんの夜店が出て、過去に何回も友だちとそこを訪れたものだった。いつかは好きな人と、男の人と行きたいなあなんて夢を見ながら。


『先生に誘われた!?』
「ちょっしっ静かに」
『大丈夫いま部屋だから!』
「それでも駄目だよ!」


ユリコにはメールで相談しようかと思ったけれど、メールを受け取った時にどんな騒がれ方をするかも分からない。せめて反応がすぐに分かる電話にしてみたがやっぱり騒いでいて、そしてやっぱり何かを食べている途中であった。


「まだ誘われたって解釈でいいのか分かんないんだよ、土曜日の六時にって言われただけで」
『土曜日の六時に商店街の入り口でしょ?待ち合わせの約束じゃん』
「そうかもだけど」
『かもじゃない!そうだよ!他に何かある?』


何故か怒鳴られてしまった。怒鳴るほど確信があるのだろうか、国見先生がわたしを「誘った」という事に。


『すみれは土曜日、外出許可おりるの?』
「え…いや、聞いてみなきゃ分かんない」
『無理やりにでも行くべきだよ!わたしの名前使っていいから』
「…え?」
『友だちと花火大会行くって言ったらいいじゃん!高校最後の思い出にって!』


ユリコはいつになく必死だった。確かにユリコと花火大会に行くと言えば、お母さんは何も言わないだろうと思う。
男の人と行くだなんて知られたら止められるかも知れない。まして相手は国見先生だし。


「で、でもそんな友だちを利用するような事」
『していいよ。むしろして欲しい。っていうか最高にアツイ展開だもん』
「楽しんでるでしょ…」
『楽しいに決まってんじゃんか!ココロ踊ってるよ!』


これまで一緒に過ごしてきて、ユリコがここまでテンションを上げていた事なんてあるだろうか?いや無い。試合に勝った時よりも盛り上がっているように聞こえる。人の恋愛を応援しつつ楽しんでいる様子だ。


『浴衣はあるの?』
「まあ一応…去年着ようと思って結局着なかったやつ」
『何色!?』
「えー…白だったかなあ?白に牡丹柄」
『いいね。紺色とかだったら被りそうだもんね』
「でも白って派手じゃない?」
『じゃない。大丈夫』


何をもって大丈夫と言い切れるのか分からないけど、彼女は少なくともわたしよりはセンスが良い。浴衣以外の諸々の小物は全部貸してくれると言う。しかもユリコのお母さんが着付けまでしてくれると。

「花火の日、四時に浴衣持ってうちに来て!」とユリコは今にも歌い出しそうな声で言ってから電話を切った。



土曜日の夕方、花火大会が行われる日。ユリコの家にお邪魔すると、すでに彼女の妹たちが用意を終えていた。ユリコも妹二人を連れて花火大会に行くらしい。
その妹に興味津々の目で見られながら髪をお団子にしてもらい、ユリコのお母さんに浴衣を着せてもらい、いざ花火大会へ。


「…変じゃない?」


浴衣なんて着たのはいつぶりだろうか。去年これを買ってみたものの着る機会を逃してしまったので、小学六年生の時に着たのが最後のような気がする。だから全然慣れなくて、浴衣で街中を歩くのが違和感であった。


「大丈夫だってば!まわり見てみなよ、浴衣の子ばっかりじゃん」
「うん…けど…でも」


確かに花火大会目当ての女の子やカップル、ファミリーが多く居る。
でもわたしには大きな不安があった。今日こんなに気合十分で来たというのに、先生がもし居なかったら?約束したつもりなのは、わたしだけだったとしたら?


「先生いなかったらどうしよう…」
「いなかったら私たちと合流しなよ。ヤケ食い付き合うからさ」
「うう…」
「あ、あそこじゃない?」


ユリコが商店街の入口を指さした。待ち合わせのために立っている人がちらほら居る。その中に国見先生の姿があるかどうかと首を伸ばしてみたものの、今のところそれらしき人は居ないようだ。


「…居ない」
「まだ五分前だもん大丈夫。ここで待ってたらいいよ」
「うん…」
「近くに居るから来なかったら電話して!」


来なかったら、なんて縁起でもない話なのだが。ユリコは妹二人の手を引いて、夜店のならぶ商店街へと入って行った。


「……はあ…」


ひとりになった瞬間に良くないことばかり考えてしまう。もしも来なかったら、とても虚しい。浴衣まで着てきたのに。


「来ない…」


六時を過ぎても国見先生は来なかった。
だんだんと周りで待ち合わせていた人達は相手と合流し、談笑しながらその場を離れていく。わたしの場合、国見先生とはしっかり「約束」したわけじゃないから、来なかったとしても何も言えない。わたしが思い上がっていただけだ。

冷や汗が流れてきた。やっぱりもうユリコに電話して女子だけで回ろう、これ以上待っても無駄だ!と巾着の中から携帯電話を取り出そうとした時。


「…あ」


と、小さな声が聞こえた。聞き覚えがあるような無いような、いややっぱりある。
やっと来てくれた。国見先生だ!


