05


元恋人と鉢合わせて、全然関係のない美容師の花巻さんに迷惑をかけ情けないところを見せたのが一ヶ月前。

あれから特に何も無く、バッサリ切った髪の毛もだんだん自分に馴染んできた。顔はなんとなく丸く見えてしまうのかなとも思ったけど、やっぱり似合うか似合わないかと聞かれたら今のほうが似合っているような。髪を切った自分のほうが魅力的に見えるような気がする。
っていうのは元恋人への当てつけで、無理やり短い髪を気に入ろうと意識しているのかも知れないけど。

そんなある日のこと、わたしは友人と一緒に買い物に来ていた。
ネイリストの友人はとてもお洒落で華やかで細くて髪も綺麗で、こんな子なら誠に振られる事も無かったのかなと思ったり。傷は癒えたものの、たらればの話は後を絶たない。


「ゴメンすみれ、ちょっと寄りたいとこあるんだけどいい?」


歩いている途中で友人が言った。もちろん構わないのでうんと頷くと、こっちこっちと言われるままに彼女について行く。
結果たどり着いた場所は、あまり煌びやかではない建物であった。


「何ここ?」
「美容器具とか薬の卸売りの店だよ。すぐ戻って来るから待ってて」
「うん…?」


わたしは一緒に入れないのだろうか?と思ったが、どうやらここは美容師免許とかヘアメイク・ネイリストの資格を持っている技術者しか入る事が出来ないらしかった。
こんなお店があるなんて一般人のわたしは知らなかった。こういうところでお店で使う器具とか化粧品とかを入手しているらしい。美容専門だというのに飾り気のない感じも新鮮だ。

付き添いのわたしのような人も待って置けるように椅子が並べてあったので、ひとまず座って待つことにした。どうせ歩き疲れていたのでラッキーである。


「広いなー…」


建物自体がそういうビルみたいで、待っている間にも何人かの綺麗な女性がお店に入ってきた。全員ネイリストっぽいな、見た目を気にしているなあ。

入ってきた女性たちをぼんやり眺めていると、視界の端にチラチラと何かが入ってきた。友人が戻ってきたのだろうかと顔を上げると、そこに居たのは全く別の人物で。
でも、初対面っていうわけでもなくて。だからって元恋人でもなくて。


「白石さん、偶然じゃん何してんの?」


通っている美容室の花巻さんが、いつも通りの明るい顔で立っていたのだ。


「え!?花巻さん」
「よく会うねー」
「そ…そうですね」


わたしは色んな意味でドキッとした。このあいだ二人で過ごした居酒屋さんでの事、思い返す度に花巻さんて素敵だなって思っていたから。
連絡先を受け取ったのに、一度も連絡をしていない後ろめたさもあった。花巻さんは「捨てても良いよ」と言っていたけど、お礼に一言メールでもするべきだったんじゃないかと思うと。

でも、本当は客であるわたしからの連絡なんて迷惑かも知れない…と葛藤していたら、結局連絡するタイミングを逃してしまっていた。
しかし花巻さんは、わたしに名刺を渡した事すら覚えていないのかと疑うほど普段どおりであった。


「誰か待ち?」
「あ、はい。友だちが中に入ってます」
「そうなんだ。美容師?」
「いや、ネイリストの…」
「あーね」


そこで不自然な間が出来たかに思えた。
もしかして花巻さん、わたしが気まずい気持ちになっている事を気付いているかも。どうしよう。何か適当な話を振らなくては。いや、振らなくてもいいんだけど慌てて話題を探す事にした。


「花巻さんこそ、今日はお店営業じゃないんですか?」
「それがねーうちのスタッフが盛大にシャンプーこぼしちゃって。ストック無くなって急きょ調達に来た」
「あらら…」


最悪っしょ?と笑いながら花巻さんが購入した袋を見せてくれた。
業務用だから沢山入っている。その袋を持つ花巻さんの腕には筋が出ていて、ああちょっと重いんだろうなと思えた。でも、細身な身体なのに腕はしっかりとたくましくて魅力的だ。


「そういえば最近、どう?」


お店でシャンプーのストックが切れているにも関わらず、花巻さんはその場に留まり話を続けた。


「……え、いや、何もないです」
「ふーん。元カレも?」
「はい…お騒がせしました…」
「いやいや」


わたしの情けない失恋後のいざこざについて、気にしてくれるのは嬉しいのだがアレはかなり恥ずかしい。
元恋人の事はもう忘れたかった。よりを戻したいと感じた事もあったけど、花巻さんの言うとおりわたしの事を下に見ていたんだなって思えたから。
それにあの日、花巻さんが間に割って入ってくれた時、明らかに花巻さんのほうが素敵な男性としてわたしの目に映ってしまったのだ。


「髪の毛はどーお?そろそろ慣れてきた?」
「あ、はい!慣れるっていうか、とにかくめちゃくちゃ周りの評判よくて」
「やっぱりィ?」
「自分でもびっくりです」
「フフフ」


わたしの髪を切ってくれたのは花巻さんだから、イメチェン後のわたしの評判が良いというのは半分以上が花巻さんの手柄である。だからなのか得意げに笑ってみせると、「そうだ」と彼は何かを思いついた。


「ちょうど最近、いい薬仕入れてさあ。ヘッドスパって興味ある?」


まだまだ自分と言うスタイルが見つかっていないわたしでも、興味が無いわけがない。ヘッドスパ!芸能人のSNSでしか聞いた事ない!というのは言い過ぎだけど自分がすすめられるのは初めてだ。


「へ…ヘッドスパ…!高貴な響きです…」
「あはは、気持ちはわかる」
「興味はあります、けど、やった事ないですね…」
「ないんだ?よかった」


よかったって何が。この流れってもしかして、と思ったけどそんな都合のいい事はなかなか無い。変な期待はしちゃ駄目だ。


「白石さん、景気づけに今度やりにおいで。安くしてあげる」


必死に気にしない素振りをして、そんなにラッキーな事はあるわけ無いと思いこませていたのに。花巻さんはわたしの努力をすべて無駄にする事を言ってのけた。期待通りの台詞を言われたのだ!


「やす…え!?いいんですかそれ!」
「大声では言えねーけど、まあ多少なら」
「え…!でもでもいや、悪いです!けど超興味あるどうしよう」
「やってみればいいじゃん。髪の毛バッサリ切るわけじゃないんだし」


確かにあの日、伸ばしていた髪を思い切り切るまでに抱え込んでいた緊張や勇気に比べたら軽いものだけど。
でも値段のサービスをしてくれるという事はお店の売り上げに貢献できないという事。花巻さんの売り上げが下がってしまうのでは?最悪の場合、店長さんからの評価が下がってしまったりとか。でも気になる、やってみたい。勧めてくれるなら一度やってみようかな。


「…お願いしていいっすか」
「もちー」
「やったあぁ」
「じゃあ都合のいい日が分かったら、コッチに教えてくれない?」


と言いながら、花巻さんがポケットから携帯電話を取り出した。花巻さんのプライベートの連絡先に連絡が欲しいという事だ。


「え…そっち」
「ネットからだと金額の事とか色々システム組まれてて、ややこしくなるから」
「な、なるほど」
「もしかして名刺もう捨てた?」
「す!捨ててません」
「よかったー」


よかったーはこっちの台詞だ、捨ててなくて良かった。捨てる気なんか無かったけど。まだしっかりと財布の中に残っている。
花巻さんはいよいよ時間が危なくなったみたいで、「いつでもいいから」と言い残して小走りで去って行った。

ついに来た。花巻さんからもらった連絡先を使う時が。花巻さんの携帯に、わたしから連絡をする日が。


「…すみれ。」
「ぶわっ!」


いきなり名前を呼ばれて飛び上がって驚いてしまった。振り向くとそこには、元々一緒に来ていたネイリストの友人の姿が。危ない。すっかり彼女の存在を忘れていた。


「ちょ、びっくりした…買い物終わった?」
「終わった?じゃないよ!今の人誰!?」


友人は怒っているのか切羽詰まっているのかわたしの襟首をがっしり掴んで前後に揺らす。頭がくらくらしてきた。


「誰って、いつもお願いしてる美容師さん」
「そういう意味じゃなくて!」


じゃあどういう意味、と聞き返そうとすると今度は顔を間近まで近づけられ、友人のばっちり決まった睫毛エクステがバサッと揺れた。


「すみれ、今の人にお熱でしょ」


睫毛が目玉に刺さりそうになるくらいの距離で、ビシッと一言。

わたしが花巻さんにお熱って?いくらなんでもそれは無い。だってこの前までわたしには別の恋人が居て、その人を引きずっていたのに。無理やり忘れようと髪を切ったくらいなのに。

そんなわたしが美容師である花巻さんのことを好きだとか、ねえ。そんな事、ねえ。名刺をくれたからって、ヘッドスパを安くしてくれるからって、特別扱いされた気になって浮かれているとか、ねえ。…もしかしてわたし、花巻さんのことちょっと気になってる?