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花巻さんから受け取った連絡先が書かれている名刺。財布の中の、あまり見ないポケットに仕舞いこんでいたので取り出してみた。

名刺の表側にはお店の外観写真と、おしゃれな書体で店名が。そして裏側に印刷されている花巻さんの名前と、手書きの連絡先。
花巻貴大。…花巻さんって、タカヒロっていう名前なんだ。全然気にしてなかったなあ。


「いつがいいかな…」


直接連絡してこいと言われたものの、美容室の空き状況を見てからの方が良いかもしれない。
インターネットから空きを確認すると、今週の土日はすでに埋まっていた。わたしは平日仕事なので、土日しか予約をする事が出来ない。となると来週だ。


『こんにちは。白石です』


花巻さんの連絡先へ、まずは自分が誰であるかを送ってみた。もちろん送信前には自分のプロフィール画像が変じゃないかをチェックしてから。こんなに気を遣っているのはやはり、花巻さんに好意を持っているからだろうか。

しばらく音沙汰はなかったけれど、その日の夜になると花巻さんからの返事が来た。


『花巻です!連絡ありがとう』


当然だけど、当たり障りのないメッセージ。しかし、今ならメッセージのやり取りは可能と受け取って問題なさそうだ。


『来週の日曜日、ご都合いかがですか?』
『今週じゃなくて来週?』
『来週です!』
『今ならソコいつでも空いてるよ』


来週の日曜日ならいつでも大丈夫。
普段のわたしなら、午前中にヘッドスパを済ませて午後からは買い物とか別の予定を入れるだろう。けれど今回のわたしはそうじゃなかった。


『じゃあ、日曜日の一番遅い時間でお願いします』


わたしは日曜日の、しかも夕方の一番遅い受付時間を指定した。
それが何故なのか、無意識の選択だったけれどもよく分かる。当日はどうせヘッドスパをしてもらって終わりなのに、今わたしは、この時間に予約をしておく事で花巻さんから何らかの誘いがあったりしないかなと計算したのだ。打算的。

少し前まで元恋人に未練タラタラだったくせに、何やってんだろう。ちょっと花巻さんが優しくしてくれたからって、友人にすすめられたからって、花巻さんの事が気になって仕方が無いとは。

でも連絡先を教えてくれたりとか、今度安くするからおいでよとか、普通はしないよね?…それともリピーターを手放さないための手口だったりして?そうだとしたらわたし、人間不信になるかも。





それからの二週間はとても長く感じられた。美容室に行く時はいつも、恥ずかしくない格好なら何でもいいと思っていたのに。今回はなんと「美容室に行くための服」を事前に買ってしまったのだ。わたしってこんなに単純な女だったっけ。


「白石さん、待ってました〜」


お店の入口にある鐘がカランカランと鳴り、花巻さんが店の奥から顔を出した。途端にどきっとして身体全体に力が入る。落ち着かなきゃ、今からこの人に髪を触られるんだから。


「コンバンハ」
「コンバンハー」
「すみません、あの…図々しいかなって思ったんですけど」
「全然?じゃあコレ失礼しまーす」


花巻さんは黒いクロスを巻くために、わたしの首周りに手を回した。
いくら安くするよと言われたからって、本当に割引を狙ってお店に来るなんておこがましいだろうか。例えそう思っていても、花巻さんはきっと表情に出すことは無い。…そんなことを考えるような人ではないと思いたい。だって花巻さんが誘ってくれたんだもん。


「においが二種類あるんだよね、柑橘系かフローラルっぽいやつ。どっちにする?」
「えーと…柑橘で!」
「好み合うね!俺もこっちスキ」


と、花巻さんがわたしの好みに合わせてくれてるような素振りを見せても、それはただの偶然なのだろうか。それとも、やっぱりただの社交辞令?好みが合う、俺も好き、そんな言葉ひとつひとつが今のわたしには大きな刺激であることを知っているのかどうか。


「かゆい所ありますか〜?」
「え、あー…ないっす」
「無いっすね〜了解でっす」


緊張のあまり喋り方がおかしくなっているわたしに、花巻さんは何も言わず普段どおりだった。

花巻さん、わたしもう失恋なんか引きずっていません。軽い女だと思われるかもしれないけど、今はあなたにゾッコンです。

目を閉じて、頭に花巻さんの指の力を感じながらそんなことを考えた。
大きな手、まだ頭しか触られたことがないけど、それがわたしの別の場所に触れる時が来るだろうか。来るといいな、って何考えてんだ!せっかく柑橘系の香りを選んだのに、匂いなんて全然楽しめない。