「…白石さん?」
「は、ハイ!」
「やべ、全然気付かなかった」


どうやら先生はちょっと前からそこに居たらしい。わたしも気を付けて周りを見ていたはずなのだが、死角に立っていたようだ。
いざ先生と鉢合わせてしまうと、どうすればいいのか分からない。先生は特別な格好ではなく私服なのに。というか、わたしは先生に会うために来たはずなのに。


「…せ…あー…ええと、あの」
「何」
「えっ!?う…あ、誰かと待ち合わせです…か?」


何を言ってるんだわたしは。わたしとの待ち合わせでは無いのか。いやいや、わたしとは待ち合わせしているわけじゃない。それを装っているだけで…たぶん。ああもう!ややこしい。
わたしが一人であたふたしていると、国見先生は辺りを見渡しながら言った。


「べつに。暇だから来た」
「……え。」
「白石さんは?」


先生は真っ直ぐにわたしを見た。問題の答えを早く求めよと言うように。
この場合の正解は何なのだろう。「国見先生と花火を見たくて来ました」、あるいは「友だちとはぐれました」?


「…暇だから、来てみました」


途切れ途切れにわたしは答えを言った。今日の待ち合わせを偶然出会った事にするためには、わたしたちはここに偶然来た設定でなければならないから。果たしてこれで良かっただろうか。


「そう。偶然だね」
「ですね…ですかね」
「じゃあ暇潰しでもしようか」
「えっ?」


わたしは思わず声を上げた。
立ち止まったまま国見先生を見上げると、先生は「行かないの?」とわたしを急かす。まさかこれで待ち合わせは成功?
本当にわたしたち、待ち合わせをしていたんだ。国見先生がわたしを誘ってくれていたんだ!

わたしたちは隣り合わせになって、ゆっくりと商店街の中を歩いていた。たくさんのお店が出ており、綿菓子や風船、焼きそばなど定番のものが多い。
浴衣を着てこんなところを歩くなんて久しぶりだ。しかも、男の人と。好きな人と。国見先生と。


「…わ!金魚」
「金魚すきなの?」
「いや、別にです」
「違うのかよ」
「はは…」


ついつい目に入るものが珍しく感じてしまって、金魚すくいに反応してしまった。先生は少し呆れ気味だ。いけないいけない、せっかく一緒に過ごしているのに。


「あ。猫だ!」


しかし、浮かれ気味のわたしはまた、お面を売っているお店の前で立ち止まった。そこには可愛いとも可愛くないとも言えない猫のお面が飾られている。先生が「何だこれ」と呟いたので解説してあげた。


「これアレですよ、テカチュウの敵」
「不細工だね」
「そうですか?」
「……そういや白石さんは猫が好きなんだっけ」


ドキリと一瞬、その場の音が静まり返ったような感覚。
わたしは猫が好き。玄関や部屋に飾っているぬいぐるみも猫。使っているお皿なども猫。それは昔、家で猫を飼っていたから。先生はその話を覚えてくれていたのか。


「よ、よくお、覚えてました、ね」
「べつに覚えてるってほどでは」
「あ!あのお腹すきませんか?りりりりんご飴食べませんか!?」
「りんご飴ってお腹膨れる?」
「あーえー…じゃあたこ焼きで!」
「なにテンパってんの」


ついつい赤くなった顔を誤魔化すためにあれこれ提案してみたけど、結局うまく行かなくて。先生はわたしが変な挙動をしている事に気づいてしまった。もっと大人しく、お淑やかに浴衣で歩きたかったのだが。


「…ス、スミマセン」
「りんご飴が食いたいの?」
「いや、えと」


どうしよう、りんご飴なんか先生は欲しくないよね。でも咄嗟に出たのがりんご飴という単語だったのだ。どうしよう?先生はずっとわたしを見てる。


「いいよ。行こう」


でも、先生がそう言いながらちょっと笑ったように見えた。
慌てるわたしの姿が馬鹿らしくて笑ったのかも知れないし、いい加減にしろよと呆れて笑ったのかも知れないけれど。とにかく夜店が並ぶ道の中で、明かりに照らされた先生の顔が笑顔になっていたのが、とても美しいもののように思えた。…恋の病。


「はい」


りんご飴の屋台は少し歩いたところにあって、あまり並んでいなかった。
先生はりんご飴をひとつだけ買ってくれて(やっぱり先生は要らなかったらしい)、それをわたしに差し出した。


「…すみません…」
「謝られる意味が分かんない」
「…ありがとうございます?」
「うん」


この場合の正解は、お礼だったようだ。ありがとうございます、ともう一度伝えて先生からりんご飴を受け取った。

国見先生が今、目の前で買ってくれたりんご飴。なんだか食べるのが勿体無いけど、食べずに持っておくのは怪しい。どうせ小腹も空いていたので、買ってもらったりんご飴を舐め始めた。


「美味しい?」
「…おいしーです」
「ふーん」


それだけ言うと、先生はまた前を向いて歩き始めた。
こうなると先生の表情をしっかり見るのは難しい。国見先生は背が高いから、わたしの位置からは真ん前に行かないと顔が見えないのだ。

ちらりと横顔を盗み見ても何を考えているのか分からない。そう、今日わたしをここに誘った理由すらも。
どうして誘ってくれたのか、誘うような言葉を言ってみせたのか。今それを聞いても不自然ではないよね?


「あの…先生、今日」
「あれっ?」


ところが思い切って質問しようと声を出したのに、それは別の声で遮られた。しかもまた、聞き覚えのある声。


「英?なにしてんの」


わたしはその声をしっかりと覚えていた。声の主の顔も、記憶にしっかりと記憶に焼き付いていた。
綺麗な浴衣姿の女性。なんと国見先生の元彼女が、驚いた様子でわたしと先生の前に立っていたのだ。