13


白石さんは1限目が終わる直前に教室に戻ってきて、「治りました」と先生に告げて席についた。

どんな顔をしていたのかは分からない。
彼女は俺の方なんか見ちゃいないだろうし、俺も隣の席をちらりとも見ていないからだ。


チャイムが鳴り、2限目の体育に向けて女子は更衣室へと向かいだす。

ちなみに男子は教室で着替える。

移動のためにがやがやしている教室内で、この2席だけ無音の空間かに思えた。
実際は白石さんも英語の教科書をしまって、机の横に下げている体操着のバッグを手に取る動作をしている。


…どうしよう。
どうしようも出来ない。

こんなに頭が真っ白になったのは初めてだった。白石さんに好きな人が居ると聞こえたときよりも、今身体中が熱いのか寒いのか分からず目の前がくらくらしていた。


白石さんは俺には何も言わず、「さや行こー」と青山さんに声をかけて教室を出て行った。


彼女が立ち上がるときに体操着を入れたバッグが俺の机に当たってガタン!と音がしたけれども、何も言わずに歩いて行った。





そして朝の占いで運勢が8位であった俺に、今日初めての良い出来事。

体育がサッカーだったのだ。
何も考えずに思い切りボールを蹴って発散できるではないか。


しかしまずはクラスメートとペアになり、ボールを互いの足元へ蹴り返すという単調なことを始める。

体育のサッカーしか経験のない俺はコントロール重視のインサイドキックでは全然パワーの無いパスになってしまう。
足の甲で思いっ切り飛ばしたいのに。


「げっ」


その気持ちに身体は正直になってしまったらしく、ぽーんと遠くの方にボールを飛ばしてしまった。


「おい赤葦ー!バレー部ホープのくせに脚使うのは下手なんだな」
「ホープじゃないって…」


遠くへ転がっていくボールを追いかけ、グラウンドの反対側近くまで来てしまった。
俺はいったいどれほどの力で蹴ってしまったんだ。情けなくてため息が出た。


その後チームを分けて試合をする事になり、足でボールを操るのがてんで下手くそな俺はサッカー部にオフェンスを任せる事にした。


サッカーは相手のゴールに点を入れれば勝ちなのだから、そう言うのはサッカー部連中にお願いする。

なので自らディフェンダーを申し出た。


「いや赤葦キーパーだろ?ボール触り慣れてんだから」
「無理。バレーはボール持つの反則だし」
「んじゃ誰がキーパー?」
「さあ…キャッチが上手そうな人」


そんな感じの選び方で、キーパーは野球部の外野の奴がする事になった。

大丈夫かなこの試合。


そして始まった試合、予想外の事が起こった。というか俺の予想が甘すぎた。

相手チームの鋭いパス回しについて行けないこちらのチームはあっという間にボールがゴールまで近づき、いきなり出番が来てしまったのだ。


「赤葦!」
「うわ」


なんとかボールを奪った味方から名指しでパスを受け、たどたどしくも足元でボールを止める。
で、ここからどうするんだっけ?


「赤葦パーーーーース!」
「!!」


ほぼその声に驚いた反射でボールを蹴ると、かろうじて味方にパスが回った。

人間は手でいろいろな作業をする生き物なんだから、足でボールを操るなんて無理だろ。
昨日、思いっ切りボールを蹴ってやりたいと考えていたのにこれじゃあその願いは叶わない。


サッカーをしていると白石さんと同じく自分も運動が苦手な部類に入ったような気持ちになった。

…女子の体育は何だろう?
数週間前の走り幅跳びで白石さんは怪我をした。今日も何か怪我するかもな。いや、怒ってるから逆に神経が尖って良い動きをしているかも。

俺への怒りで運動神経が良くなるなんて皮肉だなあ。


「赤葦あぶねっ!!」


その大声で振り返ると、ありがちにボールがすごい勢いで飛んできて顔にぶつかり意識不明…とはならなかった。


飛んできたのはサッカーボールだけでなく、それを猛スピードで追いかけてきた相手のフォワード。

俺の胸元あたりに向かってくるボールに突っ込んでくるそいつと激しく衝突し、痛いと感じる間もなく地面に叩きつけられる。


その、叩きつけられる瞬間。


普通なら転倒する時なんか、手をついて頭や顔を守れば良いのだろう。実際バレーの時だって不安定な体勢でのレシーブなどをした時にはフライングをしている。


しかしここはグラウンドだ。
整備されたサッカー用の人工芝なんかじゃない。地面はざらざらの硬い砂利、たまに石なんかが転がっている。

こんなところで、この勢いで倒れながら手を着けばどうなるんだ?


視界がスローモーションで横になっていく中、「ここに手をついては駄目だ」と脳から指令が出た。「手を使うな、手は守れ。」


その結果、小さな子供みたいに顔面から地面にぐしゃっと倒れこんでしまった。


「赤葦!?おまえ大丈夫?」


むくりと起き上がりとっさに手のひら、指を確認、ああ良かった傷ひとつ付いていない。肩も肘も異常なし。


「……大丈夫。」
「ぎゃーーー!大丈夫じゃねえ!ゾンビか!!」


どうやら手は問題なかったものの、顔の右半分が非常にひりひりする。

結構派手に、顔に擦り傷を作ったようだった。

下を向くと、体操着のTシャツに鮮血がぼたぼた落ちている。それに気づくと同時に流れた血が右目に入り、心身ともに最悪に。


体育教師も真っ青で駆け寄ってきて、保健室に行けと命令を受けた。


「保健委員!付き添ってけ!」と叫ぶ声が聞こえ、「保健委員は自分です」なんて恥ずかしくて言えなかった。
13.サッカーボールの扱い方