「じゃあ乾かすね」
「お…オナシャス」


何その喋り方、と花巻さんがついに吹き出した。

とても恥ずかしい。おかしな妄想を膨らませていたなんて言えない。
しかも、今までは何も気にならなかったけど、シャンプーやトリートメント・スパを終えた後というのは頭にタオルを巻かれていて、お世辞でも見栄えがいいとは言えず。こんな姿を今までも花巻さんに見られていたのかと思うと、恥ずかしくて目を伏せるしかない。


「…で、ボトルの裏っかわに成分書いてあるじゃん?あそこの一番最初に書いてあるやつが一番多く入ってる成分なのね」
「へえ…」
「だから市販のやつ買う時は、そこ見てから買ったほうがいいよ〜」
「なるほど…」


ドライヤーをあてながら、花巻さんはわたしが退屈しないようにいろんな話をしてくれた。
参考になる話のはずなのに、今は花巻さんの声が右から左。目の前にある鏡に、自分と花巻さんがとても近い場所に居るのが写っているから。


「なんか今日静かじゃない?」
「え!?そ、え?そうですか?」
「あっドライヤーがうるさい?もしかして眠い?」
「いや……」


馬鹿野郎!花巻さんに気を遣わせてどうするんだ!
でも普段、どんな感じでここに座っていたのか思い出せない。しかし元恋人の惚気話をしていた過去は忘れたい。


「…はい。クロス取りまーす」


やがて髪を乾かし終えて、花巻さんがクロスを外してくれた。

すると、乾かしている途中はよく分からなかったけど、とにかく髪がさらさらで天使の輪が出来ている自分の姿が写し出されていた。思わず息を呑んでしまうわたし。花巻さんが「触ってみ」と促してくれて、右手で自分の頭に触れてみた。


「わあ…」
「サラッサラだね」
「ほんとだぁ…」
「うんうん。可愛くなった」


ドキ。そんなことを耳元で言うのって、反則じゃないだろうか。


「…か、可愛さとかはあんまり、関係ないのでは無いでしょうか!?」


だから思わず混乱して、自分を落ち着けるためだったのに、慌てた様子で言ってしまった。それに対し花巻さんはキョトンとした顔で首をかしげた。絶対に変なやつだと思われてる。


「…?そう?」
「ていうかっ花巻さんはわたしのこと褒めすぎですよ」
「えー」
「わたしもう、元カレとか引きずってないんで…だから、そういうのは」


そんなふうに、わたしを元気づけようとして心にも無い褒め言葉なんか言わなくても結構です。どうか察してくれませんか。


「可愛い子に可愛いって言っちゃ駄目なの?」


それなのに花巻さんはわたしの気持ちなんか分かってくれずに、こんな事を言うではないか。他の店員さんやお客さんのいる店内にも関わらず。だからビックリして左右をちらりと伺ってみたけど、どちらもドライヤー中だったようで聞こえていないようだった。
いや、それにしても。それにしても、だ。


「……そ、そんなの言ったら、勘違いする子とか居るかもじゃないですか」


わたしのように、花巻さんに絶賛惹かれている最中の女の子からすれば、そんなの都合よく受け取るに決まってる。この人はわたしの事を気に入ってくれてるんじゃないかって。


「…それもそうか。それは困るね」


ほら見ろ!褒めて落とすくらいなら最初から「可愛い」なんて言わないで欲しい。結局勘違いされたら困るんじゃないか。
きっと色んなお客さんに言っているんだ、さっきの「可愛い」は誰にでも言う褒め言葉なんだ。髪はサラサラになったのに、わたしの心はどんよりだ。


「でも今の白石さんは、チョー可愛く仕上がってるよ」


しかしまたまた耳元でこんな言葉が聞こえてきた。
褒めて落としてまた褒めて、花巻さんは一体わたしをどうしたいんだ。
鏡越しに目が合った時、真っ赤な顔を見られてしまい咄嗟にわたしは顔を伏せた。こんな顔見せられない、見られたくない恥ずかしい。けど、また花巻さんが「かわいい」と呟く声だけが聞こえてきた